―――子供なんか欲しくなかった。
「もうあんたと暮らすのなんかうんざり。さよなら」
そう言って、今はもう名前も思い出せない女は出て行った。
まだ小さかった千里を置いて―――
千里が生まれた時俺は、俳優として駆け出しで、やっと人気が出始めた頃だった。
そんな時に子供が出来たなんてとんでもないスキャンダルだ。
ただでさえ俺はまだ未成年やったし、置いていかれた千里を見てただ呆然とするしかなかった。
こんなことで仕事が減りでもしたら、それこそ千里を育てるなんて出来なくなる。
俺はこれからも俳優として身を立てていくって決めている。
俺は、千里の存在を表向きは隠して育てるしかなかった。
「なぁ千里、俺のことはお父さんって呼んだらあかん」
「なんで?」
「何でもや。分かったか?」
「うーん…わかった」
ほとんどの時間、千里は当時はまだ大阪におった親父に預けてずっと仕事しとった。
親父の教育の賜物なのか、千里は驚くほど手ぇかからん子供だった。
それでもたまに実家に帰ると、千里は俺に気遣わしげにこう言った。
「なぁなぁ、次はいつ来るん?」
「…分からん。俺今映画撮ってんねん」
「えーが」
「終わったらまた来るわ」
そう言って女のところに泊り込んだ。
親父には色々文句言われたけど、元々欲しくて出来た子ちゃうし。
俺は父親としての自覚なんかこれっぽっちも持ってなかった。
そうこうしてるうちに、その時泊り込んでたところの女まで妊娠した。
今度は双子だった。
そしてその女も双子を置いて俺から離れて行った。
その時、俺はすっかり俳優としては名前が売れて、そこそこファンに愛されるようになっていた。
「…蔵…お前いい加減にせんか!!!」
生まれたばかりの双子を抱いて実家の敷居を跨いだ時の親父の怒りは筆舌に尽くし難い。
俺は少し大きくなった千里の前で親父に土下座して、双子も預かってくれと頼み込んだ。
もちろん金なら必要なだけ、いくらでも入れるから、と。
「金の問題ちゃうわ…お前、せめて千里とこの子達と一緒に暮らしたり」
「そんなん言われても俺仕事忙しいし面倒見切れんわ」
「ベビーシッターでも雇ったらええやろ。ワシかて生活あるんやで」
「……………」
親父はとうとう呆れ果てたのか、その家を引き払って東京に行ってもーた。
残された俺は隠し子3人抱えてとりあえずマンションを借りた。
「俺は忙しいからな。自分のことは自分でするんやで」
千里は黙って頷いた。
しばらく会わんうちに何や無口になったんちゃうか。
それも手ぇかからん証拠やな。楽なもんや。
俺は千里が何も言わないのをいいことに、必要なものは与えて仕事に打ち込んだ。
生まれたばかりだった小春とユウジの面倒も千里が幼稚園から帰ってきたら全部やってくれた。
家のことを考えるのが嫌で、俺は仕事に打ち込んで、仕事のない時は仕事にかこつけてまた女を作った。
というか作るつもりはなかったんやけど、寄ってきた女相手にしとっただけやからしゃーない。
前科がある分セックスに関してはめっちゃ慎重になっとった。
それでも何の不幸か子供は出来た。
(後から考えたらいくらでも方法はあるやんな。コンドームに穴でも開けられとったんやろ…)
仕事は順調、年齢もそこそこいっとった。
だから今度はその女とは籍を入れた。
生まれたばかりの謙也を抱いた女を紹介した時の千里の表情は、さすがに随分大人びていた。
じっと顔を見たことなんて、それが初めてだったような気がする。
「この人とな、結婚しようと思うねん」
「…好きにしたらええ」
「そんでな、もうお前も俺んことお父さんって呼んでええんやで」
この結婚を機に隠し子生活も終わりにしようと思っていた。
