「…ずいぶん派手にやったみてえだな。」

船に戻ると心配そうな面持ちをした家族がおれたちを出迎えた。
かける言葉が思い浮かばないのかほとんどのやつらが黙ったままその場を動かないのでマルコが見かねたように進み出てくる。

「ハルタとエースにはまだ早かったな。しばらくは何も食いたくねえってえづいてたよい。」

いつの間にか姿が見えなくなっていたのはそのせいか。
おれもやりすぎだとジョズに止められたくらいだし…あの時マルコと一緒に戻らせておけばよかったなと思う。

「…フィルは?」
「鎮静剤射って…今は眠ってるよい。船医室の一番奥だ。」

…ということは薬を使わなきゃいけねえ状態になっちまったってことだ。
望んでいなかった結果にやりきれなさを感じてしまう。
視線をそらして通り過ぎようとしたところで名前を呼ばれたので足を止めた。

「それ、…何とかしてからにしろよい。」

振り向くとマルコは顎でおれ自身を指してきて。
見下ろした自分の服は赤黒く染まっていて、やっと違和感を感じて触った頬はひどくかさついていた。

ーー


「サッチ隊長」

シャワーを済ませてから船医室に行くとひとりのナースが座っていた。
その横ではフィルが穏やかに眠っていて、管も何も繋がれていないことが逆におれを不安にさせる。

「よう。…様子は?」
「今のところは大丈夫です。薬のせいもあるとは思いますが…よく眠っていますよ。」
「そうか。」

外傷はなくても内側はそうじゃない。
それに問題なのはフィルが目覚めたあとだ。
それがわかっているからナースの表情も今一つ晴れないんだろう。
フィルは今だ静かに眠っていて起きる気配もなく、かけられたシーツはゆっくりと規則正しく上下している。

「…隊長、お願いがあるんですけど。」
「ん?」
「少しの間代わってもらえません?少し仮眠しないと眠ってしまいそうで。」

そう言って軽く目を擦る仕草をされて。
けどおれが代わらずとも交代で看ていただろうし、そうでなくてもこの船のナースが途中で眠ってしまうなんてことをするはずがない。
…敵わねえなあ、本当。

「おう。看ててやるから休んでこいよ。」
「ありがとうございます。…ふたりになったからってフィルに変なことしないでくださいよ?」
「ははっ…おれってそんな風に見られてんの?」
「だってサッチ隊長ですから。…よろしくお願いしますね。」

上手く笑えた気がしなかった。
おれには軽い冗談を流せるだけの余裕もまだなくて、それを感じ取ったらしいナースは少し申し訳なさそうに声を出して部屋を出ていく。
静かにドアが閉められたのを聞いてベッド脇の椅子に座る。
さっきの出来事が、光景が脳裏に焼き付いて離れない。
部屋はこんなにもしんとしているのに頭の中はまるでノイズが鳴り響いているみたいに騒がしく、落ち着いているはずの胸の奥はざわついて仕方がなかった。
まだ血が付いているような気がして見た手は念入りすぎるほどに洗ったせいか爪に染んでいたものすらも残っていない。
ようやく息を音にしたところでフィルに視線を移すと、ほんのわずか顔を歪めたのがわかって。
そのあとに続けて小さく声をあげるので意識の全てがフィルに向けられる。
ゆっくりと開いた目は時間をかけておれに焦点を合わせた。

「サッチ、さん…」
「…どうだ?気分悪くねえか?」

出来る限り落ち着いた優しい声色で問う。
少しの間の後、フィルは小さく返事をしながらうなづくと頼り無さそうに体を起こそうとして。
手を貸してやれば頭を下げて礼を表すものの、視線は合わず声も無かった。
フィルのことが心配でここへ来たのに何一つ言葉が出ない。
言いたいことはたくさんあるが本当にそれを言ってしまっていいのか。
言えばさらにフィルを傷つけてしまうのではないか。
両者ともが無言で部屋はまた静かになったが、その沈黙を先に破ったのはフィルの方だった。

「もしかしたら…」

声から少し遅れて顔を上げたフィルとようやく目が合って。
その初めて見る表情に思わずおれが目をそらしそうになる。

「もしかしたら…そうなんじゃないかって考えてはいたんです。だからそんなに心配しないでください。」

本人は笑ってみせたつもりなんだろうか。
けどおれにはそうは見えず、むしろ泣いているようにさえ思えた。
自分が今どんな表情をしているかきっとわかっていないフィルはおれが何か言う前にゆっくりとした動作でベッドから下りようとする。

「どこ行く気だ。」
「海に。…少し、ひとりになりたくて。」

体が勝手に動いたと言ってもいい。
視線を合わせることなく立ち上がろうとしたフィルを瞬間抱き寄せていた。

「行くな。」
「…すみません、今はひとりで…」
「今お前をひとりにしたらおれは絶対に後悔する。」

フィルは力が一切入っていない体をあずけ、おれに抱きしめられるがままで抵抗も何もしようとしない。
フィルはひとりになりたいと言う。
けどおれはどうしてもそれを許すことが出来なかった。
許せばフィルがもう戻ってこないような気がしたから。

「…約束、守ってやれなくてすまなかった。会わせてやるって約束したのに。」
「いえ、どうなったか知ることが出来ただけでも満足です。…ありがとうございました。」

それきりフィルは口を開こうとせず顔を上げようともしない。
おれに出来たのはわずかに体を震わせるフィルをただ抱きしめてやることだけだった。
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