『おはよう。起こしちゃったらごめんな?
オシゴト行ってきまーす。フィルちゃんも授業がんばってな。』

アラームが鳴った携帯にはメールが一件届いていて、差出人の名前を見て眠たい頭も一気に覚醒。
昨日も夜遅かったのに今日のサッチさんは朝早くから仕事らしくて、本人もそう言っていたけどやっぱり大変な時期なんだなと思う。

『おはようございます。朝晩冷えてきたので風邪とかひかないように気を付けてくださいね。』

…どうしよう、このタイミングであのことに触れたら変かなあ。
『そういえば今日で付き合って一ヶ月ですね、これからもよろしくお願いします』とか?…でもやっぱり唐突すぎる?
そ、そもそもサッチさんは今日のことに気づいてたりするのかな。
これでもしそうじゃなかったら恥ずかしすぎるし、仕事が大変そうだから気をつかわせたり負担になるようなことしたくないし…

「……」

と、とりあえず今はこれだけにしておいて…うん、今日一日ちゃんと考えてどうするか決めよう。

ーー


「どうしよう…」

今日はずっとこればかり。
通学中も授業中も、家に帰ってきてからもずっと。
友だちだったらきっと「悪いことでもないし送ればいい」なんて言うと思うんだけど…私にとってはそんな簡単なことでもない。
恥ずかしいということもあるし、面倒くさい女だなんてやっぱり思われたくないし、そんなことを考えていたら私の自己満足に付き合ってもらうのも気が引けてきてしまう。
時刻を確認すると今日が終わるまであと二時間を切ったところ。
サッチさんとはお昼過ぎに一度やり取りをしたきりでそれ以降返信はないから、どうやら今日も遅くまで仕事らしい。
…こうやってひとりで過ごしていると私が一方的に好きでいるような気持ちになってきて何だか寂しいというか…不安を感じてしまうのでそれを追い払うように頭を振る。

「まだかなあ…」

…うん、返信が来たらいつもと同じように返して、それからおやすみなさいって言って寝よう。
自分に言い聞かせながら携帯の画面を眺めていると、ずっと待っていた反応があった。
でも珍しくメールじゃなくて。

「も、もしも」
「もしもしフィルちゃん?まだ起きてる?もう寝るとこじゃねえ??」
「は、はい、起きてますけど…」

早口で、少し声が大きくて、さらには質問続き。
私が思うサッチさんはいつも余裕があるというか…滅多に取り乱したりしないイメージだから今みたいな姿を見ると私の方が戸惑ってしまう。

「ごめんあと一時間!一時間でそっち行くから起きてて!お願い!」
「…えと、わかりま」
「よろしく!着いたら連絡するから!」

まるで嵐が過ぎ去った後のよう。
部屋も耳もしんと静かになって、私といえば携帯を手にしたまましばらく固まってしまった。
えっと…つまりサッチさんが今から来る、あと一時間後に。
そこからはもう大急ぎだ。
パジャマなんかで前に出られないから着替えて髪を最低限整えて…そんなことをしながらもしかしたらひょっとするとなんて都合のいいことを考えて期待してしまうから落ち着いて待ってなんかいられなくて。
とうとう外に出ていつもの場所で待っていたら、予定の時間から十分ほど経ってそれらしい車が近づいてきた。
その車はやっぱりそうで、私の近くで停車したあとサッチさんが慌ただしい様子で降りてくる。

「あの、お疲れさ」
「何で出てんの!着いたら連絡入れるっつったでしょ!」
「だ、だって…」
「まあ少し…つーかだいぶん嬉しいけど。」

ざっくりと髪をかきあげながらそんなことを言われると余計に返事に困る。
サッチさんに少しでも早く会いたくて出ていたなんて…そんな恥ずかしいことを私が言えるわけがない。

「フィルちゃん今日何の日かわかる?」

不意に出された問いは私がずっと考えていたこと。
一応返すことはできるけど、それをしないのはもしもの時が怖いからじゃない。
目の前のサッチさんがその可能性を考えさせないくらいににやにやと愉しそうな顔を浮かべているせいだ。

「その、……」
「お?そーいう反応してくれるってことは意識してくれてたみたいだなあ?」

サッチさんには私の考えていることなんて何でもお見通しらしい。
どう返そうか必死に考えているこの時間もサッチさんが意図してつくっている気さえしてくる。

「この前でもよかったんだけどやっぱ今日の方がいいかなって。…こんな時間になっちまってごめんな。」

そう言ってサッチさんが差し出してくれたのは小さな箱で。
少しだけと開けてくれたのを見れば、入っていたのはきれいに飾り付けられた苺のタルトがひとつ。
サッチさんを見上げるといたずらに笑っていて、聞けばここに来る直前に仕上げてくれたそう。

「うれしいです、すごく、」
「ひひ。すげえ自信あるから期待してて。」
「あ、ありがとうございます、…あの、私、」

サッチさんの気持ちに嬉しくなるけど、それと同時に感じる後ろめたさ。
私か言いよどんでいるとサッチさんはそれすらもわかってくれたらしい。

「ああ、別にいいって。これはおれの自己満足な?意識してくれてただけで十分嬉し……」
「ど、どうかしました?」

突然口を動かすのを止めたサッチさんは手を顎に運んで何か考える素振りをし始めた。
合わない視線を眺めること十秒ほど、それから戻ってきた目はさっきまでの優しいものとは全く異なっていた。

「『サッチさん大好き』。」

目を細めて、にやりと笑みをつくって。
じいっと私を見てくるサッチさんに全部わかってしまいそうになるけど、理解してはいけない気がして思考を強制的に終了させる。

「ええと…」
「フィルちゃんてば全然言ってくれねえし?サッチさんめちゃくちゃ聞きたいなあ?」

嫌な予感というものは何でこうも当たるんだろう。
た、確かに私からは言ってませんけど今じゃなくても…!

「そ、それ以外は」
「へえ?『サッチさん愛してる!』がいいって?おれはそっちでも全然かまわねえけど?」

そんなこと一言も言ってないです…!
けど今のサッチさん相手ではどんな抵抗も意味をなさない気がして。
観念したように黙りこめば、いつでもどうぞというようにサッチさんも口を閉じる。

「…サ、サッチさん、」
「はいはい何でしょう。」

わざとらしい言い方をされて一層言葉が詰まりそうになるけど。
恥ずかしさもやっと飲み込んでぽそりと声に出せば、堪えるように笑ったサッチさんがもう一回と要求してきたので慌てて断った。
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