「フィル、フィル、」
「え?」

気がつくと二、三人の人がすぐ目の前で私の顔をのぞき込むように見ていた。
ああそうだ、今は宴の最中で…

「何かぼーっとしてたからよ。」
「ご、ごめんなさい。大丈夫です。」
「何も手ェつけてねえじゃん。どーした?具合悪ィか?」
「、いえ…」
「お前らが昼間騒ぐから疲れちまったんだろ。」

そう言って小さな盃を傾けたのはイゾウさんだ。
イゾウさんはお酒を飲むばかりで自分から話をすることは少ないけれど、相づちの打ち方や返し方を見ていると聞き上手な人なんだなと思う。

「イゾウ隊長ひでェ。」
「慣れねえ体だ、しばらくは休ませてやりな。それよりあの隊長どもをどうにかしてこい。」
「ありゃ無理でしょ。それこそイゾウ隊長お願いしますよ。」
「絶対に御免だな、関わりたくもねえ。」

す、少し言い方がひどいような気もするけれど…問題の場所を見てみればイゾウさんの気持ちもわからなくもない気がする。
イゾウさんがまた一声かけるとみなさんは仕方がなさそうに腰を上げるのに駆けていく足取りは楽しそうで、やっぱり放っておけなかったみたい。
ただ単に騒ぎに混じりたかったんじゃないかという疑念はこの際置いておこうと思う。

「…で、どうした。」

周りが静かになってしばらくするとイゾウさんが声をかけてきた。
こくりと喉を動かす横顔はとてもきれいだ。

「おれでよけりゃ話し相手くらいにはなるぜ?」
「…そんなにわかりやすかったですか?」

私が訊いてもイゾウさんは笑うだけで。
さっきはこのための人払いだったんだなあと思うとありがたくもあるし、同時に心配をかけてしまったことに申し訳なさを感じながらもぽつりぽつりと整理していく。
きっとイゾウさんが聞き上手な人だから私も素直に話すことができたんだと思う。

「…何で今なんだろうって。お母さんでも普通よりずっと早かったのに、私くらいでなるなんて考えられないみたいですし…。」
「見た目もそうか。」
「…はい。」

あんなに憧れていた姿なのに…その突然さが不安で私の体に何か良くないことが起こっているんだろうかと考えてしまう。
痛みを感じることもないし具合が悪くなったわけでもないけれど、でもまだ自分の体だと素直に受け入れられなくて…

「その時はどうしてた?」
「え?」
「何かしら切っ掛けがあったと思うけどな。」

あの時のことはよく覚えている。
新しい島に着いた最初の夜だったから。

「…あの時は海にいました。いつもみたいに泳いで島を眺めて、それから…ある人のことを考えてました。」

そう…あの夜はとても静かで心地よかった。
あの時間を思い出すだけでざわざわと不安に満ちていた胸も自然と穏やかになる。

「…その人、新しい島に着くと必ず私を誘ってくれるんです。でも私はいつも断ってて。もし一緒に降りてたらどうだったんだろうって考えてたら、その…」

まただ…何だか落ち着かない。
ことりと盃が置かれた音がして顔を上げると、射ぬかれるようなイゾウさんの視線があった。

「人魚姫はな、惚れた人間に近づくためにその声を代償にして足を手に入れたんだ。」

にんぎょ、ひめ。
ぽつりと口にすれば内容をばらしてしまったことを謝られて、そういえばあの時手に取ったきりでそれからは気にしてもいなかったことを思い出す。

「似てると思うけどな、今のアンタと。」
「…私が、ですか?」
「…そうなんだろう?」

イゾウさんの視線はこの船で今一番騒がしい場所に向けられた。
その後を追えば、その中心地にはマルコさんと同じくらい赤い顔をしながらお酒を次々と飲み干していくあの人の姿。
するとどうしたことか、とくりとくりと心臓が鳴り出して余計にあの人から目が離せなくなる。
落ち着こうと意識してみてもそれは止まず、言い様のない感情がどんどんと大きくなっていく。

「…そう、なんでしょうか。」
「何だ、初めてだったか?」

初めても何も、今まで異性と関わりを持つことなんてなかったからそんな感情とは無縁だったわけで。
戸惑いながら一度だけうなずくと、隣からくつくつと笑い声が聞こえてきた。

「…まあ時間ならいくらでもある。アンタの思うようにすりゃいいさ。」

その言葉にうっすらと目を閉じる。
私の気持ちは私にしかわからない。
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