珍しく大きな荷物を持って、知念クンは玄関で立ち尽くしている。
その表情は心から心配げなもので、そんな表情を向けられている俺はつい苦笑してしまった。
「…何笑ってるんばぁ。じゅんに平気か?」
「平気だよ。いいから安心して行ってらっしゃい」
知念クンは職業柄滅多にないんだけど年に一回くらい出張がある。
どっかに教師達が集まって会議するための出張らしいんだけど、俺はよく知らない。
とにかくこれから知念クンはその出張に向かうわけなんだけど…
「心配しないでいいから。ほら、早く行きなよ」
出張はたかが一泊二日だ。
この程度家を空けるからって心配しすぎなんだ、知念クンは。
「でも、顔赤いさぁ…熱上がってきたんじゃ…」
「大丈夫だから」
心配そうに手を伸ばしてその手で俺の額に触れる。
俺は珍しく風邪を引いていた。
ここ数日気温が高かったり低かったりしたせいでうっかり体調を崩してしまった。
この俺らしからぬ失態だ。
よりによって知念クンが出張に行く時期に熱を出すなんて。
「本当に大したことないから。子供達帰ってきたらまた煩いから今のうちにさっさと出掛けちゃってよ」
手をひらひら振って半ば強引に知念クンを送り出す。
実は結構辛かったんだけど、そんな素振りは見せたところで知念クンを困らせるだけだ。
知念クンが安心して家を空けられるようにすることが俺の役目なんだから。
「じゃあ…出来るだけ無理せんとちゃんと休んでるんどー」
「ハイハイ。行ってらっしゃい」
「ん。行ってきます」
ちゅ、って俺の頬にキスをして、知念クンはやっと玄関から出て行った。
子供達はまだ帰って来ない。
きっとグラウンドでいつものように泥だらけになって遊んでるんだろう。
せっかくだから子供達がいないうちに少し休むことにした。
部屋に戻ってベッドの上で体温を図る。
「38度か…」
電子体温計の示す数字は俺にしては結構高い体温だった。
元々風邪を引いたりしてもそんなに熱が出る方じゃないから、熱には弱い。
ベッドに横になったらあっという間に意識は沈んでいった。
……………
夢を見ていた。
どろどろした夢。
よく分からないまま、ただ不快感だけが体を支配している中目が覚める。
何度か目覚めてまた眠りに落ちることを繰り返していたら、ふと額がひんやりした。
「……………ちね、くん…?」
重たい瞼を持ち上げると、蛍光灯の逆光になっていた影が笑った。
「まぁわんも知念君には違いないやしが」
明るさに目が慣れると、そこにいたのは慧クンだった。
「慧クン…」
慌てて時計に目を走らせる。
眠りが浅かったせいであんまり寝た気はしなかったが、そんなにも眠ってしまっていたんだろうか。
「寝てていいどー。そんなに時間経ってないし」
「…本当だ。珍しいですね、こんな時間に帰って来るなんて…」
「おー、父ちゃんが出張行く前に学校来て永四郎が大変だから早く帰れーって言って出掛けてった」
「……………まったく、心配性ですねあの人も…」
額にはひんやり冷えたタオルが乗ってる。
「これ、慧クンが?」
「おー」
「…ありがとう」
慧クンはそっけなく返すとDSに電源を入れた。
俺の部屋でゲームするなんて、珍しい。
「別にまだ外で遊んで来てもいいんですよ?」
「いいさぁ。今日は母ちゃん何もせんでいいやさぁ」
「でもご飯とか…」
「飯くらいわん作れるやっし。凛と裕次郎もわんが見るから寝てた方がいいどー」
「凛クンと裕次郎クンは…?」
「もうすぐ帰ってくると思う」
大きな背中をベッドにもたれかけて、慧クンはこっちを見ようとしない。
でも慧クンの優しさに少し胸打たれた俺は慧クンの頭をそっと撫でた。
「…ぬー」
「ん?ありがとう」
「………」
照れてるのか、短い髪からのぞく耳が少し赤い。
俺はお言葉に甘えてもう少し休むことにした。
「「かあちゃぁぁぁぁぁん!!!!!!!!!!」」
