夕飯を食べてる時、いきなり永四郎がびくっと体を震わせた。

「………?」

わんは何かあったのかとしばらく箸を止めて永四郎を見る。
だが永四郎は一点を見つめたまま動こうとしない。
そしておもむろに立ち上がると、居間を早足で出て行った。

「………?」
「あれ?母ちゃんちゃーしたんばぁ?」
「トイレかやー。ごはんのときトイレ行ったらならんばぁよ」

凛と裕次郎がいきなり部屋から消えた永四郎に首を傾げる。
慧君は黙々と箸を動かしながらちらりと電気の紐を見上げた。

………ああ、なるほど…

「父ちゃん、母ちゃんちゃーした?」
「ん、気にしなくていいさぁ。いい子にして食べとるんどー」

凛の頭を軽く撫でて、わんも居間を出た。



寝室に行くと、ベッドの上の布団に膨らみがあった。
めくると永四郎が頭を抱えて蹲っている。

「永四郎。もう止まったどー」
「………別に何でもありませんけど」
「そうかやー。何でもいいから早く戻るさぁ」

永四郎はやっと起き上がった。
決まり悪そうに、珍しく目線を泳がせている。

寝室の電気の紐を見ると、さっきまでの地震の名残でまだ小さく揺れていた。



永四郎は地震が苦手だ。

それは地震のない地方で育ったわったーは多かれ少なかれ持っている恐怖なんやしが、永四郎のは桁違いだ。
凛と裕次郎は小さい時からこっちにいるから大して問題ないらしい。
そしてこの二人はたぶん永四郎が地震が苦手だということさえ知らないだろう。
慧君は…さっきもちらりと電気の紐を見てたくらいだから、知ってるんだと思う。

しかし電気の紐が小さく揺れる程度の、体感するには小さすぎる揺れで気付くなんてよっぽどだ。

「やー、このくらいの地震には耐性つけた方がいいどー」
「地震に大きいも小さいもありません。どの地震も均等に、満遍なく恐れを抱くべきです」
「言っとることは立派でもっともやしがやーのは病的やっし…」

こんな小さな揺れ程度でいちいちベッドに潜り込まれてたんじゃたまったもんじゃない。
永四郎はつくづく、内地で暮らすのに向いてないのかもしれない。
そもそもこっちに来たのだってわんの仕事の都合で、永四郎は最後まで渋っとったし…

まぁわんもさすがにこっちに来た当初は地震があるたびにいちいち過剰に反応してたんやしが…

…っていうか、自分の子供も夫も放り出して自分だけベッドに逃げ込むって…
永四郎らしいといえばらしいが、ちょっとあまりにもな態度だと思うのは間違いだろうか。



「あ、母ちゃんどこ行ってたんばぁ?」
「トイレはごはん終わってからやさぁ」
「何でもないですよ。さっさと食わないとゴーヤ増やすよ」
「「何で!?」」

居間に戻ると既に食べ終わった慧君が楊枝を使いながらテレビを観ていた。
さっきの地震の情報がテレビの上部分に小さく流れている。
あのくらいの揺れじゃこの辺りの震度まで出はしないだろう。

「…最近、多いですね…」
「地震?」

「地震」って単語を言うのさえ嫌なのか、敢えて主語を省いて永四郎は呟いた。

「まぁ確かにちょっと多いやしがこの辺りは特別大きいのはきてないさぁ」
「これから来るかもしれないじゃないですか」
「…知らんけど…心配しすぎさぁ」
「心配はしすぎってことはないでしょう!いくら心配したって足りないくらいですよ!」

余程嫌なんだろう、永四郎の口調に熱が篭ってくる。

「今の時代どこにいたって安全なんてことはないんやっし…」
「俺は暴漢に殺されるより地震で死ぬ方が嫌ですね」
「わんは暴漢に殺される方が嫌かなぁ…」
「わんはゴーヤ食いすぎて死ぬのがいや!」
「わんも!あと、母ちゃんに殴られて死ぬのもやだ!」
「ふらー、一番嫌な死に方っつったら餓死だろ!」

いつの間にか子供達も加わってどの死に方が一番嫌かについての談義になった。

しばらく皆であーだこーだと談義した結果、一番嫌な死に方は『生きたまま焼かれる』という結論に落ち着いた。



「…って、違う!」

永四郎が唐突にテーブルを叩く。
わんと子供達はビックリしてテーブルに手をつく永四郎を見上げた。

「別に死に方についての考察を深める気なんかないんですよ、俺は!」
「うん…まぁそうだろうなと思っとったけど永四郎の気が紛れるならいいと思ったんさぁ」
「思いやりをありがとう!でも今はいらない!」

