「…ブン太、何だその格好は!たるんどる!」

「…はぁ?何?」

とある休日、俺は庭でジャッカルと遊んでいた。
俺は綺麗に刈られた芝生の上にしゃがみ込んでいただけだ。
なのにいきなり怒鳴られた。

「ズボンが下がっているぞ!下着が見えているではないか!」
「…別に今時こんくらい珍しくないだろぃ?」
「何を言うか!もっとズボンはきちんと穿かんか!」

母さんは俺を無理矢理立たせてジーンズを上に引き上げた。

ちょ、待て!
何が悲しくてこのお洒落な俺がこんな野暮ったい格好にされなきゃいけないんだ!

俺はその鍛えられた腕から何とか逃れてジーンズをあるべき腰の位置まで下げた。

「やめろよ!別にいいだろぃ!?誰に迷惑かけてるわけでもねーし!」
「ならん!そんな破廉恥な格好で街を歩いていては育ちが疑われるぞ!」
「最近のヤツはみんなこーなの!俺だけじゃねーの!」

尚もジーンズを引き上げようとする母さんから逃げて庭を走り回りながら俺は怒鳴った。
でも母さんはそんくらいで引き下がるような人じゃない。
しばらく逃げ回る俺を追う母さんと遊んでいると勘違いしたジャッカルが庭を駆け回った。

「…何しとんじゃ、このクソ暑いんに…」

窓から顔を出したのは雅兄。
雅兄は暑さに弱いから、夏場はほとんど家から出ない。
ちょっと窓を開けただけで嫌そうに顔をしかめている。

そんなに嫌なら気にしなければいい、と普段なら言うところだが、今は事情が違う。

「雅兄助けて!」

俺は慌てて突っかけていたサンダルを脱ぎ捨てて窓から家の中に入った。

「こらブン太!言うことを聞かんか!」
「何じゃもう…暑苦しいから近付かんでくれ…」

機嫌が悪いらしい雅兄は背中に張り付いた俺を邪険に扱う。
母さんも俺を追って家に入ってきた。

母さんは家に入って改めて雅兄を見て、更に顔をしかめた。
そんな顔を見ているだけで暑苦しい。
雅兄もそう思ったのか面倒臭そうに溜め息をついてリビングを出ていこうとする。

「…雅治、待て」
「嫌じゃ」
「待て」

背中を丸めて出て行こうとする雅兄の首根っこを母さんが掴んだ。

「…何じゃ。手短に頼むぜよ」

諦めたのか嫌そうな顔をしつつ雅兄が母さんを振り返る。
母さんは雅兄のジーンズを見下ろしていた。

「雅治、何だそのズボンは。ぼろぼろではないか」
「あー…そうじゃの」
「そんなにぼろぼろになるまで穿かなくてもいいんだぞ?言ってくれれば新しいのを買ってやるのに」
「母さん、それちげーよ。ダメージジーンズっつって元々そういう風にぼろぼろなの」

俺が横から口を挟むと母さんは不思議そうな顔をした。

「元々だと?元々ぼろぼろなものを売りつける店があるのか」
「ていうかそういうのが今流行ってんの」
「何だと?流行りに流されるなんざたるんどるぞ雅治!」
「…あーあ。ブンちゃんバラしたらいかんじゃろ。折角新しいの買うてくれる言うてんのに」

雅兄は母さんの無知を利用して新しいジーンズを買うための金を巻き上げるつもりだったらしい。
こんな短い間にそんなことを思いつくなんてさすが悪党だ。

「お前その上親を謀ろうとまでしたのか!何て息子だ!たるんどる!!!!!」

しかし種がバレてしまった今、母さんの怒りはヒートアップしただけだ。
俺達は顔を見合わせて、これから始まるだろう説教にうんざりと項垂れた。



「大体ブン太も雅治も流行流行と普段からとち狂った格好ばっかりしおって…」
「とち狂ったって…」
「世の中よう見てみんしゃい。こんくらいの格好のヤツごまんとおるぜよ」
「世の中は世の中!うちはうちだ!この幸村家の息子である限りそのような浮かれきった格好をするなんてまかりならん!」

