「…じゃあ、行って来るから。赤也、いい子にしているんだぞ」

玄関に立ち、蓮兄は足元にいる赤也の髪を撫でた。

「うーッス。蓮二兄さん、早く帰ってきてくださいね!」
「お土産、駅中のケーキでいいぜぃ」
「ふ…お前達がいい子にしていられたらな」

俺のおねだりを軽く微笑んでかわし、蓮兄は玄関を出て行った。

「ブン兄、蓮二兄さんどこ行ったんスか?」
「模試だろぃ」

蓮兄は、俺からすれば全く理解出来ないがテストを受けるのが趣味だ。
受ける機会があればどこへでも行く。
どうやらカレシも一緒に行っていて、それが彼らのデートのひとつらしいと聞いた時は耳を疑った。
何が楽しくて休日を返上してまでテストを受けなきゃいけないのか。

まぁ俺には関係ないけど。

「雅兄と比呂兄は?」
「しらね。そのうち帰ってくんじゃね?」
「父さんと母さんは?」
「父さんは仕事。母さんは買い物」

蓮兄がいなくなったことで俺の足元をチョロチョロついて回る赤也を蹴飛ばさないように注意しながら、俺はリビングに入った。

「ブン兄、一緒に遊びましょーよ!」
「えー…めんどくせーな…何すんだよ?」
「クリスマスにサンタさんから貰ったソフト!」

赤也は俺がまだやるとも言ってないのにテレビにWiiを接続し始めた。

ああ、早く誰か帰ってこねーかな。
ずっと赤也とゲームに興じるというのも疲れそうだ。
赤也は自分が勝てないと勝つまでやるから。

「俺、これまだあんま上手くないんで、勝てるようになるまで練習付き合ってくださいね!」
「……………」

赤也の言葉に、俺は始める前からすっかりやる気を削がれた。



「ちょ…!ブン兄今ズルしたっしょ!?」
「してねーッスよ〜」
「ずるい!ずるい!もう一回!」
「…お前なぁ…もうこれで何回目だと思ってんだよぃ」

少なくとももう10回以上は付き合っている。
だが俺に勝てない赤也は意地になってるのかずっと食い下がってきていた。
わざと負けてやるのは何となく癪なので、なかなかゲームは終わりそうにない。



その時、玄関から小さく音が聞こえた。



母さんが帰ってきたんだろうか。
俺はまだ騒いでいる赤也を放ってリビングのドアを開ける。

玄関の方を覗き込むと予想通り母さんが敲きに座り込んでいた。
心なしかその背中にいつもの迫力がない。

「………母さん?」

声をかけると母さんはゆっくり振り向いた。

「…む、ブン太か。他の奴らはどうした?」
「蓮兄はもうとっくに出かけた。赤也はいる。あとは知らないけど」
「そうか…」

どうもいつもより元気がないように思える母さんに首を傾げる。
母さんは買い物袋を下げて立ち上がった。

…が、すぐによろけて壁に手をついた。

母さんがよろけるなんてまずないことだ。
これはちょっとただならぬ事態なんじゃないか?

そう思って母さんに駆け寄った。

「母さん?どうかしたのかよぃ?」
「いや…何でもない」
「何か顔色悪くね?」

俺は俺を振り払おうとする母さんの手を払って額に手を当てた。

掌に伝わる高めの体温。

母さんの平熱なんて知らないけど、これは恐らく平熱とは程遠いんじゃないだろうか。

「母さん、具合悪いの?」
「少し寒気がするだけだ。こんなものすぐに治る」

とは言うものの、足元はおぼつかないし、とてもいつもの母さんとは言い難い。
異変を察知したのか赤也もリビングから出て来た。

母さんは体は丈夫だから滅多に風邪を引かない。
俺は覚えてないけど、俺が幼稚園の時に引いていたって話は前に蓮兄から聞いた。
それ以外は半年以上前の妊娠騒動の時か。
自己管理の鬼みたいな母さんが体調を崩すなんて!

俺は軽いパニックだった。

「ブン兄?母さん?どうしたんスか?」

赤也が困ったように俺を見る。

「赤也、何でもないから大人しく遊んでいろ」

母さんはそう言って赤也の頭を撫でようと少し前かがみになった。
その体がぐらり、と傾いだかと思えば、そのまま母さんは廊下に膝をついた。



「「!?」」



「母さん!?」
「どっどうしたんスか!?」

慌てて母さんの傍に俺たちも膝をつく。
母さんは息苦しそうな呼吸で目を瞑っていた。

「ブン兄!母さんどうしたんスか!?」
「風邪か!?ととととにかく横にさせねーと!」

口を利くのも億劫なのか母さんは何も言わない。
体のでかい母さんをベッドまで移動させるのは大変だけど、今戦力になるのは俺しかいない。
とりあえず騒ぐ赤也を黙らせて、俺は母さんの腕を自分の肩に回した。

