「マルコさん、…ですか?」
「ああ。」

おれの名前を復唱する様子からして彼女が戸惑っているのは一目瞭然なわけなのだが、それは文通相手が突然目の前に現れたことだけが原因なのか。
それとも、やはり彼女の予想と大きく異なっていたからだろうか。

「手紙を読んだ。気になって見舞いに来たんだが…迷惑だったかい?」

言って、失敗したと思った。
迷惑かと訊かれて素直に肯定するはずがないし、おれの知る彼女なら尚更そうだろう。

「いえ!す、すみません、何だか驚いちゃって…」

思った通り慌てて首を横に振った彼女は読んでいた本をしおりも挟まずに閉じたり、乱れてもいないシーツを直したり、手櫛で髪を整えたりと忙しない。
予想外の来訪者を迎えようとする彼女を見ていたおれからは自然と笑みがこぼれる。
それに気づいた彼女は途端に動きを止め、恥ずかしそうにしながらもベッド脇にある椅子に座るよう示してくれた。

「フィル、です。…初めまして。」

互いを知ってはいるけれど、顔合わせはこれが初めて。
少したどたどしい話し方から緊張していることが伝わってくる。

「初めまして。」

窓から入る風が彼女の髪を揺らしている。
今の自分が何だか可笑しく思えてしまうのは歳の離れた文通相手と初めて会って、しかも緊張はするのにどこか落ち着きを感じてしまっていることにあるんだろう。

「すみません、初めてがこんな形で…。」

困ったように笑う彼女にいや、と短く返事をすると、見舞いに対してのお礼を言われた。
こんなことを言ったら彼女に悪いのだろうが、彼女の入院こそが今回会うきっかけになったわけで。
それに手紙でも済ませられるのにおれが見舞いをしたくて来ているんだし、謝るとすれば何の連絡もなしに突然会いに来たおれの方だと思う。
視線を彼女の足元に移すと、彼女がおれの考えていたことに気づいてくれたらしい。

「痛みはありますけど…大丈夫ですよ。それに、明日から車椅子に乗るんです。」

笑って話をする彼女は明日が待ち遠しいのだろう、やる気十分といった様子。
悲観する姿はどこにもなく、元々活発で明るい性格なのだと思う。
会った瞬間は大人しそうといった印象を受けたのだが、そういうわけではなさそうだ。

「そうかい。…退院は?」
「えっと…予定では来月の20日ですね。」

手紙の情報も合わせると…入院期間は約2ヶ月になる。
少し長い気もするが、それでも大事に至らなかっただけよかったというものだろう。

「入院、これが初めてなんです。だから最初のうちは新鮮だったんですけど、今はもう退屈で…。」

後半はある程度行動が出来るようになるとはいえ、残り1ヶ月半を病院内で過ごすとなると時間が余って仕方がないらしい。

「…おれでいいなら、」

苦笑する彼女を見て、衝動的に言いたくなった。
普段ならもっと色々と考えてから口にするのだろうが、気づいた時には言葉が出ていて。
しまったとは思うが、彼女がはたとこちらに注目してしまったので言い止めるわけにもいかない。

「話し相手になる。…そんなには来れねえが。」

言ってから気づくなんて、なかなかにおれは呆けてるんじゃないかと思う。
そうだ、つまりはそういうことなのだ。
会う前からあんなに色々と考えてしまったのも、彼女の反応が気になっていたのも、あんなことを言い出してしまったのも全て説明がつく。
おれは手紙をやり取りしているうちに知らず知らず彼女の存在が大きくなっていて、今回会ったことによりそれが自分の中で確かなものになったのだ。

「ご、ごめんなさい!そういうつもりじゃ…」

おれが気をつかったと思ったらしい彼女に慌てて謝罪された。
…彼女じゃなくとも、そう捉えるのが普通か。
会ったこともない相手に好意を寄せられているなんて思うはずがないのだから。

「いや、おれがそうしたいんだよい。」

ああ、こんな感情は久しく抱いていなかったな。
懐かしさと可笑しさでくつりと笑うのだが、やはりいつもに比べると心が落ち着かない。

「…困るか?」

肯定されないとわかっているから先に言い出した。
少しばかり狡いとは思うが、恥ずかしそうにする彼女を見る限りでは問題はなさそうに思える。

「で、でもマルコさんは…」
「…来るのにそう時間もかからねえしな、おれのことなら気にしなくていい。」

今の自分に何だか笑ってしまいそうになった。
おれはこの感情をどうしたいのだろう。
一時的なものだったともしかしたら収まるのかもしれないが、そうならない可能性の方が高い気がする。
となると気にかかってしまうのはやはり歳のことであったり、接点の少なさであったり、この感情はおれの一方的なものでしかないということだったり。
好きならそれで良いとは思うのにこうやって余計なことを考えてしまうのはおれの悪い癖。
けれど。

「…じゃあ、お願いします。」

そんなこと、今はどうでもいいか。
そう思ってしまったのは、彼女が控えめながらも嬉しそうな表情をしたからだ。

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