「…… ……」
「…んぅ、…」

誰かの声が聞こえてきて、次いで優しく肩を叩かれる。
ゆっくりと意識が浮上して目を開けると、暗がりの中でサッチさんが私を見下ろしていた。

「…え?サッチ、さん…?あれ?」

浮かぶのは疑問符ばかり。
ぼんやりとする頭で理解したのは、何故かここが車の後部座席だということ。

「おはよ。大丈夫?」
「えっと…」
「水飲む?はい。」

買ったばかりなのか、運転席に座っていたサッチさんがよく冷えたペットボトルを差し出してくれた。
手から伝わるその冷たさに寝ぼけていた頭もだんだんと覚めてきて…

「!ご、ごめんなさい!わたし」
「いいって、初めて酒飲んで時間も時間だったし…あいつらも心配すんなって言ってたから。」

祝ってもらっておいて寝るなんて…!!
自分がやってしまったことにただただ反省していると、サッチさんは苦笑しながら体勢を変えて後ろを向いた。

「大丈夫だいじょーぶ。寝落ちなんて酒の席じゃよくあるから。」
「でも…」
「どうしても気になるなら明日一言入れる?今日はもう遅いし、な?」
「……はい。ごめんなさい。」

気を落としながら窓から外の様子を確認すると、暗いながらも馴染みのある景色が見える。
どうやら寝てしまった私を家まで送ってくれたようだった。

「歩けそう?家の前まで送るな。」

それはまだ聞きたくなかった言葉。
でも家まで送ってくれて、さらに心配もしてくれるサッチさんのことを考えると何も言えず、出来るだけ顔に出さないようにしながらうなずいた。

「うわ、やっぱまだ冷えるな…」

車を降りると、サッチさんは小さくない声でそう言った。
私からの返答を求めているようでもなくて、視線は合わない。
もう深夜なので出歩いている人は見当たらず、玄関までの道のりをふたり並んで静かに歩いた。
歩く速度がいつもよりゆっくりな気がしたのは、私の希望的観測なだけだったのかもしれない。

「ありがとうございました。」
「いいって。…忘れモンとかねえ?」
「はい、多分大丈夫です。」
「もし車で見つけたらまた連絡する。あと…風呂入るとき気を付けてな。酒残ってると危ねえから。…それと、」
「あの、…サッチさん」

みんなにお祝いしてもらった時間もすごく楽しかったけど、やっぱりサッチさんだけは特別で。
せっかくサッチさんとふたりきりになれたのに、こんなにも早く別れてしまうのは納得も我慢も出来そうにない。
たとえ自分のせいでそうなったんだと分かっていてもだ。
我が儘だって思われてもいい。
でも今日は、今日だけは。

「じ、時間、…もう少しだけ大丈夫ですか?」

ーー


「お邪魔します。」

わ、私ってばすごい大胆なことしてるんじゃ…!?
ばくばくと心臓を鳴らす私をよそに、サッチさんが少し抑えた声で家に上がる。
さっきの私の発言にはサッチさんもびっくりした顔をしていたけど、そのあと意外にもすんなりと誘いを受けてくれた。
本当に大丈夫だったのか、それとも内心困っていたのかは私にはわからないけど。

「な、何か飲みますか?」
「そんじゃ…コーヒーもらおうかな。大丈夫?」
「は、はい。」

恥ずかしくて、少しよそよそしくなっている気がする。
それがサッチさんにも伝わってしまっているのか、お湯が沸いて飲み物をいれるまで終始無言の時間が続く。
おとなしく座っているサッチさんの前にコーヒーを置くと、お礼のあとに続いて紺色の箱を差し出された。
それは手のひらに乗るくらいの大きさ。

「一回言ったけどもう一回言わせて。…誕生日おめでとう。」
「…ありがとうございます。」
「嬉しい?」

訊かなくったって絶対にわかってるはずなのに。
からかうような声と表情に変な意地が出てきてしまって黙っていると、サッチさんが吹き出すように笑った。
きっと我慢していても顔に出てしまっていたんだろう。

「ほんとナマエちゃんって隠し事できねえよなあ。…遅くなったけどやっぱふたりきりのときに渡したかったから。」
「…開けてもいいですか?」
「どうぞ。」

箱の中に入っていたのは腕時計だった。
シンプルで余計な装飾がなく、けれど丸い文字盤や針の形にはこだわりがありそうで、革素材らしいベルト部分はどこかやわらかさを感じさせる。
どんな服にでも合いそうなそれは、本来私が持つには早いものなんだろうなということを感じ取った。

「きれい…。あの、ありがとうございます、」
「ちょっとシンプルすぎた?」
「そんなことないです、すごくきれいだし大人っぽくて格好いいし…嬉しいです。」
「よかった。すげえ迷ったんだけど、その…ずっと使ってほしいしその方がいいかなって…」

ずっと。
特に深い意味はなくて、何気なく使った言葉なのかもしれないけど。
それって…『この先もずっと』ってこと?
その考えに至った瞬間、嬉しいのと恥ずかしいのでいっぱいになって顔が熱くなる。

(わ、私なに考えてるんだろ、ひとりで勝手に都合良い方に捉えて…そ、それにサッチさんはそんな気なんて全然…)

ちらりとサッチさんに視線を移すと、返ってきたのは予想外の反応。
目が合った瞬間サッチさんがふいと視線を外したのだ、しかも少し恥ずかしそうに。
そんな反応をされるなんて思ってもいなくて、私の熱は余計に上がる。

「…ま、まあ気に入ってくれたんならよかった、うん、」
「は、はい。…あの、着けてみてもいいですか?」
「もちろん。」

サッチさんが嬉しそうなのが表情から伝わってきて、私はもっと嬉しくなる。
幸せな気持ちでいっぱいなせいで、私の頬はきっとゆるゆるだ。
どきどきしながら腕時計を身に付けると、また嬉しくなって何度もいろんな角度から見てしまう。

「ナマエちゃん」

ふと名前を呼ばれて顔を上げると、サッチさんの顔がすっと近づいてきた。
サッチさんは優しい手つきで頬をとると、もうひとつプレゼントを贈ってくれたのだった。
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