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「一凛」

「は、はい」

それが自分の名前だと分かるのに数十秒を要してしまって、私は慌てて返事をした。

彼との旅の日々も何日か過ぎた。

私は段々彼との付き合い方が分かってきた。
歩くときはいつも一歩斜め後ろが私の定位置で、不思議なことに私が少し後れをとると、立ち止まってふと後ろを振り返り、待ってくれるようになった。
後ろに目でも、付いているのかしら。「なに」と言われて、「何でも、ないです」これも決まった彼とのやり取りになった。

この男の方はとにかくいろいろ無頓着で、基本いろんなことに興味がない。
無口なのも、好悪に関係なくこの人のスタイルなのだと気がついた。
話したい時に話し、眠りたいところで眠る。のらりくらりとした身のこなし、猫のように気ままにふるまう気楽な雰囲気。

でも、ちょっと少しばかり気遣いを見せ、何でもない事を妙にこだわる。
私があんまり怯えた晩から、夜の寝床は無人の雑居ビルの中や、小さな神社の拝殿の隅に変わった。
雨風凌げる分、よっぽどまし。

私は彼の気の変わらないうちに、寝床の打診(だしん)に首を縦に振った。
そして、これは彼の中では決定事項なのか、私が幼い子共に見えるのか、彼は私を腕の中に閉じ込め、就寝するのが通常のスタンスになってしまっていた。
実際、恥ずかしい話ではあるけれども、人肌の温もりと守られている安心感でようやっと彼の腕の中では、睡魔に身を任せることが出来た。私を狙ってくる異形のモノ達も、彼がいれば怖くない。
彼の傍にいると夜でも昼でも彼らは襲ってこなかった。
私は赤子のように丸くなって彼の背中に手を伸ばす。
彼の顎が私の頭の上にそっと乗っかる。
吐息が、耳に掛かる。自分とは違う心臓の音がする。
一人じゃないと思えた。私にはこの人がいる。私がはぐれてしまった時、彼はちゃんと探してくれた。


私には聞かなくてはならないことがたくさんだ。
例えば、夜に涌くように出てくる化け物の正体とか(彼はそれらを『魔』と呼ぶ)、私は幽霊になったの?とか、これからどこに向かっているのかとか、折(おり)を見て教えてもらおうとは思っているのだか、まず目下(もっか)の目標として、私は、

「あの」

彼の名前を知らないのである。

「あの」

「アンタはあの、あのばっかりだな」

そうは言うが名前を知らないから、あの、とかすいません、でしか、呼び止めようがない。

「だったら!名前を、教えて…ください」

尻すぼみになったがちゃんと言葉は届いたはずだ。
名前も知らない彼は、こてん、とやけに愛嬌のある動作で首を傾けた。

「名前?」

「そうです、名前」

「なんで」

なんでじゃない、なんでじゃない。

「私、あなたの名前、知らないんです」

「そうだっけ」

この調子で何でもかんでも無頓着だから困る。で、と彼は更に首を曲げた。

「それって必要」

「必要って、だって、名前を呼びたい時、呼べないじゃないですか!

ずっと一緒に居るのに」

『一凛』。これが私の名前。
彼が何にでもなかった私に付けてくれた名前だそうだ。
アンタはオレの『神器』。
シンキ、と言うものがいまだに何か私には分からないけれども、特別な言葉だ、と思う。

じゃあ、私は彼を何と呼べばいいのか。あの、じゃ味気もそっけもない。

「じゃあ、蛭子(ひるこ)」

「ひる、こ、さん」

一つ一つの音を噛みしめるようにその名前を紡いだ。

ひるこ、さん。変わった名前だな。

「ひるこさん、ひるこさんひるこさん」

「なに」

私の浮かれた顔に、は、と呼気を吐き出す彼。
彼から貰った返事はいつものものだったけど、心なしか、な、の母音が少しのばされ、そこか甘ったれたようなニュアンスで。

嬉しくなって、「ヒルコさん」と何かにつけ、名前を呼ぶのが私の癖になってしまった。



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