もうそれなりの俳優としての地位を確立していた俺には少し精神的にも余裕が出来ていた。
…だけどその時はもう遅かったのかもしれない。
「俺、中学は九州の私立に行く」
「…は?」
「やからアンタは好きにやったらええよ」
千里はすっかり俺に対して心を閉ざしていた。
……………
「…というのが千里が隠し子生活やった時の大まかな流れや」
「………最低や…最低すぎる…」
「けどまぁそんな感じやろなー思てましたけど」
なんやいきなり謙也と光が揃って俺んとこ来た思たら「千里との昔の話聞かせてや」やと。
丁寧に嘘偽りなく話してやったら、謙也は顔を歪めて手で耳を塞いだ。
「こんな最低なんが俺の親父やなんて…嘘やん…」
「こら。お父さんに最低やとか言うんやありません」
「説教できる立場か!」
謙也に鋭く突っ込まれる。
…まぁ確かに…千里に関しては最低やったかなぁ、と思わないでもない。
「んで、謙也君生まれて千里さん九州行って、どうなったんスか?」
光に話の先を促される。
正直ここから先はあんまり話したくない。
でも光だけじゃなく謙也も興味を持った目で見つめてくるんやからしゃーない。
俺は仕方なく重い口を開けた。
「…千里は…九州行って、グレた…」
「「……………」」
夏休みになっても、冬休みになっても千里は俺の家に一回も帰って来んかった。
電話をかけても何だかんだと理由をつけてすぐ切られてしまう。
その頃俺はやっと子供の可愛さみたいなものを感じるようになっていて、千里とも距離を縮めようと必死やった。
そして千里は中学を卒業しても帰って来なかった。
「もしもし、千里?お前高校はこっち帰って来るんやろ?」
「…帰らんばい。こっちの方に友達も出来とるし、こっちで進学するとよ」
すっかり九州の言葉が馴染んでしまったのか、幼い頃のたどたどしい関西弁は全く出てなかった。
「せやけど、こっちも千里に会いたいんやで」
「……………」
電話の向こうで小さく笑ったような声がした。
「…今更たい」
電話は、そのまま切れた。
千里が高校に行って間もない頃、俺は謙也の母親と離婚した。
そしてすぐ、また女が出来た。
小春とユウジはそんな俺を見て「困った親父やな」なんて笑っていた。
ずっと俺と一緒にいて俺の行動を見ていた二人は俺のこんな行動にも慣れきってしまっていたらしい。
………千里とも、もっと一緒にいてやれていたら。
一緒に暮らせずとも、せめてもっと頻繁に実家に帰っていればよかった。
若さ故、それも俺の望まないタイミングでの子供だったとはいえ、間違いなく千里は俺の子なんや。
俺はこれまでの自分の行動をすっかり後悔していた。
せやけど後悔先に立たずとはよく言ったもんや。
何やかやとまた恐らく何らかの裏技で(女はこの手の裏技に精通しすぎてると思う)光が出来た。
一度会って話をしないといけない。
そう思った俺は光を抱いて九州に飛んだ。
ちょうど少し長い休みが取れたから、親子水入らずで話したら何とかなるやろ。
そう思っていた。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………何で此処におると?」
内緒で九州に飛んで驚かせたろー思っとった俺は、逆に自分が驚くことになった。
千里の見た目があまりに変わっていたから。
背が伸びて、髪も伸びて、何より人相が変わっとる。
一目で真面目に学生生活を送ってる容貌やなかった。
「…ていうか、何ねそのガキ…また作ったと?懲りん男たいね」
すっかり俺より背が高くなった千里は俺の抱いた光を見下ろしてハッと短く笑った。
