「受け取れませんって!」

彼女は病室にいた。
前と変わっているところといえば、ベッド脇に車椅子が置いてあること。
おれの姿をとらえるなり笑顔で挨拶をくれた彼女に紙袋をひとつ差し出す。
きょとんとしつつも素直にそれを受け取った彼女が中を見て声をあげたあと、慌てたように突き返しながら言ったのが冒頭の台詞。
余程予想外だったのか、病室だというのに何の抑えも感じられない声量である。
自分の口元に指を1本立ててやると、彼女は先の声量を思い出したらしくぴたりと固まってしまった。

「…好きだって言ってなかったかい、ここの焼き菓子。」

おれの勘違いだったかと思いかけたが、そんなはずがないのではてと首をかしげる。
手紙のやり取りをしていた時に両方とも甘いものが好きだと判明し、気に入っている店を挙げたことは記憶にしっかりと残っているのだ。

「そ、そうですけど…でも二度目じゃないですか!母から聞きましたよ!」

今度はちゃんと抑えられたらしい。
前回の見舞いの品は彼女の自宅に伺った際に彼女の母親に渡しているから、そのことを気にしているのだろう。
だが買った店は違うし、そもそもおれの好意でやっていること。
それに。
包みを見たときの彼女の表情の変化をおれは見逃さなかった。

「…新商品、」
「、え?」
「数量限定で出てたんだよい。気にならねえか?」

それを聞いた彼女は口を何度か開閉させるも、何も言わない。
しばらく葛藤していたようだが、最終的には恥ずかしそうにしつつもうなずいて肯定を表してくれた。
実のところ何を買うかなんて全く決めていなかったのだが、買う直前になって思い出した知り合いからの「新商品だとか限定物だとか、そういうのが女子は好きだったりするんだぜ」という頼んでもいない助言が役に立ったと言える。
…まあ一応、感謝くらいはしてやるか。

「ありがとうございます。で、でも折角ですし…マルコさんも食べませんか?本当に美味しいんですよ、このお店。」

彼女のために買ってきたのだからもちろん彼女に食べては欲しい。
だが彼女の誘いを断るということはしたくないし、遠慮ばかりさせてしまうのも本意ではない。

「わかった、そうさせてもらうよい。」

おれがそう言うと彼女は安心したように顔を綻ばせた後、前回と同じくベッド脇の椅子に座るよう促してくれた。

「いい天気ですね。」

窓から見える景色を眺めながら彼女が独り言のように呟いたので、おれは少し遅れて短い返事をする。
確かに今日は快晴で緑が一段と濃く見えはするものの、6月に入ったばかりだから暑いと言うほどでもない。
外を眺める彼女は楽しそうにしているが、けれど、何だか、

「…外、行くかい?」

もしかしたら、そうしたいんじゃないかと思ってしまって。

ーー


おれが思っていたよりも彼女は車椅子の扱いに慣れているようで。
後ろから押すことも考えたがそれは彼女のためにはならないだろうと並んで歩くことにした。
…言い出すのが恥ずかしかったということも理由のひとつにある。
病院の敷地は広く、やはり天気が良いからであろうがおれたちのように散歩や気分転換をしている患者たちを幾人か見かけた。
しばらく歩いた後、適当な場所を見つけたので座って話すことにした…のだが。

「マルコさんっておいくつですか?」

…彼女の言葉は心臓に悪い。
気になってて、次会ったら訊こうと思ってたんです。
そう付け足す彼女からすれば悪気は一切ないのだろう。

「…さあねい、当ててみな。」

声は何とかなったが、彼女を見てしまうと動揺が顔に出てしまいそうだったので遠くを眺めるふりをする。
静かに息を吐き出してから隣を見れば、小難しい顔をしておれを観察する彼女と目があった。
…ああ、この状況はまずい。
自分で作り出しておいてあれだが、何と言うか、こうただじっと見られると…長くは耐えられそうにない。
わざとらしくため息をついて視線をはずした後、呟きほどの大きさでとあるふたつの数字を並べてやる。
すると。

「えっ!」

まったくもって彼女は良い反応をしてくれた。
…おれに少なくない不安を抱かせるくらいに。

「どういう意味だい。」

ほんの少し不満を表す形で見てやる。
すると彼女は慌てて謝ってきたが、おれがわざとそういう形をとったことはわかったようで、申し訳なさそうにしつつもその顔は笑っていた。

「…あの、もっと下の方だと思ってました。」

複雑な気分とはまさにこの事だ。
若く見られていたようで嬉しいと言えばそうなのだが、実年齢を知った彼女の心境は何かしら変化してしまっただろう。
…いや、おれは何を期待しているんだ。
こんなこと、彼女からすれば迷惑でしかないというのに。

「…思ってたよりおっさんで驚いただろい。」
「いえ!」

もし。
ここで彼女がほんの少しでも肯定してくれていたなら、おれは変な期待を捨てることができただろうし、笑い話にでもしたのかもしれない。
なのに。

「…わたしは、その、素敵だと思います。」

どうにもおれは笑えそうにないんだ。

- ナノ -