3

無視した、してないの問答は「もういい」のヒルコさんの一言でなあなあになってしまい、私はのんびり道なりに続く家々を眺めながらヒルコさんの少し後ろをついて歩く。
ヒルコさんはあれからちょっと変で、首の根当たりを何か大事が有るように撫でながら、「刺された、痒(かゆ)い痒い」と言って珍しく文句を言う癖に、「虫刺されですか、私が見ましょうか」と申し出ると「別にいい」と言ってぷいっとそっぽを向く。機嫌が悪いのかと思えばそうでも無くて、私もよくわからない歌謡曲を鼻歌交じりに口ずさんだかと思うと、目の前のスイーツ店で目移りしている私を見て、「食べて行くか」とそのまま引きずられて、ショートケーキと紅茶をご馳走になった。自分のを片付けるよりもじぃ、っと私が黙々と久しぶりの甘味に舌鼓を打ちつつ幸せな気分に浸っているのを見つめてくるので食べにくいったらなかった。
結局殆(ほとん)ど手付かずのもう一つも私が頂いた。因みにお金はヒルコさんのポケットマネーで支払われた。財布を覗いた限りでは、お札が何枚も入っていた。宿代をケチっていた理由をお金がないからだと思っていたので、だったらもう少しどうにかならなかったのかと今迄の粗野な生活を思い返し、ヒルコさんのちょっとずれた金銭感覚にがっくりと肩を落とすしかなかった。途中の私の電車賃もバス代も、全て彼が出してくれているのではあるのだが。

「アンタ、今、幸せな気持ちだろ」

人が変わった様に上擦った声で、こんな事を言う始末。

「久しぶりにケーキなんて食べましたからね、すごく美味しかったです。
どうも、ご馳走さまでした」

しかし私も現金なもので、イチゴと甘い生クリームを堪能し、店を出て来た後も何度も何度もこの僥倖(ぎょうこう)を繰り返し反芻(はんすう)し、心はうきうき、どうしたんだろう、と疑う気持ちも忘れて舞い上がってしまっていた。
早速お礼をと、頭を下げるとそれには興味無いらしく、「そうだろうそうだろう」と何度も頷いて、ふらふらと公園の方に歩いて行く。
やっぱり、春だから、だろうか。
すっかり変なテンションの彼に私は改めて少し冷静になって後ろ姿を凝視した。
公園の周りに植わる桜の花は次第に蕾(つぼみ)を綻(ほころ)ばせ始め、春の訪れを感じる。
花見も良いかなと思いつつ、その背中を追って、私は小走りになった。

公園では幼稚園児たちが砂場や滑り台の用具できゃっきゃと可愛らしい声を立てて遊んでいる横で、お母さんがたと思われる女性たちがベビーカー片手に談笑をしている。
ずべ、と目の前で転んだ女の子を助け起こして上げると、サッサとお母さんの下へかけていった。



一際立派な桜の大樹の下に探していた姿はあった。大きく伸ばされた枝には重そうなピンク色の蕾たちがたくさん付いている。春、麗(うら)らかな陽気、暖かな気候、梢を揺らす春風。
春爛漫(はるらんまん)の兆(きざ)しをじっと見上げて見つめながら、ヒルコさんは佇立(ちょりつ)していた。

「綺麗ですね」

「そうだな、きれいだ」

同意を求めた呟きではなかったので答えが返ってきて、思わず横顏に目をやってしまった。ヒルコさんは感動を口に出して表現するタイプではないと思っていたからだ。

しかし、全く桜に心を奪われてるのをみて、私も其れにならった。風流な光景に綺麗だなあ、素晴らしいなあと感嘆する。
「あ」出し抜けなヒルコさんの声。「嬉しい、楽しい、愛おしい」ばっと、ヒルコさんがこちらを向く。

「オレは、可笑しい」

「ヒルコさん…?」

「こんなの可笑しい、オレはこんなのは知らない」

変だ変だと呟いて、両手で頭をぐしゃぐしゃかき混ぜる。

「ヒルコさん」

「気が変になりそうだ」

悲愴な声でそんな事を言う。

「一凛」

「は、はい」

突然真顔で、名前を呼ばれて飛び上がった。

「手を繋ぎたい、ダメか」

「えっと、はい、どうぞ」

何を言い出すのかと思いきや。
おずおずと差し出される手がおかしくって、互いに握ったその手をそのままにして、暫(しばら)く風情のある情景を眺めていたのだった。

[ 9/95 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



TOPに戻る

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -