中学に入って最初にしたことは髪を染めることだった。
髪を金髪にしたら何故か近付いてくる奴は減った。
そして反対に、これまで関わることのなかった連中が周りに増えた。
…おかげで俺の学生生活の始まりは惨憺たるものだった。
「明日までにその髪黒く染め直してきっちり学ラン着てこいや」
「一年坊主の癖に調子乗ってんじゃなかばい」
三年に呼び出されてボコされる日々。
それでも髪を染め直すこともなければ着崩した制服をきちんと着る気にもなれなかった。
別にポリシーがあってそうしてたわけじゃない。
でもボコされるたびに、これで髪を染め直そうものならこんな格好悪いことはないと思っただけだ。
当然そんな俺を庇ってくれるような教師もクラスメイトもいるわけない。
すっかり孤立した俺は日々増えていく傷を持て余していた。
同じクラスにいた白石のことが気になるようになったのはその頃のことだ。
中学に入学してそれなりに皆仲のいい友達も出来てそれなりのグループが形成されていくのにも関わらず、白石はどこにも属していないように見えた。
別に愛想が悪いとかそういうんじゃない。
単に一人でいるのが好きなようだ。
そして何だか、いつもその目は笑っていないように見えた。
白石を横目で気にしつつも結局話しかける機会なんてないまま、夏休みがきて、二学期になった。
夏休みが明けて久々の教室で見た白石は、やたら身長が伸びていた。
俺より少し小さいくらいだった彼は、すっかり俺を見下せるまでに成長していた。
もちろん俺だって背は伸びていたはずなのに。それは少し俺を悔しくさせた。
「橘、今度の球技大会の出場種目決めてくれって委員長が」
ある日、いきなり白石が俺に声をかけてきた。
恐らく俺を(勝手に)不良扱いしてる真面目な連中が白石に押し付けたんだろう。
白石は特に俺を怖がるでもなく嫌そうということもなく、平然と笑っていた。
「…そんなもん、俺は出ん」
「そうか。そんならそう言っとくばい」
夏休み前は少し関西訛りのあった言葉使いはいつの間にか九州のものに変わっていた。
「白石」
「ん?」
「白石は何に出ると?」
「俺も出んよ」
白石は悪戯っ子のように笑った。
球技大会は出なかった。
当日、俺は白石と初めて街に繰り出した。
「まさか橘が誘ってくれるとは思っとらんかったばい」
「…悪ぃな。忙しかったか」
「いんや。俺こっちに知り合いなんかおらんたいね」
白石は大阪から一人でこの九州の学校に来たらしい。
寮があることは知っていたが、本当に寮住まいの人間がいるとは思わなかった。
「何で知り合いもおらんのにこの学校に来たと?」
見たところ白石は特に成績がいいとかスポーツが秀でているとかいうことはなさそうだったし、
そもそもそんな他県から来るほどの特筆はうちの学校にはないはずだ。
「別に…寮があるとこだったらどこでも良かった。たまたま学校案内誌見て最初に目ついたとこに来ただけばい」
「ふーん…ワケアリ?」
「くだらんことたい」
多くを語りたい様子でもなかったから、聞かなかった。
少し伸びて耳が隠れた髪の下に、一学期の頃はなかったピアスが光っていた。
やたら目立つ金髪の俺と、同じくやたら目立つ長身の白石が平日の昼間に歩いていて、絡まれないわけがない。店を出た途端に同じようにサボっているらしい高校生らしき集団に囲まれた。
白石はこんな風に絡まれたのは初めてではないのか、冷静だった。
俺もその頃には殴られっぱなしに飽きて反撃も覚えてきていたところだったので、連中は大した敵じゃなかった。
二人で路地裏でひとしきり暴れて、とっとと退散してしまった連中の背を見ながら白石は気持ち良さそうに笑った。
「桔平、かっこよかね」
「…お前もな」
白石は俺よりも強いんじゃないかというほど相手を伸してしまった。
二人で息を上げて、喧嘩を通じて仲を深めるなんて、少年漫画じゃあるまいし。
だけどそれから、俺と白石千里は仲良くなったのだ。
二人で学校をよくサボるようになった。
街に出れば喧嘩もたくさんした。
俺達は自分からは喧嘩は売らないけど、売られた喧嘩は買った。
全戦全勝―――
いつの間にか俺達はその界隈では知らぬもののいない不良になっていた。
当然、そんな俺達に喧嘩を売る先輩も教師も最早いなかった。
そうなれば学校はとても居心地のいいものだ。
何より、安心して背中を預けられる友がいる。俺達はずっと一緒だった。
そしてそのまま高校も同じところに行った。
そこは寮が無かったから、千里は自分でバイトして小さなアパートを借りた。
おかげで益々学校のサボり癖は出たけど、千里は不思議と成績はいつも定位置をキープしていた。
「あー…彼女欲しか」
「桔平、また別れたと?」
「千里誰か紹介せんね」
「桔平は女の子に優しくないからいかんばい。妹には激甘な癖に」
屋上は俺達の溜まり場だった。
生徒は立ち入り禁止だし、教師も上がってこない。
まぁ生徒がいると分かっていても俺達だったら教師は放っておくことにするだろう。
「まぁ俺のお下がりで良ければ貸しちゃる」
「千里のお下がりは嫌たい。お前女の趣味よくない」
「失礼な…」
「ちっこくて元気が良くてキャンキャン煩いのは俺の好みじゃなか」
その頃には俺を信用してくれたのか、千里は色んなことを話してくれるようになった。
大阪の家族のことも、その頃聞いた。
親父が白石蔵之介だって聞いた時はさすがに俺もビックリしたけど、千里は親父だなんて思ってもいないようだった。
「千里だって女とあんまり長続きせんがね」
「女には本気にはならん…」
ある程度の話を聞いていた俺は、千里が若干女が苦手なことを知っていた。
たぶん親父みたいになるのが嫌なんだろう。
だからあんまりセックスしない(と昔の千里の女が言っていた)
高校に入ってしばらく経った時、いつものように千里と街を歩いていたら急に千里が立ち止まった。
「千里?」
「………何でここにおると?」
千里の目線の先には赤ん坊を抱いた男。
男は一目で一般人じゃないオーラを放っていた。
…白石蔵之介だ。
千里はちらりと俺を見た。
俺は頷いてその場から立ち去った。
父親を目の前にした時の千里は、今まで見たことがない顔だった。
まるで無防備な子供みたいだった。
「……………」
俺は、こうして二人で街で遊び回る日々が終わることを予感した。
翌日、いつになっても学校の屋上に来ない千里に焦れた俺は千里のアパートに行った。
「桔平。すまんばいね、寝坊したばい」
「別によか」
父親の姿は無かった。
昨日のうちに帰ったのか、ホテルにでも泊まっているのか、それは知らない。
「桔平…俺、お前と一緒におるのが楽しかよ…」
「俺もばい」
「学生の間くらいは遊びまわろうな」
「おう」
………ああ、千里は大阪に帰るのか。
高校生活が終わったら。
不思議と寂しくはなかった。
まだまだ俺達にとって学生生活は長いと思っていたし、千里は少しすっきりした顔をしていたから。
千里が親父と和解できるなら、それはいいことだと思えた。
だけど予想に反して学生生活は短かった。
三年の二学期に、千里は俺に言った。
「卒業したら、大阪に帰るばい」
「ああ…」
「桔平、寂しくなかと?」
「…バーカ。そういう台詞は女に言ってやらんね」
「…俺は寂しい」
千里はデカい図体を丸めて顔を膝に埋めた。
泣いているのかもしれない。
そう思ったら俺も鼻の奥がツンと痛んだ。
「お前と出会ってから今まで、あっという間だったばい」
千里は答えない。
「俺達はあっという間に大人になる」
「桔平は大学に行くと?」
「ああ。教師になる」
「はぁ!?桔平が!?」
「俺、子供は好きばい」
「…意外たい…」
千里は膝を抱え込んだまま小さく笑った。
「大人になれば、学生時代より自由になる金が増える」
「うん…」
「そしたら大阪なんて近いもんたい」
「…うん…」
「九州二翼の絆はそう簡単には切れんぞ。覚悟しとけ」
頷いた千里は、かつてのどこか一線を引いていた笑わない目じゃない。
千里が変わっていく過程を一緒に過ごせた。隣で見ていられたのは俺だ。
それだけで良かった。
その日俺は千里に手伝ってもらって髪を切って、黒く染めた。
随分久しぶりに制服を出して、きちんと着た。
千里の髪も俺が切った。
千里の制服は、入学してからまともに袖を通してるところを見たことがなかったが、また背が伸びたのか袖が短くなっていた。
俺は地元の大学に行き、千里は大阪で就職した。
ロクに連絡は取らなかった。
お互い新しい生活が忙しかったし、充実もしていた。
千里は一人大阪で、もうかつての喧嘩上等は成りを潜めているんだろう。
俺も一人九州で、今までからは予想もつかない真面目さで教員免許を取得した。
―――それから何年も経った。
「どーも、先生。うちの息子共がお世話んなりますわ〜」
「え」
教師になって数年、東京の学校に勤めるようになって更に数年。
「よろしゅう頼んますわ。あ、俺は絶頂白石蔵之介言います。こっちが息子の謙也。ほら謙也挨拶しなさい」
「…どうもよろしゅう」
大阪からの転校生を連れてきた父親は、かつて一度だけその姿を見たことがあった、白石蔵之介だった。
向こうは数年前に千里と一緒にいた俺に気付いていない。
それはそうだ。俺の容姿や印象は随分変わったはずだ。
もしかしてこの子があの時白石蔵之介が抱いていた子だろうか?
(その後それはこの子の下の弟だということを知った)
白石謙也は、真っ直ぐな子だった。
明るくて、すぐにクラスでも人気者になった。
謙也を見ていて、きっと今白石家は平穏なのだろう、と思った。
「お、桔平」
「何ねお前また学校に来て…しょっちゅう来過ぎたい」
「金ちゃんのお迎えたい!」
その俺の予想は当たっていたようで、久しぶりに再会した千里はただのアホな兄貴と化していた。
一番下の弟が可愛くて仕方ないらしい。
かつての二翼の面影はもうどこにもない。
よく笑い、よく泣く。今じゃ滅多に怒ることもないようだ。
人は変わる。
でもそれが悪いことばかりじゃない。
「桔平、週末飲みに行かんね」
「…お前、金太郎の話しかせんから嫌ばい」
「何でね!金ちゃんむぞらしかよ!」
目の前に広がる千里の満面の笑顔を見てると、そう思う。
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