「…これから皆さんには潰し合いをしてもらいます」
金曜日の夜、父さんは唐突にそう言った。
いつもなら「何を馬鹿なことを」とか言い返す声があるのに、今日はない。
リビングを見回すと蓮兄がいなかった。
「…雅兄、蓮兄はー?」
「角眼鏡んちでおベンキョ会じゃ」
「ああ、だから…」
通りで雅兄がずっと角眼鏡の写真に釘打ってるわけだ。
割といつものことだから受け流してたけど。
「これから皆さんには潰し合いをしてもらいます」
父さんがまた同じことを言った。
突飛なことを言い出すのはこれもいつものことだが、母さんに構ってもらえなくて寂しいんだろうか。
「…父さん、何だよぃ、潰し合いって」
「ブン太、よくぞ聞いてくれた」
可哀想だと思って声をかけたら光の速さでつけこまれた。
これだから皆なかなか父さんの突飛な発言には反応しないんだ。
「俺は明日から久々に連休が取れた」
「ええ、知ってますよ。だから母さんと二人で温泉に行くんでしょう?」
比呂兄の言葉に父さんは満面の笑みで頷く。久しぶりの母さんとの旅行がよっぽど楽しみなんだろう。
「よって、これから人生ゲームをするからみんなテーブルの前に並べ」
「………、な、何で?」
父さん達の旅行と人生ゲームがまったく繋がっていない。
「俺の留守中の心配は蓮二のことだけだ。蓮二の部屋に強盗が押し入りはしないか、蓮二が食事の準備中怪我や火傷を負わないか…」
「俺達への心配が1ミクロンにも満たないことは知っちょる」
雅兄はまだ父さんに見向きもしないで写真に釘を打ち続けている。
たぶん壁は穴だらけだ。きっと後で母さんに怒られる。
「そこでだ」
父さんが雅兄の金槌を取り上げた。
「お前達の誰かに、この連休中蓮二に付きっきりで側にいることを命じる」
雅兄と比呂兄と赤也の目の色が変わった。
「本当なら俺が側についていたいんだよ?だから生半可な奴には任せたくないわけ」
「とっ、父さん!」
「はい、赤也。何かな?」
「付きっきりってことはお風呂もトイレも寝るのも一緒ってことッスか!?」
「勿論」
雅兄と比呂兄と赤也のテンションが無言で上がった。
「やる気がないなら今のうちに言ってくれ。蓮二も全員に付きまとわれるのはウザいだろうから、一番やる気のある奴に任せたかったんだけど…」
「やるッス」
「任せんしゃい」
「私以上に相応しい人間はいないでしょう」
…3人はあっさり食い付いた。
「ブン太はどうする?」
「俺ケーキバイキング巡りの予定あるからなぁ」
「じゃあ今回は見送りね」
かくして、蓮兄に付きっきり二泊三日権を賭けて、戦いの火蓋は切って落とされた…
「俺の車赤!」
「じゃあ俺は青で左ハンドルじゃ」
「雅治君、外車とはやりますね…私は緑にしましょう」
正直俺的にはやる気のあるなしが何で人生ゲームで測られるのかよく分からない。
たぶん父さんのことだから「人生ゲームのボードを見つけたから」とか大した理由じゃないんだろうけど。
俺と父さんは実況、解説として3人が囲むボードの側で成り行きを見守っている。
「俺からいきますね!…おりゃっ!5マスか…あっ、ラッキー!テストで100点を取る!30万ボーナス!」
雅兄と比呂兄からそれぞれ30万受け取って赤也は上機嫌だ。
「赤也君なかなかの滑り出しですねぇ、ブン太さん」
「そうですねぇ、ここからどう転ぶか見物ですね〜」
父さんと俺の解説を聞いているのかいないのか、ゲームは進む。
「俺は6マスじゃ。…うっ…お菓子を拾い食い…腹を壊す…10万没収…」
「雅治君、意地汚いことするからですよ」
拾い食い程度で腹壊すなんてさすが雅兄。やわな胃腸。
比呂兄が呆れ顔でルーレットを回した。
「…おや、3マスですか…、何々、頭が悪すぎて進級出来ない…一回休み…?」
「ププー!比呂兄ダサっ」
「一年遅れで頑張りんしゃい」
口々に馬鹿にされて比呂兄は悔しそうだ。
人生ゲームってリアルな世界とは反比例するもんなんだよな、不思議と…
それからも3人は黙々とルーレットを回して車を進めていくが、お互い足を引っ張りあってなかなか白熱したゲームになった。
でもそろそろ1時間半。
盛り上がる3人をよそに父さんは露骨に飽きている。
「うっ!職業が漫画家になってしまいました…!」
「詐欺師はないんか…じゃあマジシャンで」
「っしゃあ!俺俳優!勝ち組ッス!白石蔵ノ介に俺はなる!」
3人をうるさげに見つめて、父さんは母さんの旅行の準備を手伝いに寝室に消えた。
…ていうか…俺が勝負の行く末を見守らなきゃいけないわけ…?
面倒だったので、庭に続く窓を開けてジャッカルと遊ぶことにした。
「ジャッカル〜」
「おれかよ!」
「なぁ、どう思う?勝敗なんか決めたって蓮兄が大人しく付きまとわれるとは思えないよなぁ?」
「おれかよ!」
「そーか、お前もそう思うか」
ジャッカルの頭を撫でながら話しかけた言葉はきっと3人には聞こえてないんだろうな。
「またッスか!?子供作りすぎでしょ、雅兄!」
「もう車に刺さらん…貧乏子沢山じゃ」
「貧乏ですることないからって無計画に子作りするからですよ」
「お祝い金あるし子供は後で金に変換出来るじゃねーッスか!」
「お金のために子供を売るなんて…鬼畜生ですね、雅治君」
…背後から聞こえる会話を聞く限り、先はまだまだ長そうだ。
「おーい、そろそろ終わった?」
しばらく経って父さんが覗きに来たけど、3人はまだやっていた。
「ラスベガスで豪遊!ルーレット奇数で1000万!」
「偶数来い!偶数来い!」
もはや目的を忘れてるんじゃないかと思うほどの盛り上がりっぷり。
「…見ての通りだぜぃ」
「よく飽きないねぇ。…あ、ブン太、ジャッカル部屋に入れちゃ駄目だよ」
自分から言い出した癖に父さんは完全に他人事だ。
「それより蓮二遅くない?」
時計を見るともう10時半。
確かに蓮兄にしては遅い時間だ。
「まさか角眼鏡に押し倒されてるんじゃ…」
「勉強会って二人きりってわけじゃないんだろ?なら平気だろぃ」
大体蓮兄はあの角眼鏡よりだいぶ立場が高い。
蓮兄に開眼されてもアレコレ続けられるほど角眼鏡がタフだとは思えない。
雅兄なら0時過ぎても心配どころか不在に気付きもしない癖に、父さんは蓮兄のこととなると本当に心配性だ。
「ぎゃあああああ!」
父さんと一緒にジャッカルを構いながら煎餅を食べていたら、赤也が悲鳴を上げた。
「おっ、やっと終わったか?」
「誰々ー?誰が勝ったのー?」
ボードを囲む3人に近付く。
床に平伏す赤也と雅兄を見る限り、聞くまでもなく勝者は明らかだ。
「………この俺が…っ、開拓地送り…じゃと…!?」
「人生最大の賭けでペテンを働こうなど、私の前では無駄ですよ。一体何年あなたと付き合ってると思ってるんですか」
「俳優で子供は二人、マイホームと別荘を持つ勝ち組の俺が…独身子無し家無し漫画家の比呂兄に負ける…なんて…」
…何でたかが人生ゲームで満身創痍なんだ、この二人は。
「私はあなた方と違って余計な出費や危険な賭けには手を出さずコツコツ貯蓄をしていたんですよ。…強いて言うなら誠実さの勝利、と言ったところでしょうか」
よっぽど悔しかったのか赤也は涙目だ。
雅兄はさっき角眼鏡の写真を打ち付けていた場所に比呂兄の写真を設置している。
「なぁんだ、比呂士が勝ったの。まぁいいや、比呂士。連休中蓮二を頼んだよ」
「任せてください!必ずや蓮二兄さんの上から下までお世話することをお約束します!」
眼鏡を輝かせながら比呂兄は胸をどんと叩いた。
「ただいま。…何だ、皆でゲームか。珍しいな」
タイミングよく帰って来た蓮兄に赤也が半泣きで抱き付く。
「どうした、赤也。大方お前達が大人気ない勝ち方でもしたんだろう」
赤也の頭を撫でながら、蓮兄は同じように半泣きで比呂兄の写真に釘を打つ雅兄を見てちょっと眉を上げた。
「蓮二ー、明日からの留守中、比呂士に蓮二のこと任せたから」
「…は?」
「蓮二兄さんっ、不束者の私ですがよろしくお願いします」
蓮兄は首を傾げる。
そりゃそうだ。
帰ってきたらいきなり自分の世話役が決まってるなんて首を傾げたくもなる。
「早速私の布団を蓮二兄さんの部屋に運んでおきますねっ」
頬を紅潮させて嬉しそうに笑顔を見せる比呂兄に、蓮兄はもう一度首を傾げた。
「…俺は明日から二泊三日でユウジと小春の家に課題をやりに行くが?」
……………
雅兄の釘を打つ手が止まった。
「…父さんには言ったはずだが」
「…そうだっけ?」
「火曜日の21時38分、父さんの風呂上がりに」
「……………」
今度は父さんが首を傾げる。
だがすぐに「…ああ、」と言って手を打った。
「そうだ、言われた言われた」
「全く…また勘違いして変なことをしでかしたな?世話役だなんて子供でもあるまいし…」
「あはは、ごめ〜ん」
ぱちんとウインクをする父さんに比呂兄の顔はみるみる絶望に染まった。
対照的に雅兄と赤也の顔に笑みが浮かぶ。
「比呂、世話をするなら赤也と遊んでやってくれ」
「………分かりました………」
蓮兄に絶対服従な比呂兄はあからさまにガッカリしながらも素直に頷く。
それを確認して、蓮兄は何故か俺を見た。
「ブン太、お前日曜にケーキバイキングに行くんだろう」
「おう」
「小春が行きたがってる店なんだ。課題の息抜きに行こうかと思うんだが良かったら一緒に行かないか」
「あ、そうなの?うん、いいぜぃ」
3人の恨めしそうな視線が俺に突き刺さる。
後が怖かったが、蓮兄が言い出したことだし文句言われる筋合いはない。
まぁ、なんつーの。
強いて言うなら無欲の勝利ってやつ?
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