「お客様、」

朝食を食べ終えて部屋に戻る途中で後ろから声をかけられて。
ふたり揃って振り向くと紅色の着物を着た仲居さんが近寄ってきた。

「女将からおふたりにお渡しするようにと預かっているものがございまして。どうぞ。」

受け取った封筒を開けるとその中身に私もサッチさんも表情がぱっと明るくなる。
大きなこの旅館の女将であるベイさんおすすめの観光プラン。
封筒の後ろにはベイさんからの一言付きだ。

「ありがとうございます。」
「ありがとう。おれからも言うつもりだけど…もし会ったら礼伝えといてもらえませんか?」
「はい、かしこまりました。」

丁寧なお辞儀のあと、仲居さんはにこりと微笑んでくれた。

「本日も快晴だそうで。ゆっくり楽しんでらしてくださいね。」

ーー


部屋に戻ったらお出掛けの準備。
サッチさんはテーブルにベイさんが提案してくれたプランを広げて鼻唄混じりに読んでいて、その隣で私は化粧に勤しんでいる。
だ、だってサッチさんと外行くんだから少しでもきれいにしとかないと!

「あいつすげえ、移動手段まで折り込んでくれてる。ほら、」
「!ほ、本当ですね…」
「はー…頭上がんねえわ。わかりやすいし頼って正解だったなこれ。」

配慮の細かさに思わず手を止め見入ったりしつつ、自分のことも忘れずに準備を進める。
化粧は終わったからあとは頭。
どうしようかなあと考えながら櫛で髪をとかしていると、ふと疑問が浮かんできて隣を見た。
今日のサッチさんは後ろに流しているだけだ。
…も、もちろんそれも似合っていて格好いいけど。

「ん?なあに?」
「しないんですか?…髪。」

いつもの、サッチさんの定番の髪型。
最初はきょとんとしていたサッチさんも、私が手であの形をつくればすぐにわかってくれた。

「ああ、あれちょっと時間かかるしさ。」
「え?私待ちますけど…」
「んー、けどおれのことで時間とるの嫌だし。」

あ、でも適当にしたわけじゃねえぜ?
自分の頭を指しながら。
そう何てことないように告げたサッチさんがまた紙に目を通し始めるから私の方が恥ずかしくなってくる。

「い、急ぎます、」
「フィルちゃんはいいの。おれのためにしっかり準備してください。」

そ、そういうのって普通私の方が気を付けなきゃいけないのに…私のばか!
隣から聞こえてくる少しばかりの笑い声にまた恥ずかしさを感じつつ丁寧に、けど素早く頭を整える。

「あの、お待たせしました、」
「、おーし。じゃあ行きますか。」

道具をしまって準備は完了。
サッチさんがぐっと背を伸ばしてから立ち上がるので、私も最後にもう一度だけ前髪を整えてから立ち上がって鞄を持つ。
えっと、忘れ物はないし戸締まりもしたし…よし、お出掛けだ!
意気揚々と歩を進め戸まであと三歩もないというところで突然後ろから腕が伸びてきて。
その次の瞬間にはサッチさんの胸が背中に当たる。

「!サ、サッチさん、」
「ごめんな、ちょっと冷たいかも。」

言われて首もとに冷えた物が触れた。
視線を落としながら手にとれば、間違えようもないネックレスの感触に耳元で聞こえてきたサッチさんの声。

「ふたつめ。」

ぱっと振り返ると目尻を下げてくしゃりと笑うサッチさんの顔。
お返しがネックレスになるだなんて完全に予想外だ。
し、しかも私があげたチョコ手作りだしとびきりおいしかったわけじゃないし、こんないいもの受け取れないし…!

「わ、わたしチョコしかあげてないのにこんなの」
「もらってくんねえの?」

私のことをじいっと見つめて、そこからは少しだって視線を外そうとしてくれなくて。
そんなことをされたら先に降参するのはいつだって私の方。

「ひひっ。…こういうの嫌いだった?」
「そんなことないです!…あ、あの、鏡で」
「はいどうぞ?」

すでに準備していたらしく、開いた状態の鏡が私の首もとを写す。
細いチェーンを通っているのはシンプルなシルバーリング。
少し小さく細身のそれは本来なら小指につけるものらしいんだけど、私がなるべく人目を気にしないでいいようにってネックレスにしてくれたみたいで…。

「…サッチさん、」
「ん?」
「……ありがとうございます。うれしいです、すごく。」
「どういたしまして。」

そのままサッチさんが抱きしめてくれるからもう幸せでいっぱいになってしまう。
不安になる隙間なんてないくらいに嬉しくてたまらなくて、どきどきしながらサッチさんの腕に自分のものを重ねた。
こんなことをされたら部屋から出るのが惜しくなってくるけど…で、でもだめだめ、このあとも楽しいことがいっぱいなんだから。
そう思って手を放したんだけど…あ、あれ?

「…あの、」
「んー?」
「も、もう終わりました…よね?」
「んー。」
「そろそろ、あの…」
「んーん。」

そう言うとサッチさんは頭を私の肩口にうずめてしまった。
私の背中一面を覆うサッチさん胸はゆったりとした呼吸に合わせて膨らんだりしぼんだりしている。
もう腕に力は入っていなくて、ひょっとすれば眠りに就いていると勘違いしそうなほど。

「もういいでしょうか…。」
「まだ充電中。外出たらこういうこと出来ねえもん。」

だからだめ、とくぐもった返答を最後にサッチさんはまただんまり。
…う、嬉しいんだけどその、どうしようこれ…。
少しだけ慣れてくると今度は髭と髪がくすぐったく感じてしまう。

「…でもさっき時間とるの嫌って」
「これはすっげえ大事なことなの。だからいいの。」
「えと、…!さささっちさん、まえ、まえ」

前に通された腕をぱしぱし、と叩く。
私と、間延びした声を出しながら顔をあげたサッチさんの視線の先には戸からひょこりと顔を出しているベイさんがいて。

「「……」」
「お昼食べてくるでしょ?ついでにおいしい店何件か挙げといたんだけど渡すの忘れてたから。要らなかった?」
「……イリマス。」

少し開いた戸から腕が伸びてきて、その先には見たことのある封筒。
サッチさんが固まったまま動こうとしないので代わりに私がそれを受けとる。
用が終わったベイさんは姿を消すその直前にくすりと笑って。

「アンタって結構甘えたさんよねえ?」

ふと背から感じる体温が心なしか高くなっているような気がして振り返る。
あんな顔をしたサッチさん、初めて見た。
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