思えば初めて会った時から精市は見た目も中身も全く変わっていないように思う。

柔らかな物腰、優美な仕草、美しい顔にいつも張り付いている笑顔が無ければいっそ冷徹にすら見える。

そう、精市はいつだって笑っている男だったのだ。



―××年前―



「…真田、君はね。もう少しうまく立ち回りなよ」
「うまく立ち回れ、とは?意味が分かりかねる」

はぁ、と大袈裟に溜め息をついて、精市は俺に手を伸ばした。
俺はその手を有り難く受け取り立ち上がる。
制服のジャケットやスラックスは思っていたよりも汚れてしまっている。

まったく、先日クリーニングに出したばかりだっていうのに。

心配性の母親にまたあれこれ煩く聞かれると思うと今からうんざりした。



中学に上がってからというもの、俺は度々―――所謂「呼び出し」を受けていた。

俺を呼び出した先輩やら同級生やらが言うには俺は生意気なんだそうだ。
「態度が悪い」だとか「いい子ぶっている」とかが主な言いがかりだ。
態度が悪いつもりはないのでそう思えたなら謝る、と言えばそういう態度がまた相手を逆撫でするらしい。
俺に言わせればいい子ぶっているから何だというのだ。
俺がいい子ぶることで相手に何か迷惑がかかっているとも思えない。
無論俺はいい子ぶっているつもりなどなく、ただ単に正しいと思う行動を取っているだけだ。

ともかく…そんな俺が気に入らない輩はやけに多く、俺は毎日のように殴られていた。

やり返すことも出来ないではないんだが、何しろ俺は有段者。
手を出したら俺の立場が悪くなるし、相手も無事じゃ済まないだろうことは容易に知れる。

最初に殴られた時からやり返すことをしない俺に、俺は見た目に反して弱いと噂が流れているらしかった。

噂など興味はないが、こうも毎日殴られるのは気分のいいものではない。



精市は、そんな状況の俺をいつも見ているだけのクラスメイトだった。



あまり人付き合いのうまくない俺は、先輩に目をつけられているということもあって友達が出来ない。
そんな俺に臆することなく無邪気に付きまとってくるのがこの幸村精市という男。

「しかし今日はいつにも増して派手にやられたね」
「…そう思うなら助けてくれてもいいと思うのだが」
「あ、そうなの?助けてよかったの?」
「…どういう意味だ?」
「いや、漫画とかだとさぁ、助けようとすると『俺の喧嘩に手ぇ出すんじゃねぇ!』とか言うじゃん?」
「生憎漫画は読まない」
「だから真田も手は出して欲しくないのかなぁと思ってたんだけど」

…だからと言って傍にいるのに何もせずただ見てるだけというのはいかがなものなのか。
先生を呼ぶだとかしてくれてもバチは当たらないと思うが。

「大体、人が殴られている現場を見て何が楽しいんだ」
「楽しいよ!」

俺の言葉に精市は目を輝かせて身を乗り出した。

「だってあんなに強い真田がボッコボコにされてるんだよ!?そんな現場なかなか見られないよ!貴重だよ!」
「ふむ。つまり俺がボコボコにされるザマがいい気味だということだな」
「そうとも言うね」

精市はよく分からないところが多い男だ。
精市に言わせれば俺は分かりやすすぎるということだが。

「ねぇ、真田ー。何でやり返さないのさ」
「…俺が手を出したら向こうがただじゃ済まないからだ」
「いいじゃん、そんなの」
「物騒なことは…好まん」

いくら向こうに理不尽な喧嘩を売られようと、だからと言って喧嘩に興じる気はない。

「真田はさ、頭が固いよ。融通がきかなすぎる。それでそのうち大怪我でもしたらどうするのさ」
「心配には及ばない。ある程度は避けている」
「避けられてないじゃん。今日だって何発殴られた?教えてあげようか、俺数えてたから」
「…いや、結構だ」

確かに日に日に呼び出される際に相手方の人数は増えてきている。
今日は確か8人いた。
さすがにそこまでいると全部を避けるのは無理だ。
だが向こうだって素手なのだし、最悪拳を食らっても多少のことでは倒れない程度には体力も気力もあるつもりだ。



