「お帰りなさい。」

ドアが開くのを聞き付けて、ぱたぱたと音を立てながら奥からフィルが出てきた。
おれの帰りが予定よりも早かったのか、夕食の準備の最中だったようだ。

「ああ。」
「1週間お疲れさまでした。」

疲れているという前提はあるにしても、おれの素っ気ない返事にいつもと変わらずやわらかい笑みを向けて鞄を手に取るフィル。
こういった何気なく行われる彼女の仕草に今だに惹かれているおれがいて、じっと見ていれば不思議に思った彼女がぱちりと目を瞬かせてくる。

「、どうしました?」
「いや、…それより」

火元は消したのか。
彼女のことだ、おれの帰りに焦ってそのまま出てきたんじゃないのかと思い目線で奥を指し問うと。

「あっ!」

はっとした顔をした後直ぐ様現場へと戻っていく彼女を見て、おれの鞄くらい置いていけばいいのにと思った。

ーー


マルコさんには後でお礼言わなきゃ、もう少しで焦げるところだったから。

(…よし、もういいかな。)

くつくつと音をたてる鍋からはいい匂いがする。
少し遅くなっちゃったけど…マルコさんに声をかけて夕食にしよう。
今度はきちんと火を消し、リビングで待っているであろうマルコさんの元へ向かうと。

「マルコさん、出来ま…」

はた、と止まる足と声。
ソファーを見れば、スーツの上着だけを脱いだ格好でマルコさんは目を閉じていて。
近寄ると規則正しい呼吸音が聞こえるから、完全に寝ているみたいだ。

(今週忙しいって言ってたし…疲れてたんだろうな。)

お疲れさまでした。
滅多に見れない無防備なマルコさんの姿に何だか嬉しくなりつつも、軽いブランケットを起こさないようにそっと掛ける。
折角だからと私も隣に座ると、私が起きているのにマルコさんは隣で眠っているというこの状況がいつもと違いすぎるから可笑しく感じてしまう。
でも、同時に嬉しくもあるんだ。
私がこっそり笑みをこぼしていると、感じた肩の重み。
見れば、マルコさんが私に寄りかかっている。
すうすうと静かに寝息をたてるマルコさんは何だか幼く見えて、かわいさからつい頭を撫でてしまった。
すると寄りかかっている方の腕をきゅうと抱え込まれ、さらに距離が近くなる。
普段じゃ絶対にこんな状況にはならないから。

(…まだ起きないでくださいね。)

幸せだなあなんて思いつつ、またマルコさんの髪に触れた。

ーー


(…ん、)

何だかあたたかい。
それにひどく気持ちがよくて、ふわふわとしたこの感覚にまだ浸っていたい気もする。
これは寝ているときの感覚か。
それがわかった直後、一気に目が覚めた。

「あ。目、覚めちゃいました?」

目覚めがいいどころじゃない、よすぎて困るくらいだ。
がばりと顔をあげると、近すぎる距離にフィルがいる。
そうだ、おれはいつの間にか寝てしまっていたんだ。
それが分かったのと、今の自分のやっていることに気がついたのはほぼ同時。

「…っ!」

ご丁寧に両腕で拘束してしまっていたらしいフィルの腕を勢いよく放す。
あの格好じゃどう考えてもフィルからじゃなくて、おれから。
確かに寝ている最中でひどく心地がいい時間があった気がするが、それはこういうことだったらしい。

「…フィル、その、」

彼女からはあるが、おれからは無いんじゃないか。
それにこうも無防備に寝ている姿を晒すことも数えるほどしかない。
動揺から言葉が続かないのがまた情けなく思うが、おれがどう説明しようか悩んでいる間にフィルがおれの腕をとって。

「マルコさん、」

幸せそうに微笑む彼女を見るに、さっきの時間は相当嬉しかったらしい。
おれの名前を呼びながらきゅうと腕を抱く彼女に。

「…、」

おれは黙って彼女の髪に触れる。
極力自然な動きをしたとは思うが、彼女からすればぎこちないものだったに違いない。
おれが恥ずかしがっていることくらいばれてしまっているだろう。

「マルコさん。」
「…ん、」
「お腹空きましたよね、ご飯にしませんか?」
「……悪いな、もう冷めちまっただろい。」

そう言っておれが笑うと、彼女は「じゃあ温めてきますからもう一眠りしててもらえますか」と笑った。

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