俺の朝は早い。



早朝から庭に出て竹刀で素振りをする弦一郎母さんに起こされるからだ。
今日もビュンビュン音がすると思い小屋から出てみると、一段落したらしい弦一郎母さんがこっちを見た。

「ジャッカル。おはよう」
「おれかよ!」

弦一郎母さんはいつも怒ったような顔をして、実際よく怒っている。
俺もよく、世話をしてくれるブン太の巻き添えを食らって怒られる。

しばらく素振りを続ける弦一郎母さんを見ていたら、背後から誰かに頭を撫でられた。

「おはよう、ジャッカル」

振り返ると精市父さんだった。

「おれかよ!」

精市父さんはこの家で唯一俺と会話が成立する人。
何だかよく分からないが、どくしんじゅつ、とかいうらしい。
ブン太や赤也もそれが出来れば俺の苦労は少し減るのに。
…と以前精市父さんに言ったら「これが出来るのは生まれながらの才能がないと駄目なんだよ」と言われた。
つまり、ブン太や赤也にはその才能がないということだ。

今日の精市父さんはもう既に仕事用のスーツを着ている。
こんな朝早くから仕事に行くのかな?

「そうなんだよ、最近また人手不足でね…俺の出勤時間が増えて増えて…」

精市父さんはあんまり体が丈夫じゃないのにそんなに仕事ばっかりして平気なんだろうか…

「ふふ、大丈夫。昔よりは丈夫になったんだから」

それはいいけど…無理すんなよな。

「ありがとう。ジャッカルは優しいね。さすが4つの愛を持つ男」

言ってる意味が分からなかったからそこはスルーしておいた。



「ところでジャッカル、今日は何だか面白いことが起こる気がするよ」

面白いこと?

「うん。多分蓮二が貞治君を連れて来るんじゃないかな」

蓮二兄さんが?
貞治君というのは蓮二兄さんのこいびとだって聞いた。

「貞治君が蓮二に何か如何わしいことをしないように、ジャッカル、ちゃんと見張ってるんだよ」
「おれかよ!!!」

何でだよ!俺外犬だから家の中のことなんてわかんねーし!

「そうかそうか、ちゃんと見張っててくれるか…いい子だ」

…何でこういう時は通じないんだ…
今こそどくしんじゅつとやらを駆使して欲しい。



「む、精市…もう出かけるのか?」

庭の方から弦一郎母さんが現れた。
手にはじょうろ。庭の花に水でもあげていたんだろう。

「弦一郎。そうなんだ、もう出ないと…」
「そうか…気をつけて行けよ。帰りは遅くなるのか?」
「うん、たぶん遅くなるから先に寝てていいよ」
「妻が夫より先に床に入るなんてあってはならん!」
「ふふ、待っててくれるなら嬉しいけどさ」

……………

目の前で繰り広げられる2人の世界を見せ付けられる回数が一番多いのは、たぶん俺だ。

「さて、もう行くよ。ジャッカル、さっきのこと頼んだよ」

精市父さんは弦一郎母さんの頬に軽くキスして、俺の頭をひとなでして門を出て行った。

「…さっきのこととはなんだ?ジャッカル」
「おれかよ!」
「………わからん」

…ですよねー。



弦一郎母さんも家の中に入ったので、俺も小屋の中で横になった。
もう少し寝よう…

…と思った途端に家の中から弦一郎母さんの怒鳴る声が聞こえた。

もう子供達が起きる時間なんだろう。
こんな大声が響き渡るのももう日常茶飯事だ。

『ブン太!早くジャッカルに餌をやらんか!』
『朝からうるせーなぁ。今やるっての』

そんな声が聞こえたから、俺はまた小屋から出てブン太が出て来るのを待つ。

しばらく経ったらドアが開いて、制服に着替えたブン太が出てきた。

「おうジャッカル。お待たせー」
「おれかよ!」
「うまいか?それうまそうだよな。いっつも準備してる時いい匂いなんだよぃ」

犬の餌食う気かよ。
ブン太は本当に大食いだから侮れない。
本気でやりそうで怖い。

ごはんを食べ終えてブン太に頭を撫でられていたら、今度は蓮二兄さんが出てきた。

「ブン太、早く朝食を食べろ。ジャッカルの散歩は俺が行ってやる」
「え、いいの?」
「俺はまだ時間に余裕があるんでな。お前は急いだほうがいい」
「マジかよぃ?じゃあ蓮兄、頼んだぜぃ!」

