(遅刻する…!)

アラームを止めた後についつい二度寝をしてしまって、次に起きたときにはもう家を出る時間だった。
楽しかった昨日の余韻に浸る間もなく、速攻で身支度を終わらせたら鞄を引っ付かんで家を出る。
走って走って、やっと駅に着き定期券を取り出そうとして重大なことに気がついた。

「……ない。」

財布が…ない!?
何で!?家に忘れてきた!?でも鞄の中昨日からさわってないし…も、もしかして落とした、とか?
ど、どうしよう!?お金も定期もカードも大事なもの全部入ってるのに!大変だ…!!

「ととととりあえず家の中探しに戻…」

本当に落としていたらどうしよう。
そんな不安が一気に押し寄せていた私をよそに、いつもと変わらない着信音が私を呼ぶ。
発信者は…え!?マルコさん!?
普段なら跳んで喜んでいるところだろうけど今はそんな気分にもなれない。

「お、おはようございます。どうかしましたか?」
「朝から悪いな。お前昨日財布忘れてったろい、おれが預かってるぞ。」
「!い、今探してたところだったんです!あの、今から取りに行ってもいいですか…?」
「かまわねえよい。おれの家わかるか?」
「駅の近くのマンションですよね?前、サッチさんが教えてくれて…」
「そこだよい。504号室だから適当に上がってきてくれ。」
「え?あの」

…切れちゃった。
こんな朝から迷惑だったかなあとは思うけど…今は受けとるだけにしてまた今度お礼しようっと。
幸いにも今駅にいるからすぐ行けそうだ。
記憶を頼りに歩くこと10分弱、目的のマンションに到着。
どきどきとしながら歩を進め部屋番号をきちんと確認、インターホンを鳴らせば数秒の後にドアが開いた。

「おはようさん。」

…もしかして部屋を間違えてしまったんだろうか。
そう思ってしまうくらいにそれは衝撃的で、瞬きをつい何回もしてしまうほど。

「……マルコ、さん?」
「何だよい。」
「いや、えっと…」

目の前にいるマルコさんはまるで別人のようで。
黒い縁のメガネをかけて、ベージュのニットのセーターに足のラインに沿ったジーンズ。
さらにはスリッパまで履いていて…普段のマルコさんからはとてもじゃないけど想像がつかない格好だ。

「…ああ、家だとこれなんだよい。」
「そうなんですか、…」

あまりの意外さにまだ驚いていると、ふと漂ってくるにおいに空のお腹が刺激される。
ふわりと優しい、それでいて食欲をそそるにおい。

「どうかしたかよい。」
「…おいしそうなにおい。」
「…何だよい、朝食ってねえのか。」
「は、はい。」
「時間あるか?」
「……あり、ます。」

本当のことを言えば時間はない。
今すぐにここを出ても遅刻は確実で、これ以上留まっていたら一限目の授業は欠席扱いになってしまうだろう。
でも、でも。
マルコさんの私生活が見れるチャンスかもしれないし絶対逃したくない…!

「じゃあ上がれよい。朝食わねえと頭入らねえぞ。」

出してきてくれたスリッパを履いてとうとう家の中へ入ると、一層強く香るおいしそうなにおいに誘われてさらにお腹が空いてくる。
キッチン横を通ると黒の冷蔵庫が目を引いて、夜に来てくれるお客さんが噂していたことを思い出した。

「マ、マルコさん」
「どうした?」
「マルコさん家の冷蔵庫はお酒しか入ってないって本当なんですか?」

直後、額に走る衝撃。
指の長いマルコさんから繰り出されるデコピンはとても強力です、まる。

「いたい…」
「おれを何だと思ってんだよい、普通だ普通。」

見ろ、という声と共に冷蔵庫が開けられる。
中はお酒の類いは一切なく、むしろ野菜や魚といった想像とはまるで反対の食材ばかりが見られてまたもやびっくりしていればそれを無視してぱたりとドアが閉められた。

「もういいか?そこ座って待ってろい。」

示された部屋は何というか…ただきれい、その一言に尽きる。
きちんと片付いていてテーブルの上にも余計なものはなく、シャツなんかはシワひとつない状態でハンガーに掛けてある。
正座待機していた私の前にお味噌汁とつやつやの白米、ポテトサラダにベーコンエッグまで出てきて、それが全部マルコさんの手作りだというから思わず本音がこぼれてしまった。

「…マルコさんっぽくない。」
「はあ?」
「だ、だって私の中のマルコさんはホストみたいでお店に来た女の人ころころーって転がして主食はお酒でサッチさんを足蹴にするような超俺様で肉食の…ふぇっ!?」
「お前失礼にもほどがあるだろい。」

引っ張られた頬がひりひりと痛い。
マルコさんの言う通り言葉にするとなかなかひどかったけど、でも私の中でのマルコさんはその通りなわけで。

「で、でもお店ではそんな感じだし…」
「…お前が言ったんだろい。」

それは投げやりで、ほんの少し不機嫌そうで。
何をですかと問えばマルコさんは視線を忙しなく動かして、さらにはこんなことを言い出した。

「お前がその、サッチとかイゾウみてえなやつがいいって言ってたから、」

それは半年前の私の歓迎会での出来事。
好きなタイプを聞かれて返答に困った末、その場の流れでこう答えてしまったんだ。
けど言った私自身忘れていて、実際に思い出したのはもう少し後のこと。

「…へ?」
「おれはああいう服好きじゃねえし仕事だから愛想よくしてるだけで、酒もそんなに得意じゃねえし…」
「で、でも昨日ビール…」
「あの二杯しか飲んでねえ。…あれが限界だ。」

次々と語られる真実にただ驚くことしかできなくて、口はぽかりと開いたままだ。
…じゃあ私の前ではいつも我慢してたってこと?
そ、それにこれじゃあまるでマルコさんが私のこと…

「…悪かったな、思った通りのおれじゃなくて」

ふいと顔を背けて。
こんなに弱々しいマルコさんは初めてで唖然としながらも、その間にとある感情がどんどん膨らんでいくからもう朝ごはんどころじゃない。

「…茶いれてくる、適当に食ってろい。」
「マルコさん!」

立ち上がろうとするマルコさんの服をつかんで慌てて引き留める。
するとマルコさんはびくりと驚いた顔をするから、こんなに簡単に見れるんだなあと場違いなことを思った。

「わ、私今のマルコさんも好きです!眼鏡かけてるの格好いいしですし服装も似合ってますしお酒飲めないの悪いことじゃないですしその、優しそうで私は好きです!」
「え、あ、」
「あ、あの!よかったら今度一緒に映画観に行きませんか!?ほら、前お店で話してたやつです!」

男の人にこんなことを思うのは失礼かもしれないけど。
しどろもどろになりながらもこくりとうなずいたマルコさんはとてもかわいかった。


リクエスト内容
∠肉食系のフリしてるけど実は草食系なマルコさん
- ナノ -