「…?」

何かおかしい。
家の中から人の、あいつの気配がしない。
大抵は起きてるんだけど今日は時間も時間だし…寝ちまってるだけか?
嫌なくらいしんと静まりかえる空間に違和感を感じつつも、あいつがいるであろうリビングに足を踏み入れる。

「…何だよ、いねえし。」

照明が消えたままの部屋には誰もいない。
少し苛つきの混じった呟きは暗闇に吸い込まれた。
ここにいねえってことは…やっぱ寝ちまってんな。

「……、」

ここで風呂に入ってもよかった。
けど。
なぜか落ち着かなくて足早に向かった寝室にもあいつの姿はなく真っ暗なままで、その後いそうな部屋を捜すも結果は同じ。
そういえば…あいつの靴はあったか?
気にも留めなかったその存在に気がついて玄関へ向かうと、思った通り。

「…こんな時間からどこ行きやがった。」

こんなことは初めてで、若干苛つきつつも携帯を手に取る。
なかなか出ない相手に舌打ちをした直後、呼び出し音が途切れて。

「サッチ、どうしたの?」

相手は至極落ち着いていた。
そのことがやけに勘に障って、自然と声が荒くなる。

「どうしたじゃねえよ、今どこだ?」
「家だよ。」
「あ?嘘つくな、どこにも」
「私ね、家借りたんだ。」

意味がわからなかった。
同棲してるのに何で借りる必要がある?
そんな疑問が湧いた瞬間嫌な予感がして問いただしたいのに、うまく言葉が出てこない。

「昨日からだよ、黙っててごめんね。」

昨日。
そういえば昨日は家に帰らなかったからこいつの動向に気がつかなかったが…じゃあ本当に?
だんだんと思考が戻ってきたおれは、片っ端から部屋を見てまわる。
改めて見てみると確かに服や鞄、あいつの所有物がこの家からなくなっていることがわかった。
ばたばたと家の中を見てまわるおれとは対照的に、携帯からは合鍵はいつもの場所に置いたとか運び忘れてる荷物があったら捨ててほしいだとか、変わらず落ち着いた声が流れてくる。

「おい!ふざけた真似すんじゃねえ!」

自分はこんなにも焦っているのに、相手は至って冷静で。
そんな構図が余計に腹立たしい。

「サッチ、さよならしよう。」
「勝手なこと言うな!場所、今すぐ教えろ!」
「遊ぶのもいいけど、体に気を付けなきゃだめだよ?」

会話も成り立たない。
別れの理由なんてひとつしかねえ。
おれの女遊び。
昨日だってそれで帰らなかったし、家に帰らないこと自体よくあることで。
問い詰めたり文句を言ったりしなかったこいつに甘えて、おれは好き勝手遊んでた。
いくら遊んでもこいつはおれから離れねえっていう変な自信みたいなものがあったんだ。

「フィル!」
「…サッチ、付き合ってくれて、ありがとう。」

落ち着いている、その考えは間違いだった。
その声は震えていて、ずっと泣きたいのを我慢していたんだとすぐにわかった。
そのまま切られてしまい再度かけ直すも、繋がることはない。
いつもより静かで広い家の中、荒くなった心音が嫌に大きく聞こえた。

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