4

独りの神は人間と馴れ合った。

見えぬ決して狭めぬ溝。

現世のモノの有限の命。

果ての見えぬ己の存在。

永久を手に入れる為に、

神は、その人間を











「思ったより、早かったな」

哀れなものだ。薄手のシャツが乱れて肌が露出している。腹ばいで苦悶し、地面に爪を立てて指から血を流す。露出した肌の所々に魔を住まわせ、数々の肌から開いた眼球が上へ下へと視線を動かしながらあらざる者の鳴き声を上げていた。背中が異様に盛り上がり、ぼこぼこと波打つ。蛭子神は表情を変えず、視線を落としたまま沈黙した。
少し離れた所で、病みに侵された神と妖に転じよるかする神器を静観する。
夜卜特有の匂いをおって、夜卜に追いついたひよりは付している妖が誰なのか分かって、身体の心が冷えた。

「一凛、さん…!
夜卜、どうしましょう、一凛さんが……」

「近寄るな!」

思わず駆け寄ろうとするが夜卜に制止される。

「やめろ、お前まで病むことになる」

「でも…」

「ひより、ちゃん?」

ひよりの声に反応して妖が一時正気に戻った。

「一凛さん!」

「アア、ひより、」

「一凛…さん…?」

「ワカ、るよぉ、イイ、ニオイ。
だっテ、イツも、

ゴメ、な、さ、ゴメンナサ」

片言の言葉。要領を得ない、頭を抱えて、懺悔する、この異形は。
本当に、一凛なのか。信じられない。信じたくない。

「雪音くんも、…そうだ、夜卜、大黒さんと兆麻さんに言って、禊を!
前みたいに……。そしたら、一凛さんも元にもどりますよね」

夜卜は首を振った。

「なんで……」

「これは、主を刺したものと違う。
もっと根本的なものだ、禊をしても、元には戻らない」

「どうしてですか?一凛さんが…」

「それは、そこのヒルコガミサマに聞くんだな」

ひよりは、久しぶりに蛭子神のその姿を見た。

「蛭子神様」

蛭子神は平然としているが、神器が刺した証に病みは酷い物だった。

「や、夜卜と、同じ…」

「ああ、何でそれで立ってられるっつうんだよ。
化け物じみてんな、本当」

「だ、大丈夫なんでしょうか」

「…………」

黒いしみは顔の大部分を覆い、神に隠れている目は心なしかうつろだった。
蛭子神はブルゾンを脱ぎ、自分の神器の成れの果てに掛けた。
ブルゾンの下のインナー姿は更に哀れなものだ。しゅうしゅうと広がった爛れが肌を焼いて、肘から指先まで真っ黒。
病み疲れた微かな吐息のため息をつき、包んだ自分の神器を腕に抱え上げる。
乱れた髪を掻き分けると、瞳は見開いているが誰と認識してる様ではなく、時折痙攣を起こし、身体を仰け反らせて暴れた。其れを辛抱強く押さえつけ、落ち着いた後に砂にまみれた髪をてぐしで整えてやり、頬の砂を払ってやった。まるで慈しむ様に、何度か頭を撫でてやり、何処か表情が優しげで。口を挟むことが出来ない。破ることを許さない神聖な儀式のようだった。
寧ろその見れば凡そ人間であったなど思えない物に躊躇なく触れ、身体に走っている筈の激痛に意を返さず、変容した自分の神器のみを見て。
今までと、今の行動と、ひよりの中で整合性が見られない。夜卜と言ったら何時もは顔を見れば喧々囂々と嫌味を言うのが蛭子神の何時もの態度であるのに、まるで自分の内に不幸があった様な微妙な顔をしている。
かつて自分が堕ちながらも自分の神器を立ち直らせようとした出来事と同じように、また、蛭子神も対処をしようとしていることに。蛭子神は夜卜他神にない、病みに対しての頑強さを持つ。
妖に完全に転じてしまっても一凛の体の一の文字は消えない。永遠に蛭子神を刺し続けるだろう。蛭子神にとって、其れはさして重要なことではなかった。

矮小で、穢れに満ち、裏切りを繰り返す人間と言う生き物。それを好んで僕にする神々。自分の神器は怒りを露わにし、蛭子神を庇った。自分が、何なのか、自分の存在に激震を齎す、他者の自分の心への干渉を始めて自覚する。
日々離れても蛭子神の中まで響く甘美な疼痛に蛭子神は酔った。自分の思慕から来る不安を感じる度に、蛭子神は陶酔し、自分の借り物の身体を抱き締める。

それをまた、長い時を、独りで過ごすのか。
不安を齎す存在すら、理解の範疇を超える、恐怖の対象でしかない。だから捨て置けば、知らない所で消えてくれれば、これも治まるだろうと。元々、決められていた終わりを緩やかに迎え、また誰も呼ばず、名前だけが伝えられ、平和の神の陰で、またその影として、自分は流れていく。自分の宿命。

まだいたのか、と夜卜とひよりを一瞥する。
蛭子神に迷いはもう無く、駄目ならば、諸共朽ちてこのまま消えるだろう。これは、自分のものであり、「放つ」という選択はない。
今回は夜卜は大人しい。蛭子神に責任を問うて、攻め立てるのかと思いきや、そうではない。表情は苦々しげだが、夜卜は蛭子神を見ている。

「何処に、行く、つもりだ。

一凛はどうなる」

「聞いてどうする」

「お前が、一凛と一緒に心中するんじゃないかと思ってな」

「真逆」

「蛭子神、
一凛とは、召し上げた時が始めてじゃないな」

「誰から聞いた。
あの薄気味悪い野良か。
ならば、尚のこと知って如何する」

「………」

「この身体も、自分の物は何もない。
一つぐらい、オレの好きにして何が悪い」

可能性はまだある。
恵比寿が求めている「妖に名を与え、操る力」。その術が自ら調べた『黄泉の言の葉』にあると知れた。自分の目的は恵比寿の悲願の先にある。
恵比寿の傀儡(かいらい)として働いていた蛭子神は此処には居なかった。蛭子神は始めて、己自身の願いの為に此処に在る。存在する。誰の為でもなく、自身の為。
なり損ないの神器は、眠っていた最凶の神に、生まれたばかりの自分の形さえ形容できなかった時の嘆きと渇望を思い出させた。
人間にも神にも共通する、平凡な欲望、哀れな凶神は思い出した。





夜卜と蛭子神の言葉少なのやり取りは終わり、蛭子神は用は有らず腕の物を抱え直して、何処かに行こうとする。
「受験、頑張ってくださいね」一凛から、貰った値付けがポケットの携帯についている。ぎゅうと、それを握ってひよりはさけぶ。

「一凛さんを、連れて行かないでください!」

ここで別れたらきっともう、一凛には会えない。ほぼ小福家では不在の蛭子神には顔を合せなかったが、蛭子神がひよりは怖かった。歯がゆくもあった。蛭子神はいつも何も考えていないようで、自由でひょうひょうとし、愛嬌たっぷりの小福や世間擦れした夜卜とも違う。何にも興味がない主に一凛は振り回されているばかりのようであった。
初めに蛭子神と会った時は、小福家の時折の訪問者であり、無愛想で、雪音やひよりを煩わしそうに見た。夜卜から、行方の知れない神器がいると聞いていた。その神器が一凛が自分の少ししか違わない女の子だとは。夜卜、雪音、と同じに。こんなに好きになるなんて。
本番の受験は明日。「ひよりちゃん、受験が終わるまでは、我慢して。勉強頑張って」これが優しさなのか。自分のせいかもしれない。罪悪感。一凛がわがまま言ったから。聞けば、一凛は、ひよりが家の病院のことを頼んだあたりから、一凛は可笑しくなったようだ。そんなことも露とも知らず。自分の事で手いっぱいで。夜卜も雪音も何も話してくれなかった。「ひよりちゃんは、ひよりちゃんのやるべきことに目を向けて」自分の変調を薄々感じていたのだ。蛭子神はどうだったのだろうか。

「どうする、つもりなんですか。
なんで、何にも、どうして」

「まて、ひより」



「よう、そこで何してる」

夜卜の問いに影から現れたその相手は答えた。

「毘沙門天が神器、

藍巴。全ては姉様のために」








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