「うー、さみィ。」

また一段と寒くなったなあ。
車から降りると刺すような冷気を感じて思わず肩が強ばった。
年末に贈られ、今では外出の際必ずと言っていいほど身に付けるようになった黒のマフラーを引き上げエレベーターに乗る。

(まさかお互いが同じもん選ぶとはなあ…。)

まあおれが選んだのはワインレッドだけど。
つい笑みがこぼれてしまいそうになるのを慌てて押し止め、一呼吸してからいつものドアを開けた。

「あ、サッチお疲れー。」
「おう。」
「サッチも食べなよ。ベイのとこから温泉饅頭届いてるよ。」

周りを見ればみんながそれを食べながら一服ついていて、そういえばそんな時期だったなとひとり呟く。
毎年二月に入るとベイの経営先である旅館から菓子が届くのだ。
今回は手紙と一緒にスタッフ全員で撮った写真も同封されていて、饅頭を口に入れながら読んでみるに向こうもそれなりに上手くやっているらしい。

「見ろよ、ベイのやつまたきれいになったよなあ。」
「あーそうだな。」
「興味薄っ。」
「そりゃ他の女見る必要ねえからだろい。」
「数年後には嬢ちゃんもこれくらいになるかもな。」

数年後のフィルちゃん。
社会人になって、ちょっと大人になって、服装だとか雰囲気だとか…そりゃもう色々と変化があるだろう。
少し幼さが抜けない今もかわいいが…うん、悪くねえんじゃねえの?つーか良い、絶対良い。
まあそれは一旦置いといてだな…

「おいイゾウ、」
「ん?」
「『これくらい』ってのは聞き捨てならねえんだけど?」

比較対象があのベイだなんて冗談じゃねえ、フィルちゃんに失礼だ。
そりゃベイは見た目まあまあだけどな、中身知ってるおれからすりゃあいつは魔女だ魔女。

「何で。」
「あのな、数年後っつってもフィルちゃんの方が全然若いし肌だってあんな枯れてねえんだよ。それに優しいしかわいいし暴力振るってこねえしおれの癒しだし魔女と違って守ってやりてえって思うし」
「サッチ」
「あん?」
「お前は本当に期待通り動いてくれるやつだよい。」

にやりと浮かべられた笑みに嫌な予感がして。
マルコが顎でおれの後ろを示すと同時に背中が絶対零度を感じ取るから今すぐにでも逃げ出したい衝動にかられた。
しかし足は床に張り付いたように動かず、真冬だというのにだらだらと冷や汗をかきながら極めて慎重に振り返る。

「サッチ、お久しぶりねえ。」

『優しくて笑顔が似合う美人女将』?
じゃあ何だこの張り付けたような笑みは、青筋は、目一杯握られた拳は。
詐欺罪で訴えてやりたい。

「…ってハルタが言ってまし」
「歯ァ喰いしばれ。」

ーー


「久しぶりだなベイ。」
「久しぶり、元気そうでよかったわ。今日はお店入らないの?あとでジョズのご飯食べにいこうと思ってたのに。」
「ならその時に声をかけてくれ。特別につくってやる。」
「キャー!ありがと!」

じんじんと痛む頬を床が冷やしてくれるがちっとも嬉しくない。
くっそ…来てるなら最初からそう言えっての。
そもそもキャーなんて言う歳か?
おれの記憶が正しけりゃこいつだってもう三十…おっとこれ以上はおれの生命の存続に関わる。

「順調そうじゃねえかよい。」
「みんなが宣伝してくれるおかげよ、助かってるわ。…ほらさっさと起きなさい。」

おれと他のやつとで対応に差をつけるのは良くないと思います。
まあそんなことを口にすれば再び痛い思いをすることは明白で、そろそろ冷たい床とも別れたい頃でもあったので言われた通り立ち上がって服を軽く払う。

「んだよ、まだ謝れってか。」
「違うわよ。今日来たのはアンタにも用があったからなの。…はい、」

そう言ってベイが差し出したのはごく普通の封筒で。
特別な依頼か何かかと思っていたところに開けろと促され開封すると、入っていたのは二枚のチケット。

「少し早いけどバレンタインと誕生日と、それからかわいい彼女が出来たお祝い。」

写真が載っている表には旅館名と概要、裏には女将であるベイのサインが入っている。
おいおいマジか?つーことは?フィルちゃんと…温泉旅行??

「…おう、サンキュ。」
「いろいろ教えてもらったわ。二十そこらの子だったら彼氏と遊びたい盛りでしょうが。もう少しちゃんと相手してあげたらどうなの?」

誰に何を、どこからどこまで教えてもらったんだ。
大体の見当はつくがそれでも気になってしまうその疑問は指を突きつけ詰め寄ってくるベイに潰されてしまう。

「い、いや、おれとしてはちゃんと」
「初デートが付き合って一ヶ月後でしかも半日?ふざけてるの?普通夜もご飯連れてくでしょ?」
「待て、それには理由が」
「へー、どんな理由?言ってみなさいよ。」
「ほ、ほらあれだ、そん時依頼立て込む時期でなかなか予定合わなくてだな、あと付き合ったのおれが初めてでキャパ越えてそうだったから、その、」
「……ふーん。」

あ、危ねえ…それなりに納得させられなかったら旅行が取り消されるとこだったぞ。
溜まった息をようやく吐けたところで、それまでおれのことをじろじろと観察するように見ていたベイが表情を解き片目をつむる。

「三月なら何とかしてあげるから決まったらすぐ連絡寄越しなさい。」
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