バーではちょっぴり大人な気分を味わった。
カクテルは今回が初めてだったんだけど…すごくきれいだったし思っていたよりずっと飲みやすかったんだ。
サッチさんは私が聞いたことのないお酒をロックで飲んでたなあ。
……う、うん、あのときのサッチさんはすごく大人の顔で格好良かった。
「そんじゃ早めに起きて朝風呂しよっか。」
部屋に戻ると布団が敷かれていて至れり尽くせり。
明日はいっぱい観光するというとても楽しい予定があるのでちょっと早めの就寝だ。
「いいんですか?ゆっくり寝たかったら私だけでも行きますけど…」
「おれも行きてえ。すげえ気持ちいいし来たからにはたくさん入りてえもんな。」
「ありがとうございます。」
普段仕事で疲れてるだろうからサッチさんは朝ゆっくりしたいかなと思ったんだけど…そう言ってもらえてひと安心。
朝から温泉に入れるなんて本当に贅沢だなあ。
「何時に起きよっか。」
「…六時?半とか?」
「じゃあそのへんで。」
布団に転がって笑い合いながらの相談。
サッチさんにアラームをセットしてもらってからスイッチに手を伸ばす。
私もサッチさんも寝るときは真っ暗にする派なんだ。
「じゃあ明かり消しますね。」
「はーい。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
やわらかくてあったかい布団にしっくりくる枕。
部屋はとても静かで眠りを妨げるものは何一つない。
畳のにおいも安心するし、程よく疲れた今日は目を閉じればすぐ…
(眠れないんですけど…!)
だって!だってすぐ近くにサッチさんがいるんだよ!?そんな状態で眠れるわけないし!
明かりを消した部屋は当然真っ暗。
でも目が慣れてくるとうっすらだけど姿が確認できてしまう。
ああもう、寝不足で隈つくりたくないし…私寝言とか言っちゃったりしないかな、多分大丈夫だと思うんだけど…
「フィルちゃん」
「!」
いつもの調子で、でも少しだけ静かな声が聞こえてきて。
出来るだけ平然を装って返事をしたけど…サッチさんのことだからこの状況でも気づいたかもしれない。
「そっち…行っていい?」
「えっ、」
「嫌?」
「…そういうわけじゃなくて、その、」
私が言葉を選びかねていると隣から布団を捌ける音がして、心の準備をする暇もなくサッチさんが私の布団に入り込んできた。
慌てて端に詰めようとすれば逆に抱き寄せられてすっぽりとおおわれる。
(ちちちちかい!近いです…!)
男の人らしい大きくて固い胸だとか私よりも少し高いサッチさんの体温だとか、さらにはサッチさんのにおいだとか…一度でも意識してしまったらそこからはもうだめ。
身動きひとつとることもできず固まっていると、頭のすぐ上からくつくつと笑う声がした。
「何?手ェ出されると思った?」
「!ち、違います、別に」
「明日のこと考えて大人しくしとこうと思ってたんだけど…ふむ、フィルちゃんが待ってくれてんのならここはひとつ」
「待ってないです!」
「そんな否定されるとサッチさん傷つくんですけど?」
サッチさんは口だけで笑っていたけど、それが済むと何も話さなくなって。
その代わりに静かで深い呼吸を繰り返す様子に私もだんだんと引き込まれていく。
「すげえ落ち着く」
聞いていた私まで安心するような、とても穏やかな声。
とくりとくりと一定のリズムで刻まれる音が指先からも伝わってきて、どうしようもなくサッチさんの存在を感じてしまう。
すごく幸せなのに…少し、ほんの少しだけ苦しい。
「…あったかいです、すごく。」
「うん。」
返事は私の耳にやわらかく届いて広がった。
まわされた腕の力がわずかに強くなる。
ふたりとも口を閉じると、またとくりと伝わってくるあたたかさ。
部屋が静かなせいで一層際立つそれに言い様のない気持ちが生まれてきて、少し戸惑いながらもそのまま音に耳を傾けた。
さっきまではあんなに目が冴えていたのに、サッチさんがそばにいると不思議と心が落ち着いて瞼が重くなってくる。
「…サッチさん、」
「ん?」
明日のためにとは思うけどまだ起きていたい。
特別話したいことがあるわけじゃないけど、何でも良いからもう少しの間サッチさんと話をしていたい。
このまま眠ってしまうのは、今日が終わってしまうのは勿体ない気がするから。
「あの、…」
口を動かしていないと眠ってしまいそうで。
なのに話すことも決めていなかったから後を続けられないでいれば、ふわりと声が落ちてきた。
「おやすみ。」
その声は優しくて、でもひょっとすると笑っていたのかもしれないけど。
あやすように撫でられた背中に私の目はあっさりと閉じてしまった。