サッチさんが言うには私の手は基本冷たいらしくて、温泉上がりの今だとあったかくて新鮮なんだとか。
ちなみに私からするとサッチさんはいつもあったかくてぽかぽかだから手をつなぐとすごく気持ちがいいというか…何でだろう、とにかく安心するんだ。
でも良いことばかりというわけでもなくて。
「そんなに速く歩かなくてもチョコは逃げねえよ?」
つないでいた方の手がぴくりと反応してしまう。
並んで歩くと顔は見えにくいからいいけど…さっきのでやっぱり気づかれてしまっただろうか。
「違います、いつもと一緒です、」
「そーかなあ?」
笑い声を背中に受けつつ、到着したばかりのエレベーターに逃げ込んだ。
だ、だって部屋に帰ったらサッチさんが密かに用意してくれてたチョコが待ってるし、自信作だって言うし…。
お鍋はお腹一杯になるまで楽しんだけど甘いものは別腹で、サッチさんがつくってくれたものならなおさらだ。
エレベーターを降りると部屋まではすぐ。
「入ってるお酒って強いんですか?」
「んー、どうかな。度数はそんなないけど香りのあるやつ入れたから…」
がらり。
「むぐっ、」
サッチさんが急に立ち止まるので壁みたいに大きい背中に顔をぶつけてしまった。
いたた…何で中入らないんだろ?
打った鼻をさすりながら体をずらすと、隙間から見えた部屋は布団がひとつ丁寧に敷かれていて別段変わったところもない。
……あれ?ひとつ??
ぴしゃっ。
「…あの、サッチさ」
「フィルちゃんおれすっごい喉渇いちゃったから売店で何か冷たいの買ってきてくれねえ?」
…こんなに笑顔なのに威圧感に似た何かを感じるのは私の気のせいじゃないはずだ。
というかサッチさんさっきコーヒー牛乳飲んでたじゃないですか…。
「エレベーター横に自販機があったような…」
「売店が一番冷えてるの。あそこのじゃねえとだめなの。フィルちゃんも好きなの買ってきていいから。」
だ、だからその笑顔が怖いんですけど…。
ぎゅっと手に握らされた革のコインケースはサッチさんのもの。
「あとたった今エレベーター壊れたらしいから階段を使うことと、他のお客さんとぶつかるかもしれねえからゆっくり歩くこと。オーケー?」
「は、はい…。」
半ば追い出されるような形で部屋を出る。
これって今戻ったりしたら…うん、きっとだめなんだろうなあ…。
ーー
ー
言いつけを守ってゆっくりゆっくり階段を上る。
遅れて届いたメールに従ってサッチさん用にあったかい缶コーヒーと、私用にストレートティーをお買い上げ。
ココアと迷ったけど…何せ待っているのはサッチさんの手づくりチョコレートだしね。
二階に続く階段を折り返したところで、その先にあの人の姿が見えた。
「ベイさん」
声に気がつくとひらひらと小さく手を振ってくれて。
早足で階段を上れば私が提げていたものに視線を落とされる。
「おつかい頼まれたの?」
「……たぶんですけど。」
おつかいの一言で済ませるには何だか変な引っ掛かりを感じるけど。
私の言い方が可笑しかったのかベイさんはくすくすと笑う。
「あ、今日泊まりに来た人でこう…背が高くて黒くて丸いサングラスかけてる人っていたかわかりますか?あと無精髭が生えてて…」
「もしかしてクザンさんのこと?知ってるの?」
何か締まりのなさそうな人でしょ。
そう付け足すベイさんの顔は優しくて、やっぱり悪い人じゃないんだろうなと思う。
「えっと、今日お昼に会ったときに少し…」
「…ああ、サッチね。あの人常連さんなのよー。年に何度も来てくれてね、差し入れまでしてくれるんだから。」
常連…さん?
私はてっきり初めての利用なんだと思ってたけど違うみたいだ。
それでバス停の場所がわからなかったってことは何度も泊まりには来てるけど観光は全然ってことなのかなあ…。
「あら、どうかした?」
「い、いえ、何でもないです。」
「そう。…旅行はどう?アレが仕事人間なせいでデートそんなに出来てなかったんじゃないの?」
し、仕事人間って…。
サッチさんがそうなのかはわからないけど時々、本当に時々…仕事の予定が変わったとかで会う約束がなくなることがあるんだ。
サッチさんはものすごく謝ってくれるし仕方がないことだって割りきらなきゃいけないとは思うけど…本当は寂しかったりする。
学生の私とじゃ休日すら違ってくるからそれこそ旅行の話が出たときは夢なんじゃないかってくらいびっくりして、でもすごくすごく嬉しくて。
「…ベイさん、」
「ん?」
「本当にありがとうございました。」
「喜んでくれて良かったわ。」
そう言って笑ってくれるベイさんを見て、少しでも妬いてしまった自分が恥ずかしくて誤魔化すように顔を伏せた。