「雨だなあ。」

銃の手入れをしていたイゾウさんが窓の外に目を向けて呟いた。
たった一言だけでもイゾウさんが喋ると魔法がかかったみたいにきれいに聞こえるから不思議だなと思う。

「雨だねえ。」

その隣にはハルタさん。
上半身をテーブルにぺたりとつけて…その口ぶりはつまらなそう。
窓の外には見向きもせず、向かいに座っている人と手遊びをしている。

「雨降ってんなー…。」

ハルタさんのお相手はエースさん。
窓に背を向けていて、流れからハルタさんの言葉をただ反復したようにも思える。
最後にはため息のおまけ付き。

「…雨が降ってるとだめなんですか?」

ざあざあと降りしきる雨に濡れる窓を見てから視線を戻す。
今日は朝からずっと雨。
外に出ているのは見張り番の人だけで他の人たちは全員船の中にいる。
お酒を飲んだり賭け事をしたり部屋にこもったり…それぞれの時間を楽しんでいるみたい。

「いや、だめってことはねえけど甲板で昼寝できねえし。」
「そうそう、釣りもやりにくいし。」
「まあどっちかっつうと晴れてる方が良いって話だな。」

私の場合は結局濡れてしまうからそこまで気にしないけれど…雨が降っているときに泳ぐより晴れているときの方が気持ちいいからみなさんの場合もそういうことなんだろうと思う。
私もこの間甲板にいたら日がぽかぽかとあまりにも気持ちよくてつい眠ってしまった。
お昼寝なら部屋で出来るにしても、やっぱり晴れた日のあの気持ちよさには敵わない気がする。

「…ヒマ。」
「こういう時間も楽しめばいいんだよ。」
「おれはじっとしてるより何かしてる方が好きだ。」

くつくつと可笑しそうに笑いながら銃の手入れをするイゾウさんを横目にふたりが「ああ暇だ」と口を揃えたちょうどそのとき、私たちのところへ近づいて来た人がひとり。
その人は顔をあげたふたりに影をつくったあと、にやりと笑って。

「そうか。ならちょうどよかったよい。」

ーー


「絶対こんなことだろうと思ったー。」
「…おれ今度からあいつの前で暇だって言わねえ。」
「おれまで巻き込まれたじゃねえか。」

マルコさんから頼まれたのは書庫の片付けで、読んだあと本棚に仕舞われないままの本がたくさんあるからそれをもとの場所に戻してほしいとのことだった。
机に積んであった本をイゾウさんとハルタさんが仕分け、エースさんと私でそれを棚になおしていく。
手分けをすれば早いもので、一時間と経たないうちに残っている本は十冊程度になった。

「何か楽しそうだな。」
「こんなにたくさんの本は初めてですから。」
「…あー、そっか。ずっと海いたもんなあ。」

ずらりと並んだ棚に、ぎっしりと詰まった本。
小さかったり大きかったり読むのに何日もかかってしまいそうなくらい分厚かったり…いろんな本がたくさん。
海にいると紙で出来た物に触れるなんてことがないからついわくわくしてしまう。

「ここにあるのは好きに読んでいいからね。」
「ありがとうございます。」
「文字読めるか?」
「少しだけなら…。」
「…となると、」

仕分けが終わったらしいイゾウさんが席を立って部屋の中を歩き出す。
残りの三人で後を追うと、とある棚の前で止まったイゾウさんはその中からおもむろに一冊の本を取り出して。

「これならアンタにぴったりだろ。」

差し出された本は比較的薄く、大きさもそれほどない。
表紙には小さな男の子といくつかの星が描かれてある。
受け取ってぱらぱらとめくると片方のページには絵が、もう片方には読みやすい量の文章が並べられていることがわかった。

「へー、こんなのあったんだね。」
「…絵本ですか?」
「そうだな。」
「せっかくだから読みてえの探してみるか?」

でも片付けが。
そう思って返事を躊躇っていればあと少しだからと付け加えられ、それじゃあと甘えることにした。
きれいに並べられた本をじっと追っていくと、とある段に差し掛かったところで目がとまる。
するりと引き抜くことができたそれは少し古いもののようで表紙、背表紙共に文字がかすれて読めなくなってしまっていた。

「お、どうした?」
「気になるのあった?」
「少し…。でも題名が読めなくなっちゃってて…」
「面白ェもん見つけたな。」

イゾウさんが笑う声に三人揃って顔を上げる。
その口ぶりからどうやらイゾウさんはこの本のことを知っているみたい。

「イゾウ知ってるの?」
「まあな。そりゃ『人魚姫』だ。」
「…人魚?」
「そうだ。けど魚人島の姫さんのことじゃねえぜ?どっかの国で書かれた噺さ。」
「そんなのあるんだな。ハルタは読んだことあるか?」
「ううん、初めて見た。」

色褪せた青色の表紙にはうっすらと女の人が描かれていて、きっとこの人が人魚姫なんだろうと思う。
何だか不思議な気持ちだ。

「イゾウ、もう片付けも終わりだし読んでくれよ。」
「そうだなあ…」

その時。
突然聞こえてきた大きな音と共に船が少し傾いて。
バランスを崩しそうになったけれど、側にいたエースさんが支えてくれて倒れずにすんだ。

「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます。今のって…」
「人気者は大変だってことだよ。」
「とにかく戻るぞ。」

その引き締まった表情を見て察した私は手に持っていた本をそっと戻した。
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