指に挟まれたすっかり短くなった煙草を俺の足元に向かって投げ捨てて。
「千里…」
「説教しに来たんか女漁りに来たんか知らんけどどっちにしろ俺には関係なか」
「…お前、どないしてん…」
小学生だった千里は、無口だった。
だが目の前にいる千里はむしろ饒舌なように感じた。
だけどその口は冷徹な言葉ばかり発する。
「…アンタの子供になんか生まれたくなかったばい」
その時初めて、俺は千里にとんでもなく深い傷を付けてしまっていたことに気付いた。
「そん時やっとッスか。遅いッスわ〜」
「最低や…千里可哀想や…俺今日千里帰ってきたら背中流したる…」
光は呆れ、謙也は半泣きになりながら俺の話を聞いている。
「千里…その程度のグレで済んでよかったなぁ」
「ほんまッスね。俺やったら人殺してますわぁ」
「いや、実際千里も結構きわどいことやっとったらしいで。俺に情報来んかっただけで」
「は?きわどい?」
「何かしたんスか?」
「前科とまではいかんけど、人半殺しにしてカツアゲとかしとって鑑別所とか行って…俺もその後身元引受人で迎え行ったし」
「「……………」」
謙也と光は顔を見合わせて息を飲んだ。
「おい光…お前もう千里に口答えすんなや」
「謙也君こそちんたらして千里さんイライラさせないで下さいよ」
別に今の千里は滅多なことじゃ怒らないから平気やろ。
「…そんで親父その後どないしてん」
「千里さんどうやって更生したんスか?」
二人とも興味津々という目で俺を見つめる。
「んー………泣いた」
「は?誰が?」
「や、俺が」
「アンタに泣かれたところで千里さんのが泣きたいでしょうよ」
「おお、千里もそう言ったわ」
せやけど何か涙止まらなくなってん。
千里はちょっと驚いた顔をして固まっとった。
「…何でアンタが泣くと?」
「せやかて、悲しいんやもん」
「俺のが今まで散々悲しい思いしたばい。何を今更親父ぶっとると?」
「………俺のせい、やから………」
涙のせいで声がうまく出ない。
涙がぽたぽた落ちて、眠ってる光の上に落ちた。
「俺、のせいで…千里の人生酷くしてしもて…ごめん…」
泣いて謝ったところで遅いとは思った。
千里もきっとそう思っているだろう。
「…アンタ俳優っちゃろ…そんな汚い泣き方でええん?」
確かに今俺は顔はぐしゃぐしゃで鼻水と涙で汚れててとても見れたもんやないやろう。
せやけどこれは演技とちゃうし。カメラがあるわけでもない。
それにとてもこの感情は止められそうにない。止まらない。
しゃくりあげながら鼻水啜って、何度も「千里ごめん」って言い続けた。
「…全く、5人もガキがおる男には見えんばい」
「お、俺…ッ俺の方がガキやった…っ…」
「本当たい。アンタ親になる資格なかよ」
「ぅっ…ごめ、ん…ごめん、せんり…」
千里は呆れたように笑って、俺に背を向けた。
「せんり、」
「…今度帰る時はもうちょっと落ち着いといてくれよ」
「帰ってきてくれるんか?」
ちょっとだけ振り返った時の千里の顔は、まだ幼かった頃の気遣わしげな笑顔を思い起こさせた。
「…中学入る時に会ったっきりの義母さん?にも挨拶せんといけんね」
「あ、ごめんその人とはもう別れた」
「はぁ!?死ね!」
「あ、でも今新しいお義母さんおるから!ほらこの子の母親!」
千里はその時初めてまともに光に目を向けた。
思えば千里は俺が千里をロクに見もしなかった頃の心境に近かったのかもしれない。
腕に抱かれた赤ん坊を見た瞬間、ちょっと千里の表情は和らいだ。
「かわええやろ?光言うねん!ほら光、お兄ちゃんやでー」
俺は強引に光を千里の腕に抱かせた。
光はちょっと慌てたみたいやったけど、手馴れた手付きで光を抱いた。
