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「一凛さん、寝不足ですか」

くあ、と大きなあくびをしたら、傍で店番をしていた雪音君が心配そうに声を掛けてきた。
不細工な顔を見られたかと思うとちょっとはずかしい。

「え、……ああ、ちょっと最近寝れなくって」

「ごめんね、心配しなくても、大丈夫だよ、ちょっと考え事をしてて…
あ、雪音くん、ここは私が変わるから、もうそろそろ、ひよりちゃんが来る時間じゃない?」

「あ、やべ、こんな時間」

じゃあ、よろしくお願いします、ととたとたと家の中に走っていく。
箒を倉庫に置きに行ってから、店のカウンターに入り、中にお玉を手に取って、おでんの中身をかき混ぜる。温かい湯気を顔に浴びて、冷たくなっていた頬が温まる。
長いことに込まれた出汁は味見してみると絶妙で、中に浸かってる大根、卵、こんにゃくがすごく美味しそう。



正面玄関のがらがらと開く音がした。

その時、
勇ましい叱責と共に次々に聞き覚えのある名前が鋭く呼ばれる。
ぱしん、と鞭がしなる音。獣の唸り声。
不意打ちに、迫る脅威に固まる身体。

金色の髪をたたえ、憤怒を露わにした女傑。鬣を逆立てた肉食獣に騎獣して真っ逆さまに迫ってきた。

あ、ダメだ。
私の状況把握より早く、肩を強く捕まれ、引かれた。誰かが半歩下がった私を庇うように其れに臨(のぞ)んだ。
怠そうな身のこなしにジャンバー、ワークパンツ。
私の主、ヒルコさんだった。
出掛けていた筈の主が此処に居ることと、毘沙門さまが私と対峙していること。
ヒルコさんは滑り込むように間に分け入り、腰を低く落とす。
大人大ぐらいある獣が突っ込んでくる。迫る鋭い牙。

ヒルコさんは冷静だ。すっと足を蹴り上げ、ジャストタイミングで草臥(くたび)れたスニーカーの踵(かかと)が猛獣の鼻っ柱に振り下ろされた。ギャン、と地面に伸された獣は地面に転がる。
「あの、」
「嫌な予感がしたから」
跨(またが)っていた女傑は、ヒラリと身を翻(ひるがえ)して着地した。

振られた鞭を躱(かわ)して、体制を立て直すヒルコさんに更に追随を掛ける。

背を向けていたヒルコさんが、ふと、振り返る、
そして私を見た。

「一器、来い」

焦り一つない淡々としたそれ。
下された呼び名が、私の中に浸透し其れに従った。

私は、黒く長い其れに向かっていった。

ばちん、と拮抗する音。

女傑、武神毘沙門天は瞠目し、続きを忘れて鞭を引いた。
すかさず猫背が軽く沈む。


違う形になって形成された体は無機物なもの。遠くから自分を見つめている錯覚。戦況がよくわかる。
構えを取る主の両腕には、硬質のグローブのような物が覆われていた。
全身に感じているのは、主の両手。

「それが、水蛭子神の武具か」

「ご挨拶だな、毘沙門天。

アンタのところは、揃(そろ)ってオレに恨みがあると見える。禍根を持たれる覚えはないんだが。
其れとも、落神を更に追い詰めることが、アンタの流儀か。
そんな暇も在るまいに」

軽く準備体操をするように先程攻撃を受け止めた手首を振り言った。

「問おう。

何故、貴殿が此処に居る」

「アンタに詮索される謂(いわ)れはない」

「小福殿に御用か。
小福殿は中々の悪縁をお持ちだ。
いや、それよりも、何故貴殿が神器を使う。
神器を持てないのが、水蛭子神だった筈だ」

「持てない、は違う。
必要無かったから、持たなかっただけ」

「神器は、貴殿には過ぎた玩具だ。

神と神器の契約は神聖なるもの。
穢れを生む水蛭子神が人の魂を扱うなど、有ってはならない」

「思い上がりも対外だな。
裁定者(さいていしゃ)の真似事か」

問答の間に異変は起こった。私は違った物になりつつあった。
黒い何かは同調して私を覆った。
ひ、と叫びながら後ずさりするが、足元を絡め取られ、ズブズブと落ちて行き、トプンともがいた指先も泥濘に埋まった。息苦しさが私を襲う。
誰かが私を呼んだ。
ただ、自分の名前が何なのか、思い出せなかった。黒い世界。



「ちょっと!ひーくん!!」

高い誰かの叱責の声。

「解いて!今すぐいちいちを離してあげて。
このままじゃ、いちいちが壊れちゃう」

世界が戻ってくる。
覚えのある倦怠感が一際強い。
体がグッタリして、倒れる前に誰かに支えられた。

「毘沙門天、様!」

「凶兆の占を聞きに来た」

上位から私を見下し、毘沙門さまがおっしゃられる。

「お久しぶりです、毘沙門さま」

「ああ。久しいな、一凛」

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