慌てて家の中に戻っていくブン太を見送って、蓮二兄さんを見上げれば散歩用のリードを持っていた。
散歩は大好きだ。自然としっぽが揺れてしまう。

「さぁジャッカル、行くぞ」

俺の散歩コースは基本的には近所の公園まで行って、その公園を一周して戻るというものだ。
ブン太や赤也がいると一緒にフリスビー投げたり取ったりもするんだけど。
今は朝だし、相手は蓮二兄さんだしきっと遊んではもらえないだろう。

慣れた道のりを歩いて、今朝は早々に散歩を終わらせた。

蓮二兄さんは俺の散歩が終わるとすぐ家に入って荷物を持ってまた出てきた。
どうやらこのまま学校に行くらしい。

「じゃあな、ジャッカル。行ってくる」
「おれかよ!!」

散歩に連れて行ってくれた感謝の意味も込めて俺はいつもより大きい声で鳴いた。
蓮二兄さんは『うるさいな』みたいな顔をして門から出て行った。

「やあ、ジャッカル君。おはようございます」
「おれかよ!」

次に家から出てきたのは比呂士。
いつものように俺の頭を撫でながら、双子の兄の雅治を待つ。

「まったく…雅治君はいっつもこうやって私を待たせて…制服に着替えるだけなのに何でこんなに時間がかかるのか…」

俺の頭を撫でながら比呂士はいつもこうやって愚痴を零す。
そんなにストレスが溜まってるんだろうか…

「はぁ…ジャッカル君どう思います?私と双子なのが蓮二兄さんだったら良かったのに」
「お、おれかよ…」
「もし私が蓮二兄さんと双子だったら絶対あんな汁眼鏡男なんか蓮二兄さんに近づけなかったのに」

何だか話が逸れてきている。
この家の人間は誰も彼も蓮二兄さんのことが大好きなようだ。

「…お前さんなーに犬にぐちぐちぐちぐち言っとんじゃ。きもいのう」
「雅治君、あなたがちんたらしてるから愚痴が出て来るんですよ!きもいと言う前に早くしてください!」
「別に俺は待っててくださいなんて一度も言っとらんじゃろうが…」
「あなたが遅刻したら私が先生にあれこれ聞かれて面倒なんですよ!」
「変な義務感持つんじゃなかよ。知りませんって言うとけばええじゃろ」
「そんなの私のプライドが許さないんです!ほらさっさと行きますよ!」

家から雅治が出てきた途端に比呂士は早口で雅治を罵った。
そしてジャケットの袖口を引っ張って門を出ようとする。

「おう、ジャッカル。行ってくるぜよ〜」
「おれかよ!」

俺はそんな2人を見送った。
2人は道を歩きながらもまだ何か言い合っている。
何だかんだ言って仲のいい双子なのだ。

2人の姿が見えなくなる頃、また扉が開く。

中から出てきたのはブン太と赤也だった。

「ジャッカル、おはよう!」
「おれかよ!」
「おい赤也、早くしろぃ。急がないと遅刻すんだろぃ!」
「え〜、まだジャッカル撫でてないッスよぉ」
「そんなハゲ犬撫でてもご利益なんてねぇぜ。いいから急げ」

ハゲ…ご利益…
ブン太はナチュラルに酷いことを言う奴だ。

「じゃ、行ってくるぜぃ、ジャッカル」

…でもいつも頭を撫でてから学校に行く。
酷いことも言われるけど、俺はやっぱりブン太が好きだ。
赤也にも頭を撫でられて、2人ともやっと学校に行った。

これで家にはもう弦一郎母さんだけだ。
皆が帰ってくるまで、しばらくは静かに過ごせる。






皆が出て行ってから小屋の中でのんびり過ごしていたら、いつの間にか昼になっていたようだ。
昼ごはんはいつも弦一郎母さんが作ってくれる。

「ジャッカル、ご飯だぞ」

俺の前にごはんの皿を置いて、弦一郎母さんはじっと俺を見ていた。

「…うまいか?」
「おれかよ!」
「そうか…分からん」

…ですよねー。

「夕飯は何にしたらいいだろうか…」

弦一郎母さんはいつもこうして昼ごはんを俺にくれながら独り言を言う。

「精市が遅いなら今日は肉にしよう」

昨日も似たようなことを言ってたけど、俺の気持ちが通じるわけもないので黙っておく。
基本的に精市父さんがいない時は高確率で肉だ。

「ん…もう食べたのか。じゃあ洗い物をしたら買い物に行ってくるかな」
「おれかよ!」

ごちそうさまの意味を込めて鳴いたら、弦一郎母さんが頭を撫でてくれた。



食後の昼寝でもしようかと小屋の前に寝そべったら、目の前に小さい影。
目線だけ上げてみたらそこにはふわふわの毛の猫がいた。
怖いもの知らずな性格なのか、随分近づいているにも関わらず平然としている。