浮かれきったって…そこまで浮かれてねーだろぃ。
俺はちょっとパンツ見えてただけだし、雅兄はちょっとダメージジーンズだっただけだし…



長い長い長い母さんの説教を聞くともなく聞いてるうちに、出掛けていた比呂兄が帰ってきた。

「ただいま帰りました…ってまた何かしたんですか、お二人共」
「おお、比呂士か!聞いてくれ、お前なら分かる、だ…ろ………って…」

リビングに比呂兄が帰ってきた途端に仲間を得たとばかりに嬉々として振り返った母さんは固まった。

「おお比呂士。眼鏡変えたんか」
「へー、いいじゃん。お洒落眼鏡ってやつ?」
「似合うぜよー」

比呂兄の眼鏡は新しいものに変わっていた。
四角いフレームで、縁は太めの綺麗な緑色だ。
いつもと随分印象は違うが比呂兄に似合っている。

「比呂士…!何だその玩具のような眼鏡は…!」
「母さんはどう思いますか?最近流行っているらしいのでちょっと買ってみたのですが…」

あ、やばい。

今流行に関しては地雷だ。
母さんの額に青筋が浮かんだ。



「た…たるんどるぅぅぅぅぅ!!!!!」



ソファの前に正座させられていた俺と雅兄の隣に比呂兄が加わって、説教は再開された。



「……………」
「まさか比呂士まで流行などというものに踊らされているとは俺は本当に悲しいぞ!」

三人が俯いて母さんの説教に耐えていると、小さくリビングのドアが開く音がした。

顔を上げてみると、細く開いた扉の向こうから蓮兄がじっとこっちを見ている。
俺達を怒鳴ることに忙しい母さんはまだ気付いていない。

俺が声をかけようかどうしようか迷っているうちに蓮兄はドアを音もなく閉めた。

…きったねぇ!逃げやがった!

「参謀…俺があげたシャツ着とった…」

雅兄が母さんに聞こえないくらい小さい声で呟く。

「え?」
「裾と袖がほつれとるデザインの、ちょっとパンクなシャツ…流行ってるブランドの…」
「……………」

…どういうことだ?

俺が首を傾げていると、雅兄が忌々しげに囁いた。

「俺らが説教されとるとこ見て大体の内容知って自分も怒られるの嫌じゃから逃げたんじゃろ…」



…き…

きったねーーー!!!

思わず声に出して叫びそうになるのを寸でのところで堪える。
今大声出したりしたら母さんに余計怒られるのは目に見えている。



「どうしたんだ?」

数分後、何事もなかったようにリビングにやってきた蓮兄はしっかりいつものきちんとしたシャツに着替えていた。

喚き散らしたいのを堪えて蓮兄を睨む。
横をちらっと見ると雅兄も蓮兄を睨んでいた。
比呂兄だけが蓮兄を救いを求めるような目で見ている。

「蓮二…お前だけはきちんと育ってくれて俺は嬉しいぞ…!」
「何だ母さん、大袈裟な…きちんと話してくれないと分からないぞ」

…白々しい…!見てた癖に…!

そんな俺達の言外の言葉が分からないはずはないのに、蓮兄はしれっとしてる。

「こいつらが流行などというくだらないものに踊らされて俺を馬鹿にするのだ…!」

おいおい、馬鹿にはしてねーだろぃ!
母さんの意外な被害妄想に俺は思わず突っ込み入れそうになった。
説教が倍になるのは嫌だから黙ってたけど。



「うむ…しかし母さん、流行を追うというのもある意味大事なことなんだぞ」
「何を言うか蓮二まで!」
「偉人達だって新しいものを取り入れたことによって歴史に残った人物も多々いるだろう」
「む…それは確かにそうだが…」
「それに子供には子供の付き合いがあるんだ。多少は流行りを押さえておかないと友達付き合いも円滑にいかなくなる」
「そういうものなのか…」

言葉巧みに母さんを宥める蓮兄を見て俺はさっき睨んだことを心から反省した。

こうやって俺達を助けるためにさっきは一度引いたんだな…さすが参謀!
母さんは蓮兄の言葉に納得したのか、さっきより態度を和らげた。

「母さんのように精神的にも肉体的にも強い人間なら周りの人間を気にする必要もないんだがな…」
「うむ、強靭な精神があれば流行などを追う必要は全くない!」
「だがそれはなかなか難しい。分かるだろう?精神というものはある程度の鍛錬と、資質が必要だ」
「う…蓮二がそういうならそうなんだろうが…」
「それに流行もそう悪くない。新しいものを吸収しようという姿勢はどんなものであれ認めるべきだと思うがな」
「確かにそれもそうか…」

何も言えない俺達の前で会話は滞りなく進む。
隣で雅兄が「参謀は口上の詐欺師じゃ…」と呟いた。
比呂兄は蓮兄の話術にうっとりと聞き入っている。
「さすが私の蓮二兄さん…」と涙まで流しそうな勢いだ。