「…何や千里お前慣れとんなぁ………まさかお前俺みたいにこっそり子供作っとるんじゃ…!」
「アホ。アンタじゃなか。ずっと小春とユウジの面倒見てたの俺たい」
俺をひと睨みしてから、光を見る千里の目は優しかった。
元来子供が嫌いではないんだろう。
「…器量の良か子やね。顔だけは親父に似てよかよ」
千里は優しい笑顔を光に向けた。
「顔だけは」って何やねん…って言い返そうとして気付いた。
「…その時初めて千里が俺を親父って呼んでくれたんや」
話し終えた時、謙也はもう完璧に泣いていた。
「千里…!何てええ子なんや…!俺今日千里が帰ってきたら肩たたきしたる!」
「俺も千里さんに謙也君の消しゴムやるッスわ」
「ぅおい!何で俺のやねん!自分のモンなんかやれや!」
テンポの良い二人の会話に自然に笑みが浮かぶ。
「それから千里は更生して高校卒業して戻ってきたんやな!?」
「いや、高校時代はずっとそれなりに荒れとった」
「なんでやねん!そこは仲直りして更生やろ!」
ドラマとかならそうやんなぁ…けどこれは現実のお話や。
結局その後も俺と千里はずっとぎくしゃくしとった。
それなりに話すようにはなったけど、わだかまりはそう簡単には解けない。
生まれてからこれまでに作ってしまった溝は、時間をかけて埋めていくしかないんやろう…そう思った。
そんな千里の態度が軟化したのは、思ったよりも早かった。
千里が高校を卒業して、就職で大阪に帰って来ることになった時。
「………親父。なんね、コレは」
「………新しい弟やで☆」
「……………」
その頃、光の母親とも色々あって別れた俺は新たな子供を設けていた。
「ほーら、金太郎、お前の兄ちゃんやでー」
「……………」
どうせ結局別れることになるんやろ思っとったから、最初から籍は入れんかった。
やっぱりというか何というか、金太郎が生まれた途端に女はどっか行った。
すっかりそんなことに慣れっ子になっていた俺はすっかり遊び人キャラが世間にも定着しとった。
もうたぶん結婚はせんわ…金太郎の母親が逃げて行った時俺は心に決めた。
千里は何とも言えない表情で俺を見ていたが、九州で再会した時のとんがった感じはすっかりなくなっとった。
そっと金太郎に伸ばされた千里の手を、金太郎はぎゅっと握った。
そして千里に向けて満面の笑みを向けた。
「……………むぞらしか…」
「その瞬間、俺はこの一生を金ちゃんのために捧げることに決めたとよ」
「うわっ、ビックリした!」
「千里さん、おかえりなさいッス」
いつの間にか千里が帰って来ていたらしい。
どこから聞いていたんだか、しっかり話を引き継いでいる。
「そんでな、金ちゃんを作ってくれた親父のことも少しは見直してやったばい」
「そんなことで見直すんスか。甘いッスね」
「光、何を言うと!金ちゃんという天使をこの世に作りたもうたんは仮にも親父っちゃ!」
「まぁせやけどそんなことでわだかまりって解けるもんなん?」
「確かにこんなクソ駄目親父から天使が誕生するなんて遺伝子の不思議たい」
「いや問題はそこちゃうくて…」
…何はともあれ、俺と千里のわだかまりはいつの間にかなくなった。
やっぱり子供は元々好きだったらしい千里は、家に戻ってきてからもすぐ他の子供達とも打ち解けた。
俺んことは相変わらず「駄目親父」みたいやけど、それでも普通の親子程度には仲は良くなったはずだ。
まぁ俺としてはこれまでの償いとして、千里の喜ぶことは何でもしてやろうと思っとるわけで…
「千里、今度の日曜金ちゃんと遊んだってな。俺仕事やねん」
「任せんしゃい」
というのは後付けで、体よく育児を押し付けている。
prev next