…見かけない猫だな。

野良猫なのか?でも毛並みも綺麗だし、きっと飼い猫のはず。
もしかして迷子にでもなったんだろうか…

「ほあら」

…変な鳴き声。

どうやら話しかけているようではあるが、生憎俺は猫の言葉は分からない。
とりあえず小さくいつものように鳴いたら、猫は驚いたのか一瞬ぴょんと跳ねた。
そしてそっと近づいてくる。鼻先がつきそうなほどの距離だ。



「…カルピン?」



猫と目を合わせたまま動けずにいたら門の向こうから幼い声が聞こえた。

体を起こして声の主を見てみたら、帽子を被った小さい少年だった。

「…何してんの、カルピン。こっちにおいで」
「ほあら」

猫はひらりと踵を返して少年の足元に擦り寄った。
少年は表札をじっと見つめている。

「…ゆきむら………お前、もしかしてジャッカル?」

少年がいきなり俺の方を見て問いかけた。
何で俺の名前知ってるんだ?

「おれかよ!」

とりあえず呼ばれたから吠えてみた。

「…ははっ、本当におれかよって鳴くんだね」

???
俺のこと知ってるのかな?

あ、よく見たら赤也と同じ制服を着てる。
もしかしたら赤也の友達なのかもしれない。

「ちゃんと赤也に可愛がってもらってる?」
「おれかよ!」

赤也は気まぐれにしか相手してくれない、って意味で鳴いてみたけど、通じたかは疑問だ。
その子は笑いながら門の隙間に手を入れて俺の頭を撫でてくれた。



「あれ?リョーマ何やってんだよ?」
「あ、赤也」

赤也が帰ってきたみたいだ。
また今日も服が泥だらけ。
服を汚して帰って来るから、弦一郎母さんに毎日怒られてるのに。懲りない奴。

「カルピンがジャッカルと遊んでたんだ」
「え?あ、ほんとだ。カルピン」

カルピンと呼ばれた猫はまたほあら、って鳴いて今度は赤也の足に擦り寄った。

「リョーマ、寄ってく?」
「いや、今日は用事あるからもう帰る」
「ふーん…」
「また今度来てもいい?ジャッカルと遊びに」
「うん、いいぜ!」
「じゃあね」
「おう、また明日なー」

頭上で交わされる会話を聞くともなしに聞いてたら、リョーマと呼ばれた少年とカルピンは帰って行った。

「ジャッカル、ただいま」
「おれかよ!」

門を開けて入ってきた赤也は改めて俺に挨拶して、頭を撫でて家に入って行く。
扉が閉じると同時くらいに、聞きなれた足音が聞こえた。
門に近づいて外の様子を見てみると、少し離れたところに蓮二兄さんがいる。
誰かと一緒に帰って来たみたいだ。

…もしかして朝精市父さんが言ってた貞治君って人かな?



「…貞治、読みたい本があるなら俺がお前の家に持って行く。何も上がらなくてもいいだろう?」
「いいじゃないか、たまには蓮二の部屋にだって行きたいんだ」
「まったく…頑固だな、貞治は…ちょっとだけだぞ。本当にちょっとだけだからな」

会話が小さく聞こえてくる。
やっぱりあの人が貞治君だ。
何度か見た覚えのある顔だった。
いつも何故かすぐに蓮二兄さんに押し出されるようにして帰って行ったけど。
蓮二兄さんはあの人をうちに入れたくないのかな?