ジャケットを脱いで背中についた埃や汚れを払っていたら、すぐ目の前に精市がいた。

「頬、切れてる」
「かすり傷だ」

至近距離にある精市の整った顔に不覚にもどきりとした。
伏せられた目は俺の頬の傷を見ているんだろう。
何て長い睫毛。何て白い肌。何て…綺麗な男なんだ、こいつは。

「勝手に傷なんてつけさせるんじゃないよ…ましてや、他の男に」

―――――

「せいい、ち、」

頬の傷に精市の唇が触れそうなまでに近い。
近い
近い
近い、

まさかこれは接吻―いや、学生の分際で、しかも学び舎でそんな不埒なこと、たるんどる―

―――――



「………精市…?」

急に精市が俺の肩にもたれかかった。
全体重をかけられて、咄嗟に体に力を入れて倒れないようにした。

「せ、精市!?精市、どうした!」

ずる、と精市の体が肩から落ちる。
そのまま床に落ちていきそうな体を寸でのところで抱きとめた。
精市の顔を見れば青白く、目は閉じられていて開く様子もない。



―――またか。

精市は時折こうやって貧血を起こす。
体が弱いのだ。
日本男児たるもの日ごろの鍛錬を怠らなければ健康に生きていけると思っていたのだが、精市のこれはもう幼少時かららしい。
一度大きな病気もしたことがあると聞いたことがある。
もうそれは完治したらしいので、今日のコレはただの貧血だと思っていいだろう。

細くて軽い体を抱き上げて保健室へ運んだ。



保健室の先生に精市のことは任せて、俺は教室に戻ることにする。

先生に頬の傷や汚れた制服のことを心配されたが、特に何も言わなかった。



…しかし、いい加減に何とかしないと学生生活に支障が出るな…

いつまでも殴られているわけにはいかないんだろう。
どうしたものか考えながら廊下を歩いていると、いくつもの影に行く手を阻まれた。






―――さすがに、困った。

屋上に連れて来られ、囲まれたその人数にまず驚いた。
一日に二回も呼び出しを食らったことも初めてだったし、困ったことに精市もいない。
誰かに助けてもらえる可能性はほぼないということだ。
さすがの俺でもこの人数を相手にして無傷でいるのは無理だ。
というか、下手をしたら結構な大怪我になるかもしれない。

―そのうち大怪我でもしたらどうするのさ

精市についさっき言われた言葉が頭をよぎる。
まさかこんなに早くその言葉が現実のものとなろうとは。



「おい、真田。考え事かぁ?結構な余裕じゃん」
「お前ムカつくんだよ。いくら殴っても平然としやがって」

リーダー格らしい2人が俺を睨む。
この2人には以前にも呼び出しを食らったことがあったような気がした。

もうここは手を出したらいけないなんて悠長なことを考えてる場合じゃないかもしれない。

「弱ぇくせに調子乗ってんじゃねーよ!」

リーダー格の一人が拳を振り上げる。
その拳を俺は簡単に払い落とした。

「…無駄な動きが多いな」

小声で言ったら男達の顔色が変わった。
どうやら沈静するどころか逆に火に油を注いでしまったようだ。

「…ふざけんなッ!」

その言葉で待機していた男達の全員が俺に向かってきた。
全員でかかってくるとは…男の風上にもおけない。

仕方ない―――まともに相手をしてやることを決めた。



一人一人の力は大したことはない。
ただ問題は人数だった。

こっちで避けてもこっちから手が出てくる。
前にいる奴を殴っても後ろから殴られる。

恐らく元々いた人数の半数は伸したが、俺もそれなりにダメージを食らうこととなった。

(ああ、困ったな)

元々喧嘩をするために武道を習っていたわけではない。
実戦で武道を使ったことはないから、どうしても予想外の動きに翻弄されてしまう。
ついさっき殴られた時に掠めた拳が目の脇を切ったらしい。
視界を赤いものがちらつく。血が出てるようだ。
視界が悪くなってしまっては不利だ。自分のシャツの袖で目元を拭った。

