今夜は一段と良い月が出ているということで月見酒をすることに。
決まってからは早いもので、あっという間に場が整ったところでその様子を見ていたフィルが自分も飲んでみようかなと言い出した。
おれたちが毎回うまそうに酒を飲むから少し興味が出たらしい。
もちろん船内は歓迎ムード。
いつの間にか宴の名目がフィルの初飲酒を祝うことに変わり、突如主役になってしまったフィルは目をぱちくりとさせながら席に通される。

「フィルどれ飲む!?選び放題だぞ!」
「あ、あの」
「これおれのオススメだぞ!甘くて飲みやすいからこれにしろって!」
「えっと」
「やっぱジュースじゃ物足りねえよな!ガンガン飲めよ!」

各々が選ぶ酒瓶を手に持ってフィルのところへ押し掛ける男たち。
フィルはその勢いに驚きはしているものの迷惑とは思っていないようで、目をくるくると回しながらそれでもどこか嬉しそうに対応している。

「待てよい。最初はオヤジだ。」

かつ、と足音をたてるマルコは少し呆れた様子で。
それを聞いた男たちは表情を崩して「わかってますよ」と次々に笑う。
フィルがオヤジの前に立つと、オヤジはひどく気分がいいのかグラグラと声をあげた。

「飲めなくても楽しくやってくれりゃあそれでいい。…ほら、」
「ありがとうございます。…それじゃあいただきますね。」

小さな盃に注がれる透き通った酒。
オヤジが一等気に入っているものだ。
ゆっくりと傾けてられていく盃に、周りの男たちは固唾を飲んで見守っている。
こくりと飲み干したフィルはほっと息をつくと、それからふわりと笑って。

「おいしいです。不思議な味がしますね、お酒って。あ、でもみなさんみたいにたくさんは飲めないかもしれないですけど…」
「よしフィル次これ飲め!」
「いーや!まず果実酒からだ!」
「おれの故郷の酒飲んでくれよ!うまいぞ!」

喜んだ海賊たちがまたフィルのもとへ押し寄せ、それを見ていたオヤジがまた嬉しそうに声をあげた。

ーー


「ぎゃははは!!」
「おい服燃えてんぞ!早く消せって!」
「あ、マルコ隊長もどうっすか!?」

ある程度時間が経ってくるとあちこちで宴会芸のようなものをし始めて、おれの近くではエースを筆頭に火の輪潜りなるものが開催されている。
そこにやって来たのはまるで気苦労を抱えたような顔をしている男。

「勝手にやってろい。それよりフィルは?無茶させてねえだろうな。」
「だーいじょうぶですって、フィルならそこいますよ。ほら」

指し示された先には皆に混じってにこにこと笑っているフィルがいて。
取りあえず潰されてはいないことを確認したマルコがほっと息を吐いてフィルのそばへと歩み寄る。

「フィル、大丈夫かよい。水要るか?」
「マルコさん」
「ん?」
「能力見せてもらえませんか?」
「…ああ、別にかまわねえが。」

まあマルコはフィルに対してはとたんに甘くなるからな。
突然の頼みに少し不思議そうな顔をしながらも、承諾したマルコが片腕を青く燃やし広げてみせる。

「ほら、これでいい…」
「すごくきれい」

見とれた様子でそう口にしながら。
する、とマルコの腕に触れたフィルがそのまま抱え込むようにそっと体と頬を寄せた。
普段からは想像もつかないフィルの行動に周りはもちろん、触れられた本人も動揺を隠せないようだ。

「っ、お、おいフィル、」
「ふふ、それにあったかくてやわらかくて…すごく好きです」

普段の気だるそうな表情はどこへ消えたのか。
再度頬を寄せたあと、やわらかく笑ってそう言ってみせたフィルにマルコが慌てて口許を押さえている。
だんだんと顔を赤くしてフィルにされるがままで固まるばかりのマルコについため息が出そうになった。
陥落した一番隊隊長に周りが声を出していると、それを聞き付けたのか飛んできた隊長がひとり。

「ちょ!マルコ何やってるの!フィルには手出さないってみんなで決め」
「、ハルタさん」

ぱっと頬をほころばせたフィルはマルコの腕を放してハルタに近づく。
やっと自由になったマルコがそのまま崩れ落ちるので近くにいた一番隊の数名が慌てて駆け寄った。
…はあ、これは明日まで使い物にならないだろうな。

「なあに?」
「ハルタさんってすごく格好いいですよね」

恥ずかしさなど欠片も見せずにこりと笑顔を向けてくるフィルにハルタの方が冷静さを奪われたらしい。
驚いたような顔をしていて、いつもの表情は崩れてしまっている。

「え?な、何急に」
「前に隊の方と手合わせしてる姿を見たんです、すごく格好よかったからずっと言いたくて」

先ほどの表情のまま、かつ憧れの眼差しを注がれて。
じっとフィルを見ていたハルタだったがとうとう視線をそらしてしまった。

「…そ、そう?ほんと?みんなから言われるのはかわいいとかばっかりだからその…嬉しい、かな。」
「本当ですよ、格好よくて見とれちゃいました」
「!え、えっと、ありがと」

そわそわと落ち着きなく視線を動かすハルタへフィルがまたにこりと笑うから、だんだんとハルタの頬が赤くなっていく。
滅多に見せないその姿に周りがまたざわついていると、今度はばたばたと元気な足音が聞こえてきた。

「ハルター!どこ行ってんだよ、お前やりてえって…」
「あ、エースさん」

新しい人物にフィルが意識を向けるとハルタは迷子のような足取りでその場を離れ、たどり着いた船の縁に向かってそわそわと独り言を呟いている。
…ハルタ、おれはお前のそんな姿一生見ることはないと思っていたぞ。

