「ウチに何か用でも?」
「そ、その、人を待ってて…」
「…相手の名前は?」

視線の見えないサングラスと体格差からくる威圧感、そしてその人の低い声にびくびくと警戒してしまうのが申し訳ない。
どうしよう…まだ仕事中だったら急かしちゃうことになるからだめだし…そ、それにだよ?ここで名前出しちゃったら私が知り合いというか親しい人というか…つ、つまり私がそういう人かもしれないってわかっちゃうよね?そしたら私も恥ずかしいし、もしかしたら迷惑かかっちゃうかもしれないし……う、うん、やっぱりだめ!

「だ、大丈夫です、終わるまで待ってますから、ほんとに、」
「……そうか。」

半ば頼むように言うと、縦縞模様の帽子をかぶったその人はしばらく私を観察し、そして短い言葉のあとにくるりと背を向け街のどこかへ消えてしまった。
緊張が一気にとけて、肩の力がすとんと抜ける。

(…まだかな。)

私は心臓を落ち着けながら、また高いビルを見上げた。
今日はサッチさんと夜ご飯を食べに行くんだ。
先週は私の風邪で行けなかったけど…もう体調はばっちり、早く行きたくてわくわくしてる。
サッチさんは終わったら迎えに行くと言ってくれたけど、私の方が先に終わるから私が行きますと押し通したのだ。
先週の約束をだめにしてしまったからと言えば、サッチさんは苦笑して引き下がってくれた。
それはそうと…

(いつ見ても大きい会社だなあ…。)

近くで見上げると首が痛くなるくらい。
サッチさんの話によると、入り口も三ヶ所あるようだ。
私も使ったことのある喫茶店用のものと、正面玄関のようなものと、建物内の駐車場へと繋がる専用の入り口…今私がいるのもそこになる。
といっても、出入りする車の邪魔になるといけないから、その場所から数メートル離れたところで建物を背にして待っている状態だ。
会社の入り口付近で、少しお洒落をした(はずの)女性が、ときどき建物を見上げながら誰かを待っている…

(何だろう、これって……)

彼女みたい。
そう考えてしまったら最後、じわりじわりと顔に熱が集まっていく。
い、いや実際そうなんだけど…こうやって会社前で待ってるのなんて初めてだし、いまだに『サッチさんの彼女』という響きは照れるというか、恥ずかしいというか…

「あいつならまだ出てこねえよい。」
「ひゃあ!?」

驚いた勢いそのままに振り向くと、スーツ姿のマルコさんが少しだけびっくりしたような顔で立っていた。
きっと私の反応が大きかったせいだと思う。

「…そこまで驚かなくてもいいだろい。」
「ご、ごめんなさい、でもびっくりして…」
「知らねえやつが会社の近くをうろうろしてるって連絡があってな。受けたのがおれだったから見に来てみりゃあ…」
「!」

さっきの人だ…!
きっと私の説明だけじゃ、不審者ではないと確信が持てなかったのだ。
連絡を受けてくれたのがマルコさんで助かっ…いや、きっとからかうネタが増えたとか思ってそうだ…。

「…そんなに不審者っぽかったですか?」
「…どうだかな。」

ぜ、絶対そう見えたんだ!
マルコさんとは久しぶりに会ったけど、落ち着き払った雰囲気と少しだけ眠そうな目、そして私を鼻で笑うところだって変わらないようだ。

「中で待つか?ロビーにでも座ってりゃいい。」
「い、いえ、私が早く来すぎただけなので大丈夫です。」
「日が落ちてるから危ねえ。それに冷えるだろい。」
「で、でも私的なことで待たせてもらうのは申し訳ないですし…その…」

サッチさんの彼女として見られること自体は嫌ってわけじゃない。
ただ…付き合っているのが私なんかで申し訳ないなって気持ちと、並んだときにどうしても周りの視線が気になってしまうんだ。
私を選んでよかったって思ってもらわないといけないのに。
サッチさんはこうやって卑屈になるのは好きじゃないと思うんだけど、私はまだ乗り越えられそうになくて…。

「変なところで遠慮するやつだよい。」

マルコさんはしばらく私の様子を見ていたけど、ふうとため息をついて私を挟んだ反対側に移動する。
そのあと内ポケットから煙草を一本取り出しくわえると、風で火が消えないように手で被いながら火をつけた。

「えっと…」
「ただ待ってるのも暇だろい。話し相手くらいにはなってやるよい。」
「…いいんですか?」

細く吐かれた息が、私とは逆の方向へと流れていく。
一瞬だけ私に寄越された目は優しかった。
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