そうこうしてるうちに2人は門を開けた。

「ジャッカル、ただいま」
「おれかよ!」
「やあ、ジャッカル、久しぶりだね。覚えてるかい?」

眼鏡の貞治君が俺の顔を覗き込んでくる。



―――ジャッカル、ちゃんと見張ってるんだよ



精市父さんが朝言ってた言葉が脳裏を過ぎる。

家に入られてしまったら見張ることなんて出来ないじゃないか…

「おれかよ!おれかよ!おれかよ!」

気を引くために吠えてみた。
もしかしたら足止めくらいにはなるかもしれない。

「どうした?ジャッカル」
「ははは、嫌われてるのかな、俺」
「いつもはこんなに吠える奴じゃないんだが…」

玄関を開けようとしていた蓮二兄さんが戻ってきた。足止め成功か!?

「おれかよ!!おれかよ!!おれかよ!!!」

「どうしたんだジャッカル。腹でも空いているのか?」

蓮二兄さんの手が俺の頭を撫でる。
貞治君は噛まれたら嫌だとでも思ってるのか必要以上に近づいて来ない。
いっそ近づいてきてくれれば噛んで逃げ帰らせるくらい出来るのに。

「おかしいな。機嫌が悪いのかもしれない」
「蓮二が取られたみたいで悔しいのかな?」
「…馬鹿。ジャッカルは俺よりブン太や赤也に懐いている」
「おれかよ!!!おれかよ!!!おれかよ!!!」

見当違いなことを言う二人を尻目にとにかく吠え続ける。

「ああ、もう。ジャッカル落ち着け。貞治、もう家に入ろう」
「平気なのか?」
「具合が悪いとか空腹だとかいうわけでもなさそうだし大丈夫だろう」
「そうか…それならいいが」
「ジャッカル、あんまり吠えるな。近所迷惑になるだろう?」

2人は吠える俺を置いて家の中に入って行った。

………足止め失敗。

何かあったら精市父さんに怒られるのは俺なんだろうかと思うと憂鬱な気分になった。



仕方ない。
俺の一日は毎日、精市父さんや子供達に翻弄されて終わるのだ。

今日も何だか疲れた。
うん、俺充分働いたよな。
一応精市父さんに言われたことは実行したし。
結果は芳しくなくてもこの働きは評価して欲しい。
俺は諦めて小屋に入って目を閉じた。

いつの間にかぐっすり眠ってしまって、その間に蓮二兄さんと貞治君が家を出たことに気付きもしなかった。



そして早めに帰宅した精市父さんの冷たい笑顔で目を覚ますということも。



夢の中の俺はまだ知らない―――






「ふふ…ジャッカル…ちゃんと見張ってろって言ったよね…?」

「おれかよ!」
(訳:いやいや、俺はちゃんと見張る気持ちはあったんだよ!?
でも俺に見張れる範囲っていうのは限度があるわけで…
つまり、家の中に入られちゃったら俺にはどうしようもないんだよ!
誰もが精市父さんみたいにどくしんじゅつが使えるわけじゃないし!)

「縄引きちぎって噛み付きに行くくらいのことしなよ。犬だろ。挙句寝てて気付かないって…本当に犬?」

「おれかよ!」
(訳:引きちぎったりしないようにって俺の首輪から繋がってる縄を鎖にしたのはアンタだろ…
寝ちゃったものは仕方ないだろ!蓮二兄さんはただでさえ気配が読めないんだよ!)

「ちッ…番犬にならねぇなぁ…」

「おれかよ…」
(訳:っていうか何で俺なんだよ…
家の中のこと見張らせたいなら弦一郎母さんだっているだろ…)

「何で弦一郎がそんな面倒なことしなきゃいけないわけ?面倒事はジャッカルの仕事」

「お、おれかよ!」
(訳:お、俺かよ!)



「ブンちゃんブンちゃん、親父さんは何でジャッカルに話しかけとるんじゃ?」
「ジャッカルが蓮兄のカレシに噛み付かなかったからじゃね?」

「ブンちゃんブンちゃん、比呂士は何であないに落ち込んどるんじゃ?」
「今日の昼間蓮兄がカレシ連れて来た時自分が家に居なかったからじゃね?」

「ブンちゃんブンちゃん、赤也の目は何であないに赤いんじゃ?」
「蓮兄のカレシに嫌がらせしようとして蓮兄に怒られたらしいぜぃ」

「ブンちゃんブンちゃん、そんで当の蓮兄はどうしたんじゃ?」
「赤也を怒った後カレシ連れて出てったぜぃ。今夜はお泊りだと」

「……………」
「……………」
「……………」
「………雅兄、何か怒ってる?」



『蓮二の彼氏を家に呼んで家族総出で迎えて我が家を嫌いにさせる作戦』は失敗に終わった。



 

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