もう一ヶ月ほど前になる。

「…あ、あれ?お前ら何ともなかったのか?」

おれの家。
エースとふたりで話をしていると、飯をつくりに来いと朝一の電話で呼び出しをかけておいたサッチがやって来た。
少し遅めの朝飯をとったあと「デザートもあるぜ」と言うサッチが上機嫌で出したのはマフィン。
三人分にしては数が多かったがここにはあの大食漢のエースがいるから問題はない。
やけに楽しそうなサッチにすすめられてエースとふたりで食べ始める。
だが、数が減ってくると(ほぼエースがひとりで食べている)サッチの様子がだんだんと変わってきて。
エースが最後のひとつを食べ終わったときに言い出したのが、さっきの言葉。

「ん?すっげーうまかったぞ!またつくってくれよな!」
「…サッチ、何か問題でもあんのかよい?」

そういや変に上機嫌だったしどうせくだらねえことでも企んでたんだろうな。
そう考えていると、ひとりで何か焦っていた様子のサッチの顔はみるみるうちに真っ青になって。

「…最悪だ。」

愕然としているサッチがおれたちに話し出したことは、こうだ。
今日乗ってきた電車で偶然隣り合わせた女の子がいたらしいのだが、どういうわけかこいつをひどく怖がっていたらしい。
しばらくしてその子が菓子の特集された雑誌を読み出したのを見て(あいつも料理関連は好きなもんだから)二、三度話しかけてみるも、よほど熱中していたのか無視されて。
やっと気づいたと思ったらさらに怖がらせてしまったらしく、罪悪感もあってかどうにかしたいと思ったこいつは。

「…結果、おれたちのどちらかに食わせるはずだった激辛のマフィンを間違えて渡しちまった、と。」
「うわ、サッチひでえ。」
「!!…エース、今おれ本当へこんでっから…」
「よりによって菓子好きの子に、ねえ。」
「うわ、その子かわいそうだなぁ…ってサッチ、どーした?」
「…放っとけ。」

…ということがあったので。

「…そしたら、その人がマフィンをくれたんです。私びっくりしちゃって…」

端から見てもわかるほど幸せそうにケーキを食べながらおれにむかって「最近あった出来事」を話すフィルは、まさにサッチが言っていた子だと思った。
さっき知り合ったばかりの子があいつの被害者だったなんて。
世間は狭いということを実感した瞬間である。

「へえ、そうかい。」
「結局謝れなかったし、それにお礼も言えないままで…本当ダメですね、私。」

そう言いながら、彼女はへにゃりと眉を下げて苦笑する。
彼女の話によるとその時のサッチは声は低いし目も鋭く、ぴりぴりした様子だったとのこと。
その上あの見た目のせいもあってか怖くて仕方がなかったらしい。
あいつの話じゃそんな態度をとっているつもりは無さそうだったので、どうせまだ眠かったか何かでそう見られてしまったのだろう。

「そんなことねえからそんな気を落とすんじゃねえよい。…ところで。」
「何ですか?」
「そのマフィン、うまかったのかよい?」

問うと、味を思い出したらしい彼女の目が泳ぎ出した。
当然うまいわけがないのだから、おれはてっきり首を横に振られると思っていたのだが。

「…す、すごく刺激的な味でした…。」

ひきつりぎみの笑顔でそう表現され、つい笑ってしまう。

「何だいそりゃあ。つまりまずいってことかよい?」
「あ、いや、…オイシカッタデス。」
「くくっ、そうかい。」

もうとっくにバレてしまってしまっているし、つくった本人がここにいるわけでもないのに。
片言の返答をしつつ、それでもまずいとは言わない彼女はきっと優しい心の持ち主なのだと思った。

「…来週末の予定は?」
「?テストも終わりましたし…特には。」
「チーズケーキのうまい店知ってるんだが…フィルも行かねえかい?」
「え!い、いいんですか!?」

驚きつつも、とても嬉しそうな顔をした彼女は表情を隠すなんてことは苦手そう。

「誘ってんのはこっちだ、構わねえさ。菓子とかケーキ、好きなんだろい?」
「は、はい!好きです!」

即答におれが笑うと、はっとした表情になって恥ずかしそうにうつむく。
だが恥ずかしがりながらも来週のことを想像して嬉しそうにする彼女を見ていると悪い気はしない。

「じゃあ決まりだな。その刺激的な味のマフィンよりうめえから期待しとけよい。」

彼女は一瞬キョトンとした表情だったが、吹き出すように笑いだした。
そのあと少しばかり互いの話をしていたら案外時間が経っていたらしく、それじゃあということで店を出る。

「長いこと付き合わせてわるかったよい、気ぃつけて帰りな。」
「い、いえ!すごく楽しかったです!」
「おれもだ。また連絡するよい。」
「わかりました。…あの、来週も楽しみにしてます!」

丁寧にお辞儀をして帰っていった彼女を見送ったあと、おれは携帯を取りだし電話を掛ける。
掛けた相手はもちろんあいつだ。

「ようマルコ、どした?」
「サッチ、来週末空けとけ。…おれの知り合いでお前に会わせてえやつがいるんだよい。」
「ふうん?…何だよ、やけに楽しそうじゃん。」

電話越しの声だけでおれの微妙な変化に気づくこいつは、結構鋭いところがある。
ここで事を教えてやって彼女への謝罪の品でも用意させようかとも思ったが、それはそれで面白くないので。

「そりゃ気のせいだろい。…時間とかはまたメールするよい。」
「りょーかい。そんじゃあな。」
「ああ。」

ふたりとも会ったらどんな顔をするんだろうな。
想像するだけでも面白くて、おれはその日が待ち遠しくなった。
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