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「そこのお嬢さん、私が見えているのかえ」

杖をついた好々爺(こうこうや)が相好(そうごう)を崩して、私に笑い掛けてきた。
お昼時を過ぎて、吉村屋で牛丼並盛りをお昼休みのサラリーマンと並んでかっ込み、お腹もいっぱいさあ今日も頑張るぞと意気込んだ、ポカポカ陽気の昼下がりの時分だった。
ヒルコさんは朝昼晩は私に「何が良い」と逐一相談してきて、定食屋やファミリーレストラン、時には小洒落たバーに連れて行ってくれた。面白いのは私があんまり庶民派のジャンクフードを好むので「今日は気分じゃない」と私の要望は却下され、自分の我を通す。なら、聞かなきゃいいのに。ヒルコさんは好きなものを好きなだけ食べ、嫌いなものや気の向かない物は橋も向けない偏食者(へんしょくしゃ)だ。その度のお会計は全部ヒルコさん持ちで、それを当たり前の様に享受(きょうじゅ)している。
全て現金払い、偶に万を超える高級料亭にも私を伴って金に糸目を着けない豪勢な頼み方をするので私はもうヒルコさんのお財布事情が心配で心配で、折角の料理の味がしないこともあった。ヒルコさんはとても、計画的にお金を遣り繰りするタイプには見えず、財布の底がいつ来るのかとヒヤヒヤだったのだ。しかし、時折覗いた彼の財布は万札が束になってねじ込んである。まだまだ底は、見えそうにない。どこからそのお金は出て来たのだろう。ヒルコさんの身元が不安になる今日この頃だった。
其れとは対照的に寝床のチョイスは相変わらずだが、固い寝床に慣れてしまったし、二人肩を寄せ合って暖を取るのは、サバイバルチックでワクワクして楽しいので気に入っている。こんな目的地も知らない旅もなんだか楽しい。パーカーにズボン、スニーカー。こんもりぐちゃぐちゃの頭の後ろ姿はお馴染みの姿だった。
パッと後について歩道橋を渡る。向こうの歩道に渡りついた時に、街路樹の傍らに腰の丸まった頼りないご老体の姿が見えた。しわくちゃな手を仕切りに振って、誰かを待っている様だ。普段はどうせ気付かれないんだから、と素通りする私もちらと見たときに目があった気がしたので、「どうかされたんですか」と声を掛けずにいられなかった。

お爺さんは走り寄った私に感激した声で手を握ってきた。

「ほっほっ。人と話すのは久しぶりさね、こんなところに居ると誰も気付いてくれんでのぉ、いやはや粘ってみるもんじゃの、
優しいお嬢さん」

最近の世の中とは世知辛(せちがら)いもんだとほけほけ語るお爺さんに、本当の事を言ってあげようか迷った。でも、このまま放置するのもお爺さんの為にならない。ヒルコさんに教えて貰った。闇に紛れて跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する妖の類いは私達の様な彼岸(ひがん)の者を好むのだと。一度取り込まれたら最後、元には戻れず、彼等の仲間になってしまうのだ。私は再三、ヒルコさんには魔には近付くなと言われている。私は枯れ葉の様な手を握り返してお爺さんに語り掛ける。

「それは、そのとっても納得出来る話じゃないんですけど、
それは、おじいさんがもう死んじゃってるからだと思うんです…」

お爺さんはいい終わると同時に皮脂(ひし)の奥の双眸(そうぼう)を少し見開き、そしてにっこり笑った。

「そうか、それは知らなんだ。
何だ何だ、これは盲点。とっくにぽっくりあっとったとな?
ではして、お嬢さんはワシを迎えに来たいわゆる天使さまというわけか」

「ごめんなさい、私もお爺さんと同じ幽霊なんです…」

幽霊だと幽霊に向かって幽霊が名乗る。変な気分。
お爺さんはほう、と相貌(そうぼう)を憐憫(れんびん)に染めた。

「お若いの、
見たところ、まだ十代半ばとお見受けするが、これはどうして。
可哀想なことよの。ワシはこの通り往生(おうじょう)したが、成したい事も沢山あったろうに、御仏(みほとけ)もこんなお嬢さんに無体(むたい)な事をなさるのか」

いたわしや、いたわしやと拝み始めた信心深(しんしんぶか)いお爺さんに私は慌てた。

「そんな事ないですよ。
第一私、生きてた時の事なんて、これっぽっちも覚えてないですし…」

「なんと…」

ヒルコさんに名前を呼ばれた時から私の記憶は始まる。自分のルーツに関する記憶が何も無い異様さに、お爺さんの言葉で始めて気がついたのだった。
両親もいない、夢もない、何も無い。じゃあ、自分って一体何なのだろう。

自虐(じぎゃく)の至(いた)りに辿り着こうとした時に、お爺さんの私の間の一線、だあんと晴天から着地した影。

「じいさん、余計な事吹き込んでくれるなよ」

私達の会話を見事ぶった切ったヒルコさんが「黙っていなくなるな」と私を諌(いさ)める。慌ててしたを向いた。
お爺さんは新たな登場者に大喜びである。
結局の説得も虚しく、お爺さんは歩道橋したから梃子(てこ)でも動く気はないようだった。
「ずっと待っておったんだが、
来ないわけだぁの。
やっと謎が解けて、お嬢さんには感謝じゃ」

ありがとうなお嬢さん、と肩を叩くお爺さん。常時上機嫌に笑顔を崩さないお爺さんに私はこれ以上何が言えただろう。幸せの顔。
私は黙して唇を噛んだ。

「なあに、時間はたっぷりある。
もう少し、待ってみるさね
今日は楽しかったよぉ、優しいお嬢さん。
お嬢さんの胸の大切なもんも見つかるといいね」


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