「母さん!立てるか?しっかりつかまれよ!」
「うわぁぁぁぁあああ!母さんどうしたんスか!?」
「うるせぇ!寝室のドア開けろ!」
「うわぁぁぁああああん!かあさあああああん!!!」

ちっとも役に立たない赤也は放っておくことにして、とにかく俺は母さんを寝室まで運んだ。



何とかダブルベッドの上に母さんを乗せる。
母さんはまだ目を瞑ったままだ。

「…ブン太、すまない…」

まだ苦しそうにしながらも母さんは俺に謝ってきた。

「気にすんなよぃ!それより大丈夫か?何か欲しいモンあるか?」
「…大丈夫だ…」

いつもより更に言葉少なな母さんに、俺はなす術もなかった。
俺の家族は基本的に皆丈夫で滅多に風邪をひく奴なんていないし、父さんも医者だから任せっぱなしで処置の仕方がまったく分からない。

とりあえず、熱とか測った方がいいんだよな…?

慌ててリビングに戻ると、赤也はまだリビング前の廊下でオロオロと涙目で右往左往していた。

「赤也っどけっ!」
「ブン兄…!母さんどうしちゃったんスかぁぁぁ」
「うるせー!体温計探せ!」
「たいおんけーって何スかぁぁぁぁぁ」
「失せろ!」

うちに体温計なんてものはあっただろうか。
いや、随分前に俺が風邪引いた時はあったから、あるはずだ。
でもどこにあるのか全く分からない。
とにかくリビングにある棚という棚をひっくり返す勢いで探す。



……………待てよ。

熱があることは明らかなのに改めて計る意味ってなくないか?
ああやっぱり熱あるんだなぁって思うだけだろぃ?
それよりも確実にあるって分かってる熱を下げる方法を…

………薬だ!

「赤也ぁ!やっぱ体温計はいい!薬探せ!」
「湿布とマキロンしかないッス〜!」
「その救急箱は怪我用だ!見るだけ無駄だ!他探せ!」

目的を変えて改めて棚を探し回っているうちに、部屋の中が随分荒れてきた。

でも今は母さんの一大事だ。
掃除なんて後でも出来る。

荒れた部屋をあちこち移動して足元にあるものも足で蹴ったり踏んだりしているうちに本格的に空き巣に入られたかのような有様になってきた。

ちくしょー、こういう時父さんか蓮兄がいれば…!
こんなにも俺だけじゃ何も出来ないとは思わなかった。
自分の不甲斐なさに情けなさとイライラが募る。

「あーッ!畜生!どこにあんだよ!」

いつの間にか足元に転がっていた茶碗を蹴飛ばしたら、壁にぶつかって割れた。



「………何ですか、この有様は!」



半泣きになりつつ部屋を動き回っていたので、リビングの入り口に比呂兄がいることにも気付かなかった。
驚いたような怒ったようなその声に、俺と赤也は一斉に比呂兄を振り向く。

「「比呂兄!!!」」

思い切り比呂兄に飛びつくと、比呂兄はさすがに少しよろけた。

「な、何ですか…お二人とも、こんなに散らかして…母さんに怒られますよ!」
「その母さんが大変なんだよぃ!」
「比呂兄!母さんどうしちゃったんスかぁぁぁ!」
「は!?話が見えません!分かるように説明したまえ」






俺はまとまらない頭で必死に比呂兄に事の次第を説明した。
比呂兄は時々俺の言ってることが分からなくなるのか何度か首を傾げつつ聞いていた。

「…ブン太君の説明ではよく分かりませんが、とにかく母さんの具合が悪いんですね?」
「そうそう!そういうこと!」

比呂兄が帰ってきたからには安心だ。
だって比呂兄は頭もいいし、医者目指してるらしいし!
きっと母さんのこともちょちょいっと治してくれるに違いない。

俺と赤也はそう思って、ほっと胸を撫で下ろしていた。



「とりあえず氷枕を用意しましょうね」
「そっか!氷枕!すっかり忘れてたぜぃ!」

さすが比呂兄だ。

俺と赤也は何も出来ない癖に比呂兄の後についていく。

「氷は細かいほうがよく冷えるんですよ。細かく砕きましょう」
「へー、そうなんだ」
「そーいやカキ氷とかってちょー冷たいッスもんね!」

比呂兄は俺達が荒らした部屋の中からアイスピックを探し出してきて、ボウルにたくさん入れた氷に思いっきり突立てた。
その瞬間、ボウルからでかい氷の塊が飛んで赤也の額に直撃した。

