俺を忘れないでくれ、って言って目の前から消えていったあいつのことを覚えているか。幼馴染みでもあり、チームメイトでもあり、クラスメイトでもあり、親友でもあった霧野蘭丸は、七月に学校の屋上から飛び降りて死んだ。


夏休みは大体部活だった。今年も、全く休みが無いと有名な雷門中サッカー部ならではのスケジュールで、始まる前からうんざりしてる部員たちに俺と霧野は苦笑していたが、いざ夏休みが始まってみればみんな結構部活を楽しみにしていて、部活が終わってからも自主練をする人が多く、俺達は顔を見合わせて笑った。

「よかったな、みんな楽しそうじゃん」
「ああ、本当だな」

そう言って軽く背中を叩いた霧野はニッと笑った。あの時霧野は何を考えていたのか、そんなことわからない。けれどきっとこのとき既に覚悟を決めていたんだと思う。その日以来霧野は俺と口をきかなくなった。俺はといえば八月の頭にある強豪との練習試合のスターティングメンバーやフォーメーションで頭がいっぱいだった為、あまり霧野のことを考えていなかった。


七月の終わり頃、突然霧野から一通のメールが来た。
「やっと決心がついた。明日の朝九時に学校の屋上まで来てくれ。鍵はちゃんと開けとくからさ。」
短いけど分かりやすいメール、霧野らしい。明日は珍しく休みだったし予定もなかったので、俺は了解、とだけ返信してから携帯を閉じた。次の日俺は指定された時間通り屋上に着いた。朝とはいえ日差しが強く、グラウンドよりも太陽が近い位置にある屋上は昼間並みに暑い。軽く屋上を見渡してみるが、既にいるはずの霧野は見当たらない。

「…霧野?」

控えめに呼び掛けてみるとフェンスの方から返事が聞こえる。声がした方に向かうと、なんとフェンスの外側に俺を呼び出した張本人が立っていた。

「ぴったり九時に着くなんてなあ。流石だな、神童」

霧野はいつもと変わらない調子で笑っていた。なんでそんなとこに立ってるんだ、とか危ないから早くこっち来い、とか沢山の言葉が喉元まで来るが出てこない。フェンスの下は、コンクリート。こいつはそのこと知らないのか、なんなんだ。恐怖で上手く動かない足を前へ進め、霧野との距離を縮めると、奴はまた笑った。

「…な、んで、なんで、そんなとこに、いるんだよ」
「俺の存在意義を知ってるか」

一歩近づくたび、奴は俺から遠ざかっていった。あと一歩踏み出したら霧野はきっと目の前から消えてしまうだろう。戸惑いながらも「きり、の、」と震える声で呼び掛けると、フェンスの向こうにいる奴は話を続けた。

「俺は別に誰かの為に生きたいとかそういう考えの人間ではないんだ。基本自分の為に生きたいタイプ、自分第一って奴。けどさ、違ったんだよ、俺長い間勘違いしてたんだよ。自分以上に大切な人がいたわけ。いつの間にできてたわけ。そいつのこと考えると、自分のことなんかどうでもよくなっちゃうんだよ。自分の大切なもの?お金とか時間とか身体とかもうなんっでも!惜しみ無く捧げてやりたくなるんだよね、ほんと。まだ十四年しか生きてないのにそんな奴に出会えた俺ってものすごく幸福者。幸せすぎてもうなにが幸せなんだかわからなくなっちゃうくらい。なあ、俺はそれくらい神童のことが好きなんだけど、お前はそんな俺のことどう思う?」

一秒も間を置くこともなくここまで話し終えた霧野は、静かにこちらを向く。こいつの好きな人なんて、正直初めて知った。親友だけど知らないことばかりだったんだな。そう、親友。親友。俺は親友として霧野が好きだけど、霧野は親友としてじゃない意味で好いてくれている。それも今知ったこと。上手い返事が見つからない。暫くえっと、あの、と呟いてると乾いた笑い声が聞こえた。

「いや、いいから。そんなほんとに返事しなくていいよ。流石の神童でも上手い返事なんて直ぐには見つからないだろ。ウソ、全部ウソ。ごめんな、おちょくって」

しかしまあキョドりっぷりまじでやばいよ、と指を差して笑う姿から緊張感は微塵も伝わってこなかった。なんだ、フェンスの向こうに立っているのも冗談か、全く。久々の休みなのにこんなにハラハラさせるなよ。そう思いながら、笑いながら、また一歩、霧野に近づいた。

「神童、俺さ」
「ん?」
「俺さ、」

お前が俺を見なくなったら死ぬって決めてたんだよね。

「神童の為に生きて、神童の為にサッカーをしてたわけだからさ。もういいかな、って」

ずっと手に持っていた携帯が霧野の手から離れていった。ガシャン、壊れる音が微かに聞こえる。人間が落ちたらあんな音はしない。もっと悲惨で、残酷で、グロテスクな音。聞いたことはないけど。

「あ、でも俺は死んでも神童のこと忘れない。そりゃあ当たり前のことだけどさ、ハハハ」

まあ、暫くの間会えないけど、うん。じゃあな。

携帯のときとは比べ物にならないくらいゆっくりと落ちていったように見えた。穏やかに笑っていた。軽やかに手を振っていた。笑いながら、手を振りながら、泣いていた。暫く会えないけど、会えないけれど。会えない間に返事考えておくよ。いつかまた霧野と出会えたら、そのときはちゃんと返事するからな。俺の為に生きてくれてありがとう。ガシャン、じゃなくてバンッ。なにかが落ちた音がした。





死ぬのは怖くなかった。神童の為に死ぬってわけじゃないけど、これはこれで神童の為になったかなって。まあ結果、自殺ってわけだし天国にはいけないだろうけど、どこにいようと俺は神童の為にいたいと思う。俺は、お前の為に、いるんだ。
霧野蘭丸の人生は神童拓人の為のものなんだ。
じゃあな、と言ったとき何故か涙が出た。




20120301

企画 さよなら様に提出








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