『おはようございます。熱はもう下がって体調も良くなりました。今から大学に行ってきます。金曜日来てくれて嬉しかったです。ありがとうございました。』

そのメールに気がついたのは、会社に着いてエレベーターを待っているときだった。
添付されていた画像には体温計が写っていて、熱が下がった証拠としてわざわざ撮ったようである。
もしかすると、おれが疑うと思ったのかもしれない。

(んなことしねえのに。)

そう思いはしたが、不満だとか不快に感じたわけではない。
体調が戻ったことへの安堵はもちろんのこと、それに自信たっぷりに写真を撮ったであろうフィルちゃんを想像して、うっかり顔に出てしまいそうだったのだ。
いや、もしかするとすでに出ていたのかもしれないが。

(…ん、誰もいねえな。)

周囲を確認して静かに胸を撫で下ろす。
ひとり携帯の画面を相手にしまりのない顔をしているところを見られては、からかわれること必至である。
別にフィルちゃんのことを隠すつもりもないし、からかわれるのも慣れているのでそれはかまわないのだが…出来ることなら今は誰とも会わずにいたい。
今しばらくはこの気分に浸っていたいというか…不意に中断されたくないのだ。

『おはよう。熱下がって良かった。けどあんまり無理しねえようにな。夜十時ごろ電話してもいい?』

本当は今無性に声が聞きたいのだが、そこは我慢。
よし、今日はいつもよりがんばれそうだ。

ーー


「咳は?まだ出てる?」
「いえ。体が少しだるいくらいで…もう大丈夫です。」
「そっか。」

自宅にたどり着き上着を脱いで体を軽くしたあと、一息つきながら携帯を取り出した。
約束していたとはいえ相手にすぐ繋がったので、もしかすると携帯の前で待っていてくれたのではと思う。
そう考えるとその相手のことがただただかわいく思えて…しかしそれと同時に、自分も随分と惚れ込んでしまったものだと気恥ずかしくなるのだった。

「金曜日来てくれてありがとうございました。あの日はちゃんとお礼言えなかったから…。」
「ああ、いいのいいの。おれも心配だったし、顔見れて安心したから。それよりも…おれもちゃんと言ってなかったなって。」
「何をですか?」
「…家、ほぼ無理矢理上がっただろ?ごめんな。」

あのときはフィルちゃんを心配する気持ちが先走り強引に事を進めてしまったが、見舞いを終えたあとに己の行動を思い返してものすごく反省した。
症状はただの風邪のそれなのだから、具合を確認して見舞いの品を渡してすぐに帰るということもできたはずなのだが…看病をしないという選択肢は、弱った彼女を見た瞬間に頭の中から消え去ってしまったのだ。
…調理が必要な食材を買った時点で家に上がるつもりだったんじゃないかと言われれば、何も言い返せないのだが。

「女の子の家にあんな形で上がり込むのはよくなかったし…だから、ごめんな。」
「で、でも状況が状況でしたし、結果的に私もすごく助かったので…だからそこまで気にしなくてもいいですから、その…」

フィルちゃんはおれが謝ると、どう話にキリをつければいいものか困るようだ。
おれが言いたいこととは微妙にずれているような気もするが、これ以上話を深めるのは止めておこう。
彼氏として、年上の異性として信用されているのは喜ばしいことではあるし、警戒されたいわけでもないんだが…ううん、少し心配だ。

「…ありがとう。そう言ってもらえると楽になる。」
「そ、それより…」
「ん?」
「部屋、普段はあんなのじゃないんです!もうちょっと片付いてるし、洗濯物もまわしてるし、それから…」
「それから、ベポは違う場所にいるもんなあ?」
「!」

それからは慌てたような声と、必死の言い訳が聞こえてくる。
電話をし始めたときは元気がないようにも思えたが…そんなことはなかったようだ。

「ああ、ベポはいつもあの場所か。ごめんごめん。」
「だからそうじゃなくて…!」
「そんじゃ、おやすみ。」

これは後日聞いた話なのだが。
おれがこういう切り方をすると、フィルちゃんは勝ち逃げをされたような気分になって悔しいんだとか。
- ナノ -