何度かお邪魔したことのあるマンション前でひとり待っていると、黒のスーツを着た人がこちらにやって来るのがわかった。
頭を下げるとその人は片手を上げて返してくれる。

「こんばんは。」
「ああ。わざわざ来させちまってすまねえよい。」
「い、いえ、大丈夫です。」

鍵を開けたマルコさんに中へ入るよう促される。
マルコさんと私しかいないここはいつもよりずいぶんと静かだ。

「適当に座っててくれよい。ココアでもいいか?」
「!はい、」

脱いだ上着をリビングのソファーに掛けてマルコさんは部屋を出ていった。
いつもならひとり待たされた私は今ごろそわそわとしているんだろうけど、今日だけは変に落ち着いている。
それから五分ほど経ったところでマルコさんが戻ってきてココアを差し出してくれた。
受け取りながらお礼を言うと、マルコさんはなぜか苦笑い。
不思議に思う私の隣にマルコさんが座ったのでとりあえず今日呼ばれた理由を聞くことにする。

「あの、話って…」
「…サッチと何かあったかい?」

突然出てきたその人の名前に戸惑いを隠すことができなくて。
私の反応を受けたマルコさんはやっぱりというようにふう、と小さな息をはいた。

「…サッチ、さん、何か言ってましたか?」
「いや。…あいつの様子が少し変だったから気になったんだよい。あとフィル、お前もだよい。」
「え?」
「電話出たとき元気がなかった。今もな。」

…マルコさんがあの時大丈夫かって訊いたのは私自身のことだったんだ。
それに様子がおかしかったって…私のせいだ、私があんなことしたから…。

「喧嘩でもしたのかよい。」
「…そうじゃないです、けど…。」
「何なら酒でも飲むかい?少しは言いやすくなるかもしれねえよい。」
「!い、いいです!いらないです!」

焦って拒否するとマルコさんはくつくつと笑う。
立つ素振りも見せなかったからさっきのは冗談だったんだろうなと思う。

「…この前サッチさんに送ってもらったときに言われたんです。」

好きだ、って。
言葉にして思い出してしまった。
あの時のサッチさんの声と表情。

「私、本当にびっくりして、それで逃げ出しちゃって…」

心臓がぎゅっと苦しくなる。
…サッチさんは今どんな気持ちでいるんだろう。

「…フィルは何に悩んでんだい。」
「…サッチさんは真剣に気持ちを伝えてくれて。だから私もちゃんと考えて、自分の言葉で伝えたいんです。でも好きなのかどうか…自分のことなのによくわからなくて…。」

私がぽつりぽつりと話している間マルコさんは静かに耳を傾けてくれた。
これ以上続く言葉が無くて隣を見れば、しばらく黙っていたマルコさんが優しげに表情を緩める。

「…それだけ真剣に考えてもらえりゃあいつも嬉しいだろうよい。」
「え?だ、だって…」
「前のときはその場で断れたんだろう?…なのに何で今はそんなに悩んでんだい。」

ぴたりと声が止まる。
前はすぐに答えが出た。
今は…どうしてだろう、サッチさんから言われるなんて考えてもなかったから?
…違う、前の時だってそんなことわからなかった。
じゃあどうして…。

「…フィルにとってハルタやイゾウは何だよい。」

マルコさんがぽつりと、それでも私に聞こえるように呟いた。
私にとって…?
ハルタさんはこの前連絡先も交換したし、会うとたくさん話もする。
イゾウさんはまだちょっと近づきにくいなって思うけど…でも最近少しずつ仲良くさせてもらってる気がする。
ふたりとも知り合いって言うとそうなんだけど、何だかよそよそしい気もするし…

「…友だち?です。」
「じゃあエースは?」

エースは…友だちだ。
敬語なしも慣れてきたし、歳も近いから話しやすいもんね。
エースがいると楽しいし元気になれる…というかエース自身が明るいから私もそれに引っ張られてるんだろうな。

「エースも…友だちです。」
「…おれは?」

マルコさんも…友だちだ、それもすごく大切な。
マルコさんがいなかったらエースにもハルタさんにもイゾウさんにも出会えてなかったかもしれない。
…もちろん、あの人にも。
今だって真剣に話を聞いてくれてるし、そうじゃなくてもマルコさんには本当に良くしてもらってる。
感謝してもしきれないし…私にはもったいないくらいだ。
…いっぱい弱みを握られてる気もするけど。

「…頭が上がらない、大切な友だちです。」
「何だ、『憧れてる』は付けてくれねえのかい?」
「!は、はい…。」
「くくっ。…じゃあ、あいつは?」

…サッチさんとはたくさん話もするし、メールや電話だってする。
それに一緒に出掛けたこともある。
面白くて優しくて、私のことをいつも気にかけてくれて…すごく大切な友だちだってことはマルコさんと変わらない。
けど…サッチさんが他の人と付き合ったらって考えたあの時、私は素直に喜ぶことができなかった。
寂しいって思ったし…もっと話がしたい、もっと一緒にいたいって思ったんだ。
私にとって、サッチさんは…

「フィル」

突然名前を呼ばれた。
振り向いた先のマルコさんは正面を向いたまま目を閉じている。

「あいつは本当は臆病で腰抜けで…それ隠すために表面じゃ馬鹿やって調子のってる面倒癖えやつなんだよい。…けど、悪いやつじゃねえ。」
「……」
「あいつのこと、よろしく頼むよい。」

そう言って振り向いたマルコさんは私を真っ直ぐに見ていて、その表情は何だか優しくてあったかい。
私は何も言ってないのに…。

「…マルコさんはわかってたんですか?」
「何をだ?」

返答しようと思ったけど、マルコさんはきっとはぐらかすような気がしたので何も言わないままでいることにした。
すると。

「フィルはおれの…大事な友だちだからな。あんな顔されちゃ困るんだよい。」

私の頭をそっとひとつ撫でて。
そのやわらかい手つきに不安が流されていくようで、今まで感じていた苦しさが軽くなった気がする。

「…私どんな顔してました?」
「そりゃもうひどかったよい。この世の終わりみてえな…」
「!や、やっぱり言わなくていいです!」
「そうするよい。…もう大丈夫そうだしな。」

ふっと笑ったマルコさんはすごく優しい顔をしていて。
こんなに心配してくれるなんて…マルコさんと出会えて本当に良かったと思う。

「マルコさん。」
「ん?」
「ありがとうございます。本当に。」

返事の代わりに、マルコさんはただ笑ってくれていた。
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