「フィルちゃん出来たよ。食欲ある?」
聞こえてくる音がだんだんと心地よくなって。
意識が深く沈みかけていた私をサッチさんの声が引き戻してくれた。
目を開けて少し頭を傾ければ、変わらないサッチさんの姿とその後方で立ち上る湯気が視界に入る。
そのあとにふわりと流れてくる優しいにおい。
「いいにおい…」
「…大丈夫そうかな。起きてこっちで食べよっか。」
こくりと返事をして重たくなった体を起こす。
簡単な動作にさえも一呼吸ついていると、サッチさんが服を差し出してきた。
「寒いよな?これ着てて。」
深い緑色のダウンは確かサッチさんが着ていたもので。
見上げるとサッチさんは何か言う代わりに服をさっとかけてくれた。
余る肩幅と、その時わずかに拡がったサッチさんのにおいに戸惑いつつ促されるままにテーブルの前へと移る。
冬によくお世話になる一人用の土鍋の中には葱が入った玉子粥。
不思議なことに帰宅直後はなかった食欲もこのお粥を目の前にすると、気がついたようにお腹が空いてくる。
「あの、サッチさんは…」
「味見とかしたしあとで食べるからいいの。ほら、おれにちゃんと看病させて?」
隣に座ったサッチさんがレンゲを差し出しながらそんなことを言うから。
それ以上は何も言えなくて、受け取りながら小さくお礼だけ返したけど目も合わせられなかった。
「…いただきます。」
「召し上がれ。…熱いから気を付けてな。」
少し掬って口に運べばほっと息が出た。
サッチさんの優しい性格をそのまま表したみたいに食べやすくて安心する味で…食べる前よりも食欲がでてきた気がする。
「おいしい、です」
「よかった。無理しなくていいから食べられる分だけ食べて。」
「ありがとうございます」
仕事終わりなのにこんなことをさせて申し訳ない気持ちはあるけど…私ひとりじゃきっとご飯なんてつくらずにそのまま寝込んでいたと思うからサッチさんが来てくれて本当に助かった。
それに具合が悪くて沈んでいた気持ちもサッチさんが来てからは不思議と感じないんだ。
「しっかし、こうなるとはなあ…」
ぽつりと。
いつの間にか仕掛けてあったらしいケトルを片手にしたサッチさんが小さく唸っているのが聞こえた。
確かに当日の、しかも直前に断られるなんてサッチさんも予想していなかったはず。
予約もキャンセルさせちゃったし…申し訳なさで一杯になってくる。
「…ごめんなさい、次から」
「あ、違うちがう。そうじゃねえの。」
苦笑しながら手をぱたぱたと振られて。
そのあと慣れた様子でお茶を淹れてくれるサッチさんに自然と食べる手も止まる。
「おれな、フィルちゃんと付き合って初めて振る舞う料理は何がいいかってすっげえ悩んでてさあ。あ、前のタルトはカウントしちゃだめな?」
「……」
「で、フィルちゃん玉子好きだろ?だからおれ特製ふわとろオムライスなんてどうかなーって考えてたとこだったの。」
サッチさんの特製オムライス…!
しかもふわとろだよ!?サッチさんがふわとろって言うくらいだからきっと半熟でふわふわのとろっとろで…そ、想像するだけでも美味しそうなんだけど…!
「オムライスすきです…!」
「あーほら、やっぱりな?だから…何か拍子抜けつーか、ちょーっとがっかり?みたいな。」
そんなことを考えてくれていたなんて全然気づかなかった。
気にしないでと苦笑しながら言ってはくれたけど…ついため息がでてしまいそうになる。
「…ご、ごめんなさい。」
「ひひっ。…まあ今回は例外ってことにしとくから」
その代わり早く治そうな。
そう言ってふっと表情を崩したサッチさんに私は一度頷くのが精一杯だった。