永四郎のしたいことがいまいちよく分からなくて、わったーは顔を見合わせて首を傾げる。



「避難訓練をします」



……………



永四郎の提案にわったーは言葉を失くした。

「いつ何時地震がきても動揺せずに無事生き延びるためには必要なことだと思います」
「…まぁ…言ってることは分かるさぁ」
「何かあっても自分だけは大丈夫だという思い込みは死を呼びます」

言いたいことは分かるんやしが、そういう軍隊みたいな極端な言い方で子供達に教えるのはどうだろう…
そうは思ったが、あまりに永四郎が真剣な目をしているから言えなかった。
現に凛と裕次郎は「油断したら死ぬの?」と何やら不安げな視線をわんに送ってきている。

「死にたくなければ自分の身は自分で守るべきです」
「自分の子供達くらい責任持って守ってやったらいいやさぁ」
「いざって時に俺は自分の身を挺して子供を守れる気がしません」

偉そうに腕を組んで言われても困る。

「わんは永四郎と子供達なら自分の身を挺して守る覚悟でいるどー」
「知念クン…」

わんの言葉に永四郎は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「一生守ってやるつもりで結婚したんやし…子供達だって同じさぁ」

頭を撫でてやれば、永四郎は少し頬を染めてわんを見上げてきた。
勿論この言葉はわんの本心やしが、この言葉で永四郎が避難訓練なんて面倒なことを取り止めてくれるならしめたもんだと思った。

………が、

「けど避難訓練はしておくべきですね」

永四郎はそんなに甘くなかった。



「とりあえず設定は、深夜に地震が起きたということにしましょう」

永四郎はさっきまでの甘い雰囲気を打ち消して改めて場を仕切りなおした。
わんは既に諦めて言うことを聞くつもりでいたが、慧君なんかは露骨に面倒臭そうだ。
凛と裕次郎はわけも分からずワクワクしてる様子だ。

「0時になったら俺が『地震だ!』って叫びますから、そしたら皆この居間に集合です」
「本当に0時にやるんばぁ?」
「わんぜってー起きてらんないさぁ」
「…わん、地震で死んでもいいから寝てていい?」

慧君の不届きすぎる発言に永四郎がぎらりと冷たい視線を投げる。

「…分かりました、やります…」
「慧君は一応目覚ましセットしておきなさいね」

慧君が目覚ましをセットするために部屋に行くと、永四郎はどこからともなくバッグを取り出した。
大きいバッグは相当荷物が入りそうだ。

「はい、各自これに大事なものを入れて」
「非常用バッグってやつかやー?」
「知念クン、脱脂綿とかピンセットとかは要らないものですからね」
「ぬー!?わんにとっては大事なものさぁ!」

脱脂綿もピンセットも各種揃えた実験器具も大事なものだ。そこは譲れない。

「…前言撤回します。大事なもの、じゃなくて最低限必要なもの、にします」

溜め息をつきながら永四郎が言う。
わんにとっては必要だが、たぶん認めてもらえないだろう。
…まぁこれは訓練なんだし、今わざわざ食い下がることもない。
実際の災害が来るまでに永四郎を説き伏せる理由を考えよう…

「凛クン、ハブのおもちゃは要りません」
「うそ!?いるだろ!?」
「要りません。裕次郎クン、帽子は被ってればいいでしょ」
「被れない分はどうするんさぁ?」
「…重ねて被ればいいでしょ」

裕次郎は帽子は何枚重ねて被れるか、というくだらないギネス記録みたいなものに挑戦し始めた。
凛はハブのおもちゃは放り出して裕次郎に協力している。

「え、母ちゃん、食い物これだけ?」

慧君がバッグの中を確認してうろたえた声を上げる。
おそらく缶詰や水、キッチンに買い置きしておいた分が入っているはずだ。

「まぁ今日は訓練ですからね…もう少しは買い溜めしようと思ってますけど」
「水だけじゃ物足りんからコーラも入れて」
「慧クン、ピクニックに行くわけじゃないんですよ」

わんは実験器具以外に特にいるものもなかったのでその辺にあったバールのようなものを入れた。

「…知念クン、何この凶器」
「バールのようなもの」
「………要る?」
「…まぁ正直、要らない」
「じゃあ元に戻してきて」

バールのようなものを戻しながらわんは、荷物まとめは永四郎だけでやればいいのに、と思った。
そしてこの凶器(バールのようなもの)はわんが何か不始末を起こした時に使われるんだろうかと思い、少し怖くなった。