「ぐふッ!」
うつらうつらとしていたらいきなり腹に勢いよく何かが落ちてきた。
…いや、何かというかこの衝撃の前に聞こえた大声で凛クンと裕次郎クンだということは分かっていたけど。
あまりの衝撃(鳩尾に入った…)に声も出せずにベッドの中で丸くなる。
するとふと体にずっと圧し掛かっていた重みが消えた。
布団から顔を出すと慧クンに摘み上げられているうちの双子。
…何やら泣き顔である。
「…凛クン、裕次郎クン、おかえり」
「母ちゃぁぁぁん!生きてたぁぁぁぁぁ!」
「母ちゃん死んだらならん!死んじゃやだぁぁぁぁあああああ!!!!!」
「かしまさい!やー先に殺すぞ!」
慧クンの物騒な一喝で双子はぴたっと大人しくなった。
…が、まだえぐえぐとしゃくりあげている。
「…どうしたの、二人共」
ベッドから起き上がると慧クンに摘み上げられていた二人はバタバタ暴れて床に落ちた。
そのまま二人揃って俺に勢いよく抱き付いてくるもんだから、俺はバランスを崩して再びベッドに押し戻される。
「…っく…だっで…どうぢゃんがぁぁ…」
「があぢゃんがぐあいわるいっで…」
…知念クン…何もこの二人にまで報告していかなくても…逆に鬱陶しいのに。
「具合が悪いって言ってもね、死ぬほど悪いわけじゃないですよ」
「…ぐずっ、…そうなんばぁ?」
「えぐ…っ…う、っ…かあちゃんしなない?」
知念クンがどんな伝え方をしたんだか知らないけど、双子は事をよほどの緊急事態と捕らえたらしい。
まだ心配そうに泣きながら俺の顔を覗きこむ双子の頭を撫でてあげた。
二人は俺の表情を見てやっと落ち着いたのか、俺の上に居座ったまま涙と鼻水で濡れた顔を腕で拭う。
「ちょ…!手で拭わないの!洗ってきなさい」
俺がそう言うとやっと二人は洗面所に行った。
残された慧クンが忌々しげに舌打ちをしている。
「あいつら大げさやっし…」
「まぁまぁ。心配してもらえたのは嬉しいですよ。あ、皆のおやつ用意しますね」
ベッドから改めて降りようとしたら、慧クンが強引に俺を押し返した。
「慧クン?」
「わったー自分でやるさぁ。母ちゃんは寝てたらいいあんに」
「でも…」
「いいから!勝手に起きたら父ちゃんに母ちゃんが死ぬって電話かけんど」
「…それは困りますね…」
慧クンの優しさに甘えて、俺は仕方なくベッドに横たわった。
まだ熱は下がっていないらしく、起き上がるとふらふら眩暈がしたから助かった。
普段は何もしないでゲームしてるか何か食ってるかって子だと思ってたけど、根は優しいんですね慧クン…
何だかあんまり表情に出さないで優しくしてくれる辺りが知念クンを思わせた。
あの二人だって普段は俺のこと煙たがって怖がってる癖に…
病気だと思うとあんなに慌ててくれるなんて、俺も結構懐かれてるってことですかね。
そんなことを考えていたら自然と笑みが浮かんでいた。
具合が悪い自分を心配してくれる人がいる、幸せを噛み締める。
ああ、でもこんなの少し不謹慎かも。
子供達にはこんな姿見られないようにしないと。
布団で顔を覆って、俺はしばらく笑顔を隠した。
……………
「ばかりん、おこすなよ」
「だってごはん食べないとよくならないさぁ」
「でもかわいそうやさぁ」
枕元でボソボソ話す声に意識がゆっくり浮き上がってくる。
布団で顔を覆ってるうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。
随分眠ったのか、頭が少しスッキリしている。
そっと目を開けると俺に背を向けて凛クンと裕次郎クンが何かを言い合っていた。
時計を見るともう夕飯の時間だ。
やばい、急いで食事の支度しないと…
「…あ!かあちゃん起きた!」
「おはよう。すみません…これから夕飯の準備しますから」
「いいんばぁよ!」
裕次郎クンが起き上がろうとした俺をベッドに押し返した。