「お、フィル。いっぱい飲んでるか?」
「いただいてます、…エースさん」

笑顔に笑顔で返すやり取りは見ていて安心するな。
沈んだふたりをちらりと見てからそんなことを思っていると、フィルが近くにあった料理を差し出した。

「おれに?」
「はい、私エースさんがたくさん食べてるところ見るの好きなんです」
「え」
「だってすごくおいしそうに食べるから」
「そ、そうか?」

いつも食べ過ぎで注意を受けているくらいだ。
疑ってはいるが、同時に帽子を深く被ったエースはまるで照れ隠しをしているよう。

「それにすごく幸せそうだから見てる私まで何だか幸せな気持ちになれるんです」
「な、ならいいけど。じゃあたくさん食うぞ!」
「はい」

いつものように、けれど少し恥ずかしそうな様子で次々と口に運んでいくエースを幸せそうに眺めるフィル。
先のふたりとまではいかないが…それでもあのエースにここまで意識させてしまうのだから大したものだ。
ああ、けれどこのままでは食料の心配が出てくるなと考えたところで比較的頼りになりそうな人物が現れた。

「フィル、そろそろ勘弁してくれるか。こっちも面子ってモンがあってな。」

惨状を見渡して困ったような顔を見せるイゾウがフィルに近づく。
まあイゾウならマルコほどフィルに弱くないし、ハルタほど子どもでもないし、エースほど単純でもないから何とかしてくれるはずだ。
…多分。

「これ以上役に立たねえ隊長増やされても困」
「イゾウさん、イゾウさん、」
「ん?」

にこにこと手招きをしたあと。
イゾウに向けて指を構えたフィルは無邪気な子どものように笑って。

「ばーん」

…あ、撃たれたな。
ばっと口許を服で隠しわなわなと震えるイゾウにフィルは楽しそうな笑顔を向けている。
とどめと言わんばかりにもう一発追い撃ちをされたことで、何とか耐えていたイゾウもとうとうその場に崩れてしまった。

「イ、イゾウ隊長が落ちたぞ!?」
「あの難攻不落と言われたイゾウ隊長が一瞬で…!」

…あんなことを言っておきながら陥落するまでの時間が一番早かったな。
騒然としている周囲に目を向けながら呆れていると、とうとうあの男が姿を現した。

「隊長格が揃いも揃って骨抜きたァ…情けねえなあ?」

最後の砦とも言えそうな男の登場に周りが歓喜する。
…おれは期待どころか逆に不安しか感じないんだが。
おれ以外の声援を一身に受けたサッチがゆっくりとフィルに近づいた。

「ようフィル、おれの相手もしてくれよ。」
「サッチさん」

やはりやわらかく笑ったフィルの隣にサッチが腰を下ろす。
少し距離が近すぎる気がしなくもないが、まあそこはあいつの考えのうちなんだろう。

「どうした?気分よさそうじゃねェか、たくさん飲んだなあ。」

まるで子どもをあやすように。
甘い声を出しながら髪をするりと撫でていくサッチにフィルは気持ち良さそうに目を細めた。
次いで近くにあった酒瓶を手に取ると、そのままぐびりと喉を鳴らす。
見せつけているようなそれは確かに町の女からすれば堪らないのだろうが、今のフィルに効果があるのかは謎である。
…そもそも視界に入っているかどうかすら怪しい。

「…なあフィル、おれには何も言ってくれねえの?」
「?」
「あいつらにはイイコト言ってたらしいじゃねえか。おれには何もねえの?」

サッチはすい、と顔を近づけて溶かすように声を出してみせる。
大概の女であればこれで完全に傾いてしまうのであろう。
だが、フィルにとってはその限りではないらしかった。

「はい、ないです」

嬉しそうに笑ったまま。
けれどはっきりとそう言ったフィルに周りはもちろん、サッチまでもが呆気にとられた顔をしている。

「へ?」
「…でも」

サッチの胸にそっと体を寄せ。
終いには手まで添えてぴたりと密着してきたフィルにサッチはばっと両腕を退かせる。
眠りについてしまいそうなほど穏やかな表情で、しかしながら愛しさを浮かべるそれはなかなかに殺傷力が高い。

「ずっと…こうしていたい」
「ちょ、フィル」
「何でだろう…サッチさんのそばにいるとすごく落ち着くんです」
「ま、待て、おれは落ちつか」
「サッチさんすごくどきどきしてます、音…すごく心地いい」
「!お、おいフィルもうわかったから、色々やばい」

はくはくと口を開閉させるサッチをフィルは優しく見つめている。
そしてほどけるようにその表情を変えて。

「かわいいです」

…結局お前もか。
言わずもがな致命傷だったようで、サッチはぴしりと硬直して動かなくなった。
余波を受けた周りもばたばたと倒れていくからもう本当に頭が痛い。

「フィル」
「ジョズさん」

このままだとクルー全員がのされてしまいそうだ。
別にそれ自体に問題はないが…もし他の海賊船や海軍が現れたら困る。
まあオヤジとおれがいるから負けはしないだろう、だがこの情けない状態を見られるのは非常によろしくないので。

「オヤジとナースが呼んでいた。行こうか。」
「はい」

予想通り使い物にならなくなった百戦錬磨()の男をどかしてフィルを抱える。
数歩進むとフィルはこくりこくりと首を揺り始め、安全地帯に着く頃には完全に眠りについていて。
そこで聞こえてきた小さな寝言はおれだけの秘密にしておこうと思った。
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