「…一応、薬飲もうかな…。」

適当に家から持ってきたんだけど…飲まないよりましだよね、きっと。
ふと鏡に映った自分を見ると、いつもに比べたら確かに元気がなさそう。

「…さっきも先輩に心配されたばっかりなのに、こんな顔じゃだめだ!」

誰もいないし、多少叫んだって大丈夫でしょ!
顔洗ってリセットしよう、うん!
…今日のためにやってきたんだもん、気合い入れなきゃ。

「さ、戻ろ……、あれ?」

何か…寒、い?

ーー


『…午前の部はこれで終了とさせていただきます。午後の部は13時から開始しますので、それまでに各自昼食をとって…』

「ねえジョズ、ぼくたちの本番って何時ごろなの?」
「…予定通りにいけば、15時20分だな。」
「じゃあさ、ちょうど昼休憩だし部室戻ろうぜ!指、慣らしときたいし!」
「そうだねい。調整もしてえしな。」
「…じゃあ決まりだな。行くぞ。」
「フィル、本番までここにはもう戻らないから荷物、忘れちゃだめだよ?」
「は、はい。」
「……。」

あのあと。
先輩たちのもとに戻ると、予想はしてたけどサッチ先輩が体調のことを訊いてきた。
けど、私が「顔洗って気合い入れ直してきました」って笑ったら、サッチ先輩は何か言いたそうだったけど、それ以上は訊いてこなかった。
唯一の救いは、他の先輩たちにはサッチ先輩との話を聞かれてなかったようで、特に変わった様子もなく私と喋ってくれたこと。
…きっと大丈夫。
本番までは、あとたったの3時間。
3時間、我慢すればいいだけなんだ。

ーー


「やっぱりさ、この服着ると本番って感じするな!」
「そうだね。ぼく、制服でするよりこっちの方が気合い入るなあ。」
「…フィル、パーカーなんて羽織ってたら暑くねえかい?」
「えっ?あ、いや…」
「マルコ、体冷やしたら歌いにくいだろ?それに、女の子は寒いの苦手なの。」
「まあ…着てても問題ねえが、本番近くなったら脱いどけよい。」
「は、い…。」

暑いなんて思わないし、むしろまだ寒いくらい。
本番用の衣装だけじゃ寒くて、迷ったけど余計にひどくなったら困るから結局パーカーを羽織ってたんだ。
マルコ先輩に訊かれたときは、本当に焦って上手く言葉が選べなくて。
でも、私の代わりに答えてくれたのはサッチ先輩で。
びっくりしてサッチ先輩の方を見たけど、先輩はこっちを向こうとはしなかった。
…一番怪しんでるはずなのに、どうして?

「準備は終わったか?気になる部分をチェックして、最後に1度だけ通す。」

イゾウ先輩が目の前にいるから、ますます気なんて抜けない。
このとき、本番2時間前。

ーー


体調は悪化する一方だった。
吐く息は熱いくせに体は寒くてぞくぞくするし、頭も体も朝よりずっと重くて何をしてもすぐに疲れる。
足がふらふらして、しっかり立ってられない。
一番辛かったのは、音。
歌うこともそれなりにきつかったけど、それよりも周りからびりびりと鳴り響く音が何よりも頭を強く揺らしてくる。
自分の声がいつもみたいに聞こえてこないんだ。

「…サッチ、」
「悪い悪い、本番はちゃーんと派手に決めるって。」
「…イゾウ、そろそろ時間だ。」
「……終わりだ、移動するぞ。」

サッチ先輩…珍しいな。
最後の先輩のソロ、いつもはもっとすごいのに。

「よーし!行くかあ!」
「トリなのはいいんだけど、それまで待つのが面倒だよね。」

…えっと、待機室に移動だったよね。
パーカー羽織なおそうかな…。

「…フィル、少し残れ。話がある。」

振り向いた先の先輩は、私の目を見てくれなかった。
…また、だ。
イゾウ先輩、何でそんな顔してるんですか。

「…は、はい。」
「あれ、イゾウとフィル行かねえの?時間きてるんじゃ」
「エース。…行くよい。」
「フィルちゃん、……先、行ってるな。」

嫌な予感はしてた。
よく考えたら、イゾウ先輩が気づかないわけがないんだ。
ずっと私の練習をみてくれてたし、集中してないことも見抜いちゃう先輩なら、いくら私が隠そうとしてても気づくに決まってたんだ。

「フィル、…熱はどれくらいあるんだ。」

そんなの知らないし、知りたくもないです。
言えば行かせてくれるんですか。

「立ってるのも辛いんだろ。見てりゃわかる。」

辛いから我慢してるんです。
見逃してはくれないんですか。

「音量、さっきの比じゃねえんだぞ。」

そんなことわかってます。
それでも、どうしても。

「今のお前の歌は聴けたもんじゃねえ。」

先輩、お願いです。
それ以上言わないで。

「フィル、お前は歌うな。」

聞きたくなかった。
私の今までが全部否定された気がしたんだ。

「…お前が歌ったら本気でやれねえやつもいるんだ。」

先輩があえて名前を出さなかったのは私のためと、その人のため。
結局、私は最後まで迷惑しかかけてなかった。

「…お前は保健室で休んでろ。わかっ…、おい!」

歌えない。
歌っちゃいけない。
じゃあ、何でここにいるのかなって思って。
はりつめていたもの、全部一気に解けて。
我慢してたもの、みんな抑えきれなくなって。

「フィル!」

視界は暗転、もう先輩の声も聞こえない。
このとき、本番30分前だった。

- ナノ -