「いてぇッ!」
「あっ、赤也君…すみません!大丈夫ですか!?」
「うぅっ…比呂兄酷いッス…」
「すみませんでした…ではもう一度、」

ガツッと鈍い音がして、俺の顔の横スレスレを何かが凄い勢いで飛んでいく。
恐る恐る何かが飛んでいった方を見れば、壁にアイスピックが刺さっていた。

「「……………」」

「すっすみません!私はこういった力仕事が苦手で…」

苦手とかの理由で生命を脅かされては堪らない。

「…比呂兄、氷砕くのは俺がやるぜぃ」
「そうですか!では頼みますね!私はお粥でも作ります」

壁に刺さったアイスピックを抜いて氷を細かく砕く俺の横で、比呂兄は鍋に米を入れ始めた。

「…比呂兄、料理大丈夫…?」

何となくそう聞くと、比呂兄は任せてください、と自信満々に胸を打った。



とりあえず出来た氷枕を持って寝室に行く。

台所を比呂兄に任せるのは正直不安だったけど、俺もお菓子以外はあんまり得意じゃねーから仕方ない。
得意げにしている比呂兄を信じることにした。

そっと寝室のドアを開けると母さんはさっきの体制のまま相変わらず目を瞑っている。

「…母さん?」

呼吸をしてるのか心配になってじっと顔を見つめる。
すると母さんはうっすらと目を開けて俺を見た。

「…ブン太か。…何だか下が騒がしいが…」
「赤也と比呂兄がお粥作ってるんだぜぃ。母さんはゆっくり寝てろよ」

氷枕を母さんの頭の下に入れつつそう言うと、母さんは何だか嬉しそうに笑った。

「…ふ…そうか…」
「何だよぃ?」
「いや…親孝行な息子達を持って幸せだと思ってな」
「……………」

あんまり嬉しそうな顔をするもんだからこっちが照れくさくなってくる。

まだ熱の高そうな母さんはそのままうとうとし始めたから、俺はまたキッチンに戻った。



……………



「ギャアアアアア!煙い!煙い!」
「ごほっ…!ゴホッごふぉえぁっ!」

キッチンに戻った俺は、やっぱり比呂兄に台所を明け渡したことを後悔した。

「な…何だよこの煙ーーー!?」

キッチンは黒煙に覆われていた。1m先もロクに見えない。

「ぶ、ブン太君!?」
「比呂兄、何事だよぃ!」
「お粥ってお水入れるんですか!?」
「はぁ!?入れなかったのかよ!?」

水を入れずに米だけ熱してどうするんだ。
戦時中の保存食作ってるわけじゃあるまいし。
普通の料理はしない俺でもそれくらいは知っている。

「とにかく鍋を流しに置けー!」
「はい!あっ、アチ…!熱い!熱いです!」

じゅううう、と更に白く煙を上げながら、台所は若干の落ち着きを取り戻した。
しかしこの鍋はもう使えないだろう。
真っ黒く焦げ付いて、いくら洗っても取れるとは思えない。



「……………どうすんだよぃ、この惨状…」
「……………父さんに殺されますよ、この鍋買ったばっかの取っ手の取れるティファールセットっスよ」
「……………お粥は米の粘性が熱することによって活性化してああいう半液体になるんだと思ってました…」



「「「……………」」」



ああ、もうこのまま気絶してしまいたい。
そして目が覚めたときは全て部屋も台所も片付いていて、何事もなかったかのようになってればいいのに。



そんなありえないことを望むほどに、酷い状況だった。



……………



「………何事じゃ…」

数分間、三人共口を利く気にもなれずに立ち尽くしていた。
が、その沈黙を破ったのはこれまでにいなかった人間の声。

「雅兄…」
「雅治君…」

俺達は力なくこれまでの経緯を話した。

「参謀は?」
「模試…」
「親父さんは?」
「仕事…」

ふーん、と興味なさそうに呟いて

「…じゃあ、仕方ないのぅ…」

溜息をついて雅兄はシャツの腕をまくった。

「え、雅兄?」
「赤也、解熱剤はそこの棚の下から2番目の引き出しじゃ。出しんしゃい」
「う、うぃっす!」
「比呂志、お前さんは部屋片付けんしゃい。片付けは得意じゃろ」
「は、はい!」
「ブンちゃん、おまんは俺と一緒にお粥作り」
「おう…でも鍋…」
「水につけて後でタワシで擦れば何とかなるじゃろ。鍋もう一個あったよな」



意外なほどに雅兄は手際よく俺達に指示を出した。
そして自分もてきぱきと作業をこなす。
あっという間に鍋の中にはさっきとは比べ物にならないほどうまそうなお粥が煮立っていた。

「すげー…雅兄、こんなこと出来たんだ?」
「比呂がこういうん苦手じゃからの…あいつ、見た目と違って不器用じゃろ?」

今日の今日まであんなに比呂兄が不器用だとは思わなかった。
そして、まさか雅兄がこんなに器用だとも。

いつもダラダラしてて他人には興味ないぜよ〜みたいな顔してる癖に。

そう言ったら雅兄は少し笑った。

「おまんらは他人じゃなかろ」

…確かにそうだ。



……………



何も知らない母さんにお粥を食べさせて、部屋もある程度片付いて、台所の煙も消え去った頃。



「割れた茶碗と壁のアイスピックの痕とやっぱり焦げの取れんかった鍋の謝罪はおまんらがやれよ」



「「「そ、そんな!」」」



…やっぱり雅兄は冷たかった。



 

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