「…まぁこんなもんですかね。よし、それじゃあ時間まで解散!」

…本当に、まるで軍隊だ。



まだ0時までは数時間ある。

凛と裕次郎は既に眠いらしく、寝かしてしまうことにした。

「とうちゃん、何で母ちゃんはあんなに必死なんばぁ?」
「永四郎は地震が怖いんさぁ」
「えっ、そうなの?母ちゃん怖いもんあったんか…」
「地震で凛や裕次郎が怪我するのも嫌なんばぁよ」
「いやたぶんそれはないどー」
「母ちゃんは自分が死ぬのが嫌なだけさぁ」

…永四郎、自分の子供にまでこんなことを言われるってどうかと思うぞ…

凛と裕次郎の部屋で二人のベッドの傍でダラダラしていると、慧君も部屋に入ってきた。

「慧君、ちゃーした?」
「母ちゃんがここで寝ろって」
「ああ、その方がいいさぁ」

凛と裕次郎はきっと自力じゃ起きれないし、二人を起こすなら慧君がいた方がいい。
まぁそもそも慧君自身が起きれるかどうかが危ういところなんだが。

「母ちゃんがああいうこと言い出した時に止めるのが父ちゃんの役割やっし」
「わっさん。けど永四郎は言うこと聞くようなタイプじゃないあんに」
「けどわったーが言うより父ちゃんが言った方が聞くどー」

不満げな慧君だがもう諦めているらしい。
溜め息をつきながら床に布団を敷いて横になった。

「ゆくいみそーれ」
「ん…」

眠ってしまった子供達を残して、わんは部屋を出た。



寝室に戻ってごろごろしていたが、永四郎は来ない。
たぶん居間で荷物の確認でもしてるんだろう、と思っているうちに眠ってしまった。



「ん…えいしろ?…」

何だかゆらゆらと体が揺すられる感覚で、意識はゆっくり覚醒した。
目が開いた途端咄嗟に見た時計は23時半を指している。
しかし永四郎はいなかった。なのに体が揺すられる感覚は続いている。

「!」

本物の地震だ。

しかも結構大きいんじゃないだろうか。
がたがたと箪笥や棚が揺れている。
わんは勢いよく起き上がってとりあえず子供達の部屋に向かった。

子供達は余裕で寝ていた。

「凛!裕次郎!慧君!起きるさぁ!」
「…ぬー…もう0時…?」

慧君が目を擦りながら起き上がる。
余裕だ。揺れていることにも気付いていないのか。

凛と裕次郎は起きそうも無かったので二人共まとめて肩に担いで、慧君を無理矢理蹴飛ばして起こした。

「あ、何これ…地震?本物?」
「とりあえず居間行くさぁ!」

やっと覚醒した慧君を連れて居間に向かう。
結構長い地震だ。まだ揺れている。

居間についても永四郎はどこにもいなかった。

「永四郎!?慧君、永四郎がいない!」

慧君に凛と裕次郎を預けてわんは家中探し回った。
トイレにも風呂にもその他の部屋にもどこにもいない。
極端な地震嫌いの永四郎がこんなに揺れているのに気付かないなんてわけがない。

「永四郎…どこ行ったんばぁ…?」

気付けば地震はもうおさまっていた。



とりあえず一度居間に戻ると凛と裕次郎は居間の床に転がってまだ寝ていた。

「母ちゃんいた?」
「どこにもいない…」

慧君は落ち着いたもので、テーブルに置かれていたお茶菓子を食べながらテレビを観ている。
テレビにはさっきの地震速報が映っている。
長いと感じたが、大した時間じゃなかったのかもしれない。
そして震度もさほどではなかったのだろう、テレビの上画面の速報が消えたら嘘のようにただの日常に戻って行った。

「非常用バッグがなくなってる」

慧君に言われて部屋を見渡せば、確かに居間に置かれていたバッグがない。

「……………」
「あとさっき見たら玄関開いてた」
「……………」

……………



……………

永四郎…

一人で逃げたな………



……………



「お菓子食う?」
「じゃあわんはお茶淹れるさぁ」

慧君が差し出してくれたお菓子を受け取って、わんは急須にお茶葉とお湯を注いだ。

「自分の身は自分で守る、か…」
「非常用バッグは一人一つにした方がいいかもしれんさぁ」
「あと携帯はやっぱりあった方がいい」
「凛と裕次郎にも持たせた方がいいかやー」
「バラバラになったら連絡つかんやし」

深夜の居間で男同士、今後の災害対策について話に華を咲かせる。
床には微動だにせずに眠る凛と裕次郎。

自分の身は自分で守る、という言葉を自身の身をもって教えてくれた永四郎のおかげで災害に対する心構えは出来た気がした。

今夜も平和だ。



そして永四郎は翌朝になっても帰って来なかったので探しに出たら、隣町の公園で裸足のまま発見された。



 

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