『書類を忘れてしまいました。午後の会議で使いたいので、申し訳ないのですが会社まで持ってきていただけますでしょうか。』

『愛しのナマエへ』と題されたメールにはそう書かれてあった。
忘れ物ないですかってちゃんと訊いたのに…。
数ヵ月に一度のペースで起こる慌ただしい朝の出来事を思い出しながら、歩き慣れないオフィス街を進んでいく。
鞄の中には書類が入った青色の封筒。

(…受け付けの人に事情を話せば渡してくれるかな。)

仕事中のサッチさんを見てみたい気もするけど…邪魔したくはないもんね。
そうしよう、とひとり頷いたところで目的地に到着した。
サッチさんの奥さんらしく振る舞わないと…!
一度深呼吸をしてから大きな自動ドアを抜け、立派な内装に少し緊張しつつ受付へと向かう。
受け付けの人も、にこりと笑かけながら挨拶をしてくれた。

「こんにちは。いつも夫がお世話に…」
「お、ナマエじゃん。」

声がした方を向くと、サッチさんを通して知り合ったエースさんが笑顔を浮かべていた。
こっちに向かってきてくれるので、受付の人に頭を下げてから私も足を運ぶ。

「どうした?サッチに用か?」
「はい、渡すものがあって…。」

鞄から封筒を取り出して見せると、エースさんは察したのか苦笑いを浮かべた。
もしかしたら朝サッチさんを見かけたか何かで寝坊したことを知っているのかもしれない。

「朝からお疲れさん。おれが渡しといてやるから…いや、待てよ?」
「…エースさん?」
「一緒に行こうぜ。あいつが仕事してるとこ見たくねえ?」

邪魔にならないのかな、仕事中なのにいいのかな。
他にもいろいろな心配事があったものの、エースさんの「大丈夫だって!」という元気な一言に押しきられてしまうのだった。

ーー


すれ違う人たちに会釈をしつつ、それぞれの部屋を覚えるだけでも大変だなあと思いながら広い社内を進んでいく。
サッチさんがここで毎日働いているんだと思うと、それだけで特別な場所に思えてくるから不思議だ。
しばらく歩いていると、案内してくれていたエースさんがあの部屋だと言って歩調を緩めた。
目の前まで来たエースさんがほんのわずかにドアを開け、隙間から中の様子をうかがってくれる。

(んーと…いたいた!ほらあそこ、後輩の相手してるな。)

言われて同じように中を覗くと、エースさんの言葉通りサッチさんの姿を確認することができた。
サッチさんは後輩の人のデスクに手を付き、立ったままパソコンの画面や資料らしきものを見ながら話をしている様子。
家での穏和なものとは違い、その表情は引き締まっている。

(仕事中のサッチさんってあんな感じなんだ…。)

落ちてくる前髪が邪魔になったのか、話の合間に髪を耳にかける仕草にだって真新しさを覚えてしまう。
普段は見ることのないサッチさんの一面にぼうっと見とれていると、隣のエースさんが小さく手招きをしたあといたずらをする子どものような笑顔を浮かべてサッチさんの方を指差した。
どうやらこっそり近づいて驚かす作戦らしい。
静かに部屋へ入り、姿勢を低く保ちながらデスクの間を進むエースさんの後ろを私もそろりそろりと着いていく。
もちろん部屋には仕事をしている人が他にもいて、私たちのことに気づきはするんだけど…エースさんが周りに目配せをするだけで不思議と意図が伝わり、みなさんは何も知らないといった風に視線を手元に戻すので、これといった苦労もしないままサッチさんの背後まで到着してしまった。
会社の人たちのチームワークがすごいのか、はたまたサッチさんが仕事に集中しているからかはわからないけど、サッチさんは私たちの存在にまだ気付いていないみたい。
スーツにおおわれた大きくてたくましい背中は朝いつも見ているけど…場所が変わるだけでこんなにも違って見えるんだなあ。
改めてサッチさんへの気持ちを確認していると、エースさんが『行け』とジェスチャーをくれた。
サッチさんはまだ話の途中だけど…せっかくだもんね?

「…れは月末までに上げといてくれ、頼むな。それからもうひとつは…」
「サッチさん」
「どわっ!!?」

びくっと両肩を上げながら振り向いたサッチさんは、本当に驚いたのか目を見開いたまま固まっている。
やっぱり直接手渡しにくるなんて思いもよらなかったみたい。

「忘れモンすんじゃねーぞ?」

サッチさんとは対照的に、作戦が成功したエースさんはとても楽しそう。
上機嫌な様子で私を促してくれた。

「ごめんなさい、話の途中に…。」
「い…いや、そもそも持ってきてくれっつったのおれだし…」
「どうぞ。仕事、がんばってくださいね。」
「…おう、助かった。…ありがと。」

他の人の目があるからか、サッチさんは少しぎくしゃくとしながら書類を受け取った。
頃合いを見てエースさんが声をかけてくれたので、他の人たちに会釈をして早々に部屋を出る。
静かにドアを閉めると、こちら側まで聞こえるくらいの大きな声が中から聞こえてきた。

「お前らこっち見てねェで仕事しろ仕事!!」

真っ赤になって叫ぶサッチさんが思い浮かんだんだけど、私の想像は当たっているだろうか。


◇リクエスト内容◇
きりっとしたかっこいい隊長さん
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