提示した場所には黒のスーツを着たひとりの男が立っていた。
通りは混雑していたが男はその中でも不思議と存在感があり、しかしながら人の波に溶け込んで気配を消すことも出来そうな印象を受ける。
男はおれに手を差し出し、人の良さそうな笑みを浮かべたが、それが表面上だけのものであろうことは容易く想像がついた。
その男は自分のことをサッチと名乗った。
「はー…でっけえ屋敷だこと。廊下が長ェ。」
「よそ見してねえで着いて来いよい。」
「お、噴水あるじゃねえか。…鯨か?カワイイ趣味してんなあ。」
屋敷に案内すると、そいつはガキのようにはしゃいだ。
物珍しげに辺りを見渡し、興味を持つものがあればふらりと足を向け、それを咎めれば鼻唄を交えて観光を楽しむがごとく着いてくる。
ファミリー以外の者が出入りすることはあるが、ここまで緊張感も何もないやつはこいつが初めてだ。
「ここだ。オヤジの前では気を付けろよい。」
「はいはい。」
全く聞く気のなさそうな適当な返事である。
わざとそう見せているとも思えないし、元々こういう性格なのだろうか。
注意するだけ無駄のような気がしたのでさっさと扉を開けることにする。
部屋には兄弟も揃っており、その光景にそいつは軽く口笛を鳴らしてから歩を進めた。
「ふうん、あんたが白ひげか。噂にゃ聞いてたけどすげえ貫禄っつーか…殺したって死ななさそうだなあ。」
「おい、言葉に気を付けろ。」
やはりおれの忠告は頭の片隅にも残されていなかったようだ。
これから自分の雇い主になろうかという相手にかける言葉では決してない。
兄弟のひとりが諌めようとしたが、オヤジはそれを制し機嫌が良さそうに笑った。
「グラララ。なかなか元気がいいじゃねえか。嫌いじゃねえ。」
「そりゃどうも。腕にも相当自信があるんで期待してくれていいぜ。」
へらりと返す姿が余計に勘に障る。
オヤジはどうして許容できるのかもしれないが、おれや兄弟からするとこう好き勝手振る舞われたのでは堪ったものではない。
「おい、」
「ん?」
「前はどうだったか知らねえが…これからはここのルールに従ってもらうよい。勝手なことをされると」
「なあ、それって長い?」
思いもよらない言葉につい間抜けな声で聞き返してしまった。
退屈だとでもいうように両腕を高く伸ばし、これといって悪びれた様子もない。
「会いてえんだけど。あんたらのオヒメサマに。」
ここにはいねえんだろ?
そう言って部屋をぐるりと見渡したそいつは口元だけで笑っている。
オヤジがますます面白いやつだなと肩を揺らしていなければ掴みかかっていたかもしれない。
ーー
ー
何だってオヤジはこんなやつを選んだんだ。
会ってから一時間と経っていないというのに、おれの中でこいつの印象はすでに最悪だ。
こんなやつを彼女に会わせて万が一が起こったりしないだろうか。
大丈夫だというオヤジの言葉は信じたいんだが…ああ、頭痛がしてきた。
「どうした?頭痛えの?」
「…誰のせいだと思ってんだよい。」
「そんな睨むなよ。だいじょーぶだって、あんたの考えてるようなことはしねえさ。」
「……」
「だから怖ェって。ほら、仲良くしようぜ?」
へらへらと笑う姿につい口が出てしまいそうだったが、こいつには何を言っても無駄であることを考えるとその気力も失せてくる。
そのあとも砕けた調子で話しかけてくるそいつに無視を貫き、三階にある彼女の部屋へと向かった。
扉を叩くと中から反応が返ってくる。
「どうぞ」
彼女はいつものように椅子に座って本を読んでいたようだった。
こちらを向いた瞬間、薄い栗色の柔らかな髪が肩から落ちる。
彼女は立ち上がったが、おれの半歩後ろに立つそいつの姿を見つけたからか近づいては来ない。
「フィル、連れてきたよい。」
「…はい。」
ここで予想していなかったことが起きる。
先程まではうるさくて仕方がなかった男が、今はまるで人が変わったように静かなのだ。
まるで全てを忘れて彼女に見入っているような…そんな風に感じられるほどに。
声をかけると、入り口で突っ立っていたそいつがやっとおれの視線に気がついた。
無言で彼女を示してやるとぱちくりと目を瞬かせるので更に苛立ちを覚えたが、彼女の前ということでぐっと耐える。
「へェ?いいのかよ。」
「…もし変なマネしやがったら…」
「信用ねえなあ…ま、これからか。」
そいつはわざとらしく肩を竦めたあと、ゆっくりと彼女へ近づいていく。
ああくそ、本当に何でオヤジはこんなやつを…。
「どうも、おれはサッチってんだ。好きに呼んでくれてかまわねえよ。」
こういった挨拶はお手のものらしく、怪しい気配や素振りは見受けられない。
ふたりほど隠れさせているから、何か問題が起きても対応は可能なのだが…それでも注視した方が良いだろう。
「は…初めまして、フィルです。これからよろしくお願いします。」
彼女は外部の者と顔を合わせることがほとんどないためか、軽く会釈をする姿に軽い緊張が見られた。
それにオヤジの人選とはいえ、多少警戒もしているようだ。
「さて…何て呼んだらいいかな?」
「え?サッチさんの好きな呼び方で…」
「お、いいねーサッチ『さん』。前のとこはむさ苦しい男ばっかりでね。だからこんなに可憐で愛らしいレディを目の前にして、実は緊張してるんだ。」
「、そんなことは…」
「ははっ、恥じらう姿も可愛らしいな。」
…何だこれは。
おれは挨拶をしろとは言ったが、口説けとは一言も言っていない。
「か、からかうのはやめてください、そんな風に言われるのは慣れてなくて…」
「おれは本心を言ったまでなんだけどね。今日初めてきみに会ったけど、きみはとても魅力的だと思った。何ならおれがきみに感じた魅力を今から教えて………」
「サッチさん…?」
「…あげたいところだけど、日を改めようか。これ以上きみと話をすると、きみのことが大好きなお兄さんに」
「挨拶はもう済んだだろい…?」
殺意も隠さず睨み付けると、男は仕方なしにといったふうに彼女から距離をとってみせた。
今回ばかりはオヤジに考え直してもらおう、絶対に。
こんな軟派な野郎にフィルを任せてたまるか!
「おい、戻るよい。」
「あ、ちょっと待った。」
これ以上こいつを彼女の近くにいさせてはいけない、そんな気がする。
さっさと部屋から連れて出ようとしたところ、呑気な声でおれにストップをかけたあと、彼女に近づいていく。
…まさか?
「どうかされましたか?」
「いやいや、どうしてもやっておきたいことがあってね……どうぞよろしく、オヒメサマ。」
「「!?」」
その場で跪いたそいつは小さな手をとると、そのまま手の甲に口付けたではないか。
即座にそいつを引き離したが、そいつはけろりとした顔をしていて。
一方の彼女は余程動揺したのか、頬を赤く染めながら先ほどの箇所をもう片方の手で包んでいる。
「サ、サッチさん、??なにを、、」
「ん?おれなりに誓いをたてたつもりだったんだけど……うおっ!?」
「お前は今日でクビだよい。死体に仕事は務まらねえ。」
「はあ…きみも大変だな?こんなのが身内にいると恋人もつくれねえだろうし…。」
「マ、マルコさん待って!だめですってば!」
騒ぎを聞き付け駆けつけた兄弟たちに両者が取り押さえられるのは、数十秒後のことだった。