「…畜生…なんだよ、コイツ…」
「弱ぇんじゃねぇのかよ!?めちゃくちゃ強いじゃねーか!」

強いということを認識できる脳があるのなら出来たらもう退散して欲しかった。
だが現実はそんなドラマのように敵が逃げてくれるなんてあるわけもなく…

「てめぇ…ふざけんなよ…絶対許さねぇ…!」

リーダー格の男がポケットに手を入れた。

…嫌な予感がする。

ポケットから出された手に握られていたのは案の定、折りたたみ式のナイフだった。
刃物を向けられた際の対処はどういうものだったかな
なんて悠長に考えている場合じゃないのだが、疲れた頭はうまく働かない。

そう考えている間にも男の振り回すナイフは確実に俺に近づいてきている。

…まずいな。刺さったらさすがにまずい。

自分に向けられる敵意とナイフに直面すると、日頃の鍛錬も意味がなく恐怖を感じてしまう。

だめだ、もう避けられない―――



諦めて目を瞑って衝撃に耐え………ようとした。

が、覚悟していた痛みは訪れない。
俺の横にどさっと何かが落ちる音がして、目を開ける。

まず視界に入ってきたのは俺にナイフを向けていた男だ。
地面にうつぶせに倒れている。手に持っていたナイフはない。
咄嗟にそのナイフの行方を捜した。

視線を正面に向けたら―――



「せいいち?」



精市の手には先ほど俺に向けられていたナイフ。

精市は今まで見たこともないような顔をしていた。
笑顔じゃない、厳しい、本当に怒りを感じている顔。

精市は俺を見ることなく、まだ倒されていなかった男達に一気に向かっていった。

次々と倒れていく男達。
俺と対等―――いや、俺よりも強いかもしれない。

一度も相手の拳を浴びることなく、精市は全員を殴り倒した。

「…お前ら…今度真田に手を出してみろ。命の保障はしないよ」

息ひとつ乱さずに崩れ落ちた相手を一瞥し、精市は俺の手を取って屋上を後にした。



「せ、精市…貧血はどうしたんだ?」
「真田…それより先に言うことがあるんじゃない?」

呆れたような声をあげる精市はいつも通りだった。
さっきの恐ろしい姿はこれっぽっちも名残を残していない。

「あ、ああ…ありがとう、精市」
「どういたしまして」

礼を言えば精市はにこりといつもの綺麗な笑顔を見せた。

「何で俺が屋上に呼び出されたって分かったんだ?」
「やだなぁ、真田。分からないわけないじゃないか、俺に」
「???どういうことか分かりかねる」

精市はまた呆れたように溜め息をついて、にぶいなぁ、と呟いた。
握ったままだった俺の拳をその綺麗な顔に寄せて、



「!!!!!」

ててててて手の甲に接吻…!

「真田のことなら何だって分かるんだよ。大好きだから。ね、弦一郎」



まるで童話に出て来る王子様か何かのような仕草。
本当に王子様のような綺麗な外見もあいまって、俺は雰囲気に飲まれた。

「あはは、弦一郎、真っ赤」



…この男には、色んな意味で勝てそうにない。






「…というのが、俺と精市の馴れ初めだ」
「懐かしいなぁ…あの一件のおかげで俺達付き合うようになったんだよね」
「あの時は…本当に精市が王子様に見えたぞ」
「やだなぁ弦一郎。俺はいつだってお前の王子様だろ?」



「「「「「……………」」」」」



赤也が「お父さんとお母さんの出会い」を聞いてくるという宿題を持ち帰った日のことである。
(そんなことを調べさせて何がしたいんだ学校側よ)

話を無理矢理始めさせたのはいいものの、あまりに仔細なその馴れ初めに子供達は全員引いた。
しかもお互いがお互いを褒め称えながら話すものだから時間も相当かかった。
2人の世界に入りそうな親を宥めすかしつつ話を終えた頃には2人は完璧にマイワールドの住人だ。

ノートを片手に話を聞いていた赤也はげんなりと顔色を悪くし、
おやつを食べていたブン太は青い顔でロールケーキを口から出した。
雅治と比呂士は口から紅茶をダラダラと零し、
ついでだとデータノートを取っていた蓮二は話の途中でペンを捨てた。



「こんな素敵な馴れ初めがあってこそ今お前達がこの世にいるんだよ」
「そうだぞ。俺と精市の出会いに感謝しろ」

勝手な親の言い分に
『生まれてこなくて良かったから出会わないで欲しかった』
と子供達の心がひとつになったことを両親は知らない。



 

prev next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -