それはフィルが五歳の頃、母親と遊泳に出掛けたときのことだった。
父親を早くに亡くしたフィルは母親とふたりで暮らしていて、ある日の散歩で少しばかり魚人島の外に出たそうだ。
運悪く海賊に見つかったのがその時。
幼かったフィルはまだ海賊の危険性がわからず、母親の制止を聞かずに船に近づいてしまったため捕らえられてしまったらしい。
けれどそんなフィルを守ったのが母親。
母親は遠くに逃げろと一言だけ告げると、自身を身代わりにして強引にフィルを逃がしたのだ。
母親の言葉を受けて必死に泳いだフィルは海賊の手から逃れることができたものの、気がついたときには完全にひとりになっていた。
帰り道もわからず、島の場所も覚えておらず、今いる場所がどこかもわからず。
いつも一緒にいた母親の姿も今はない。
いくら泣いても、いくら呼んでも、当然母親は現れなかった。
自分の知らない広大な海にひとりぼっち。
途方にくれたフィルがあてもなくただ泳いでいたとき、とある島が見えたそうだ。
こっそりと近づいてみると、目に映ったのはたくさんの人間がきらきらと光る照明の中で楽しそうにしている姿。
その時に初めて外の世界に興味を持ったらしい。

「…それからは海を渡りながらいろんなところを見てまわりました。」

ぽつり、ぽつりと。
フィルの澄んだ声が静まり返った船の上に流れていく。

「…今までずっとか?」
「はい。」
「んーと?フィルが五歳の頃の話だったよな。で、今年で二十一っつってたから今は二十歳。ってことは…」
「十五年!?お前十五年間もひとりだったのか!」

甲板中がどよめく。
…そりゃそうだ。
幼い子どもがたったひとりで生きてきて、しかもフィルは危険に晒されることの多い人魚。
並大抵の苦労じゃなかっただろう。

「…今は外の世界を見ながらあのときの海賊とお母さんを探してるんです。ずっと探し続けていればいつか見つかるんじゃないかって…。」

そう言ってフィルがやっと視線をあげた。
うっすらとつくった笑顔にはどこか影があって、ひとりで生きてきた年月の重さが見えた気がした。
誰もが言葉を失う中、ふと聞こえてくる鼻をすする音。
何だと音のする方を見てみれば号泣しているエースの姿があって。

「づら"がっだな"ぁ。」

ずびずびと鼻をすすりながら泣くことを抑えようとしないエースにフィルも戸惑いを隠せないようだ。

「あ、あの…」
「おま"え、い"ま"までよ"くひとりでい"きて"ごれたな"あ。」

エースは腕をこすり付けて涙をぬぐう。
ぐず、と崩れた顔を見てフィルは優しげに笑った。

「…辛いことばかりじゃありませんでしたよ。それに外の世界にいたおかげでマルコさんを助けることができましたし、こうやってみなさんにも出会えましたから。」
「「「!!」」」

本当にいい女だ。
辛い過去があったっていうのに…そんな顔してこれだけのことが言えるんだからな。
…あと、この人魚さんは野郎共の心をわしづかみにしちまったらしい。

「オヤジ!フィルの力になってやろうぜ!こんな話聞いたら放っとけねえよ!」
「フィル!おれたちと一緒に来いよ!おれたちもいろんな海渡るしお前の言う海賊も見つかるかもしれねえぞ!」
「こんな広い海でひとりは寂しいだろ!おれたちと行こうぜ!」

フィルはきょろきょろと辺りを見渡し次々に上がってくる声に驚きを示している。
そんな時、この船の船長の豪快な笑い声が甲板に響き渡った。

「フィル、お前はどうだ?」
「…迷惑じゃありませんか?」
「バカ息子がこれだけ大勢いるんだ、ひとりくらい娘が増えたって構わねえさ。」

そう言ってオヤジがまた笑うと、フィルの表情がふわりと軽くなって。

「本当にありがとうございます。それから…みなさん、よろしくお願いします。」

フィルが頭を下げたと同時に甲板中から声が上がってびりびりと空気が震える。
その様子にフィルは少なからず圧倒されたようだがその横顔はやわらかく、思わず見入ってしまうほどきれいだった。

「おう!よろしくなー!」
「よっしゃ!宴だ宴!」
「ゴホン!では…見た目も心も美しいマーメイド、フィルの乗船を祝して…乾杯!」
「「「乾杯!!!」」」
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