「さっさと終わらせて出て来いよい。また風邪ひかせる気か。」

電話の向こう側で何やら叫んでいる(ような気がする)けど、マルコさんは通話を終了させてそのまま携帯をポケットに入れてしまった。
そして何事もなかったかのようにまた一息つくマルコさんを見ると、私の方が通話相手の心配をしてしまう。

「…知ってたんですか?私が風邪ひいたこと…」
「ハルタから聞いたんだよい。…アキか。彼女からハルタに連絡があったみたいでな。」

ハルタさんとアキはあの文化祭以降、連絡を取り合うようになったようだ。
始めの方こそアキは緊張して固くなっていたようだけど、今ではまるで特別仲の良い先輩後輩みたいな関係らしい。
気が合い、そして『共通の話題』にも困らない。
この前はイゾウさんも交えて三人で遊びに出掛けたとも話していた。

「そうでしたか。」
「…で、ちゃんと治ったのかよい。」
「えっと…風邪ですか?はい、もうばっちりです。心配してくれてありがとうございます。」

マルコさんは返事をせず、ただ静かに煙草を吸う。
けどそんなマルコさんを私は素っ気ないとは思わないし、むしろこれがマルコさんなりの返し方なんじゃないかなあと思うんだ。

「計算ミスだとか数字の入力が一段ずつずれてるだとか、データを保存し忘れるだとか」
「…」
「今日一日で何度もミスしやがるんだよい。」
「……ちなみに誰」
「お前の彼氏が。」

多分、多分あの人のことを言っているんだろうと予測はついたけど、マルコさんは私が訊くのを待っている気がして。
おずおずと尋ねれば、マルコさんは私の言葉にわざと被せるように返された。
きっと答え方もわざとだったに違いない。
私の反応を見たマルコさんは何だか呆れているようにも見える。

「まだ慣れねえのかよい。」
「そ、そういう言い方はなかなかされないですし、やっぱり恥ずかしいので…」
「…今はその後始末中だとよい。お前からもしっかりしろって言っといてくれ。」

そう言ってマルコさんは疲れきったようなため息をつく。
サッチさんから仕事のことを聞くことはそうないけど…私はサッチさんに対してそこまでミスをするようなイメージを持っていなかったから、マルコさんの話は何だか新鮮だ。
喫茶店以外のときのサッチさんはどんな感じなんだろう。

「…サッチさんって普段もそうなんですか?」
「そういうわけじゃねえが…とある相手と会う日はだいたい何かやらかしやがるよい。その逆で調子が良いときもあるけどな。」
「そ、そのとある相手というのは…」
「あいつにとって一番影響力のあるやつだよい。…知りたいか?」

意味ありげにマルコさんが笑うので、その不思議な圧力から目を背けることが出来なくなる。
さっき同じようなやりとりをやったばかりなのに…私は自分の学習能力の無さを恨んだ。
でもその答えはほぼほぼわかっていて、だからこそ答えを聞くのが恥ずかしくあるこの状態からどう逃げようかと焦っていると、タイミングが良いのか悪いのか。

「フィルちゃーん!」

背広を風になびかせながら、サッチさんが駆けてきたのだ。
初めて見るスーツ姿は私をあっという間に惹き付ける。
私服のときよりも凛々しさが増し、サッチさん本来の胸板の厚さや肩の広さも映えていて…とにかく、端的に言い表すとスーツ姿のサッチさんもすごく格好いいということだ。
髪型がきちんと整えられたオールバックだったことも、私が固まってしまった理由のひとつ。

「ごめん遅くなっ……大丈夫?」
「!は、はい、だいじょうぶです、」
「本当ごめんな。結構待った?」
「いえ、別に」
「遅ェ。どんだけ待たせんだよい。」

私と話していたときよりも不機嫌そうな声を受け、今度はサッチさんの頬がひくついた。
振り返ると、マルコさんはまだ火の残る煙草を携帯灰皿に入れている。

「お前には聞いてません。つーかロビー連れてくっていう発想も出来ねえのかこのバナナ。」
「それくらいしたに決まってんだろいクソリーゼント。本人がここで待つっつったんだよい。」
「あ、あの…」
「そりゃ遠慮したんだよ。少し考えりゃわかんだろ。」
「一緒にいたおれがそう判断したんだよい。」

こういったふたりのやり取りは何度か見ているのに、今日は何かが違う気がする。
明確には言えないけど…こんな息苦しさは今までに感じたことがなかった。
少しだけ怖いと思ってしまうくらいに。

「…けどなぁ、」
「サ、サッチさん、私が早く来すぎただけですし外で待つって言ったのも私ですから、」

これ以上言い合っている姿を見たくなくて、サッチさんの言葉を遮るように説明をする。
変にどくどくと鳴る心臓を抑え込み、必死に口を動かした。
するとサッチさんは困ったように、もしかしたら悲しそうに眉を下げて。

「…こいつの味方すんの?」
「み、味方ってわけじゃ…ひゃっ!?」

背中を押されて傾いた私を、サッチさんが咄嗟に受け止めてくれた。
後ろを振り返ると、マルコさんが会社へ戻ろうとしている。

「終わったんならさっさと連れて行ってやれよい。おれはもう戻るぞ。」
「あーあー言われなくてもそうすらァ。それよりもフィルちゃんのことはもっと丁寧に!丁重に!優しく思いやりをもって!宝物を扱うような気持ちで」
「わかったから会社の前で騒ぐなよい。…フィル、じゃあな。」

さっきまで感じていた息苦しさはいつの間にか消えている。
でも…マルコさんが少し遠くに行ってしまった気がしたのはどうしてだろう。

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