今日は皆にベッドに押し返されてばっかりだ。
「でも皆おなか空いたでしょう」
「慧クンがねー夕飯つくってくれた!」
「母ちゃんのぶんもあるんばぁよ!」
凛クンが指を指す小さなサイドテーブルを見ると湯気を立てるお粥が用意されている。
さすがに驚いて二人を見ると、二人は照れたように笑った。
「わったーもちゃんとお手伝いしたどー」
「たまごわったの、りん」
「ねぎちぎったのゆうじろ」
裕次郎クンが茶碗にお粥をよそってくれる。
そのままレンゲで掬ってふーふーして、それを俺の口元に差し出した。
「え」
「「あーん」」
ニコニコ笑顔の凛クンと裕次郎クンを見ていると、断るのも気が引ける。
大人しく口を開けたらほどよく冷めたお粥を入れられた。
「…美味しいですよ。さすがですね、慧クン」
「「わったーは!?」」
「…美味しいです。この…バラバラのネギとか、殻入ってる卵とか」
「たしょうのしっぱいはごあいきょうさー」
慧クンの作ったお粥はもちろん、手伝ってくれたという二人の気持ちが嬉しかった。
口をついて出るのは憎まれ口で、わが子に対して大人気ないという気持ちにもなる。
でも何だか俺のほうが照れてしまって素直な言葉は出そうになかった。
「ゆーじろ、次はわんがあーんする番!」
レンゲは今度は凛クンに渡り、さっきの裕次郎クンと同じようにふーふーしてからあーんされる。
結局最後までずっと二人は交互にお粥を食べさせてくれた。
「母ちゃん、熱下がった?」
「慧クン」
ちょうど食べ終わる頃を見計らって慧クンが部屋に入ってきた。
「何だか楽になりましたよ、ありがとう」
「慧くん!わったー母ちゃんにちゃんとごはんあげれた!」
「母ちゃんにあーんしてあげた!」
「おう。やれば出来るあんに」
慧クンは二人の頭を軽く撫でて、俺に体温計を渡した。
計ってみるともうほとんど熱は下がっている。
「ああ、もうほとんど下がってます」
「ほんと?」
「ほんと?かあちゃん」
小さい二人がベッドサイドにぴったりくっついて、俺の顔を覗きこむ。
心配げな顔がふたつ並んで、それはそれは可愛い。
思わず浮かびそうになる笑みを口元を手で隠して誤魔化した。
「ええ、もう大丈夫そうです。後は俺がやりますよ。皆ありがとう」
ベッドから降りて空になったお粥の皿を台所に持っていこうとすると、慧クンがそれを受け取った。
「もうほとんどやることないやさ。もうちょっと寝ていいど」
「でも…」
いくらなんでも全部を子供任せにするなんて申し訳ないし。
その言葉は結局言えなかった。
双子が腰にしがみついて無理矢理ベッドに引きずり戻されたから。
「けーくんがしてくれるんだからいいの!」
「かあちゃんはわったーと寝るの!」
「ちょ…二人とも離して…」
慧クンは俺達を一瞥すると笑いながら部屋を出て行った。
俺は右に裕次郎クン、左に凛クンに挟まれて身動きが取れなかった。
「母ちゃん、きにしなくていいから寝る!」
「慧くん何でも出来るからへいき!」
確かにお粥も美味しかったし、やけに世話慣れてる風なのが分かった。
いつもは人任せなのに…本当にいざって時は頼れる男ですね。惚れそうです。
俺は無理にベッドに横にされる。
二人の体温が体にぴったり寄り添う。
思えばこんなに密着することなんて、赤ん坊の時以来なんじゃないだろうか。
赤ん坊の頃から二人は知念クンにベッタリだったから。
何だか不思議な気分だ。
知念クン以外の体温が自分の傍にあること。
(…でもこれも悪くない)
「母ちゃん、早く元気になってね」
「やっぱり母ちゃんのご飯が食べたいさぁ」
ベッタリ俺の腕に絡みついたまま俺の耳に二人の声が届いた。
「ありがとう、三人共」
俺の声は思いのほか小さくて、届いたかどうかわからないけども。
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