その時



「母さん!モンハン買って!」

赤也が勢いよくリビングに飛び込んできた。

俺は赤也をぶん殴りたくなった。



「む?何だ赤也…もんはん?」
「学校で流行ってんスよー!リョーマも金太郎も、凛や裕次郎まで持ってんのに俺だけ持ってない!」
「り、流行…」

母さんはまた顔を引きつらせた。
が、すかさず蓮兄がその肩を叩く。

「これが子供同士の付き合いというものだぞ、母さん」

蓮兄の言葉に母さんは引きつった頬のまま無理矢理笑顔を作った。
赤也がその不自然さに一歩引いた。

「え…母さん知らないんスか?今ちょー話題になってんのに…」

不自然なこの状況を分かっているはずなのに、赤也は空気を読まずにそんなことを言った。

「し、知っている!馬鹿にするな!もんはんだろう!?もんはん…」

母さんはちらりと蓮兄を見上げる。
蓮兄はしっかりと頷いた。

「母さん、モンハンというのは満州国軍とモンゴル人民共和国軍の参加もあったが、実質的には両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト連邦軍の主力の衝突が勝敗の帰趨を決した。当時の大日本帝国とソビエト連邦の公式的見方では、この衝突は一国境紛争に過ぎないというものだったが、モンゴル国のみは人民共和国時代よりこの衝突を「戦争」と称している。以上の認識の相違を反映し、この戦争について、日本および満洲国は「ノモンハン事件」、ソ連は「ハルハ河の事件、出来事」と呼び、モンゴル人民共和国のみが「ハルハ河戦争(ハルヒン・ゴル戦争)」と称している(ウィキペディアより)歴史をなぞらえたゲームだ」
「ああ…そのことか!俺でも知っているぞ!」
「最近は子供のうちからこうして歴史に触れる機会を作るために歴史のゲームが増えている」
「それはとても良いことだな!しかし…なぜモンハンなのだ?ノぐらい略さずともいいだろう」
「そこを略すのが今時の子なんだ。そのくらいは目を瞑ってやってくれ」

蓮兄はわけの分からないことを言い、「実質的には〜」辺りから雅兄の意識が飛んだ。

少なくとも俺の知るモンハンはそういうゲームじゃない。
赤也も「?」って感じの顔をしている。
だがゲームを手に入れたい一心の赤也は本能で黙って頷いた。

「赤也にノモンハン事件のゲームは難しくないだろうか?」
「そこを敢えて与えてやることで歴史に興味が湧くかもしれないだろう」
「そうか…分かった、赤也。買ってやるぞ」
「マジっスか!?やったー!!」

保身のためとはいえここまでスラスラと嘘の出てくる蓮兄の言うことは今後信用しまい、と俺は固く心に誓った。



「流行というものもそれだけで毛嫌いしていないでどんなものか知ろうとすることが大切なのだな」
「そういうことだ、母さん。頭ごなしに何でも叱るのは良くないな」
「確かに蓮二の言う通りだ。反省しよう…」

何はともあれ蓮兄のおかげで流行に関する説教は立ち消えになったようだった。
俺は隣で相変わらず意識を飛ばしている雅兄を肘で小突いて起こした。

「…参謀が小難しい話しよるから眠くなったぜよ…ピヨ…」
「母さんが怒り出さないうちにしっかり目ぇ覚ましてくれよぃ」

長い正座ですっかり感覚のなくなった足を曲げ伸ばしする。



玄関が音を立てて、どうやら父さんが帰ってきたらしかった。
今夜は平和な夕食が食えそうだ。

「ただいまー」
「おかえり、精市」

母さんが機嫌よく出迎えたから、父さんの機嫌も上々だ。

「聞いてくれ精市。最近もんはんというゲームが流行っているらしいぞ!」
「ああ、そうみたいだねー。弦一郎が知ってるなんて意外だな」
「馬鹿にするな、精市!俺はこれから少しは流行に理解を示すことにしたのだ!」
「へぇ〜…いい傾向だね」



………嫌な予感がした。



母さんは相変わらず機嫌よく父さんにモンハンについて話している。

「子供達が歴史に目を向けるようになるのはいいことだ!」
「…歴史?」
「しかしノモンハン事件のような事件をどのようなゲームにするのだろうな?精市は知っているか?」
「…はぁ?」



蓮兄が物凄い速さで窓から逃げ出した。
その後を雅兄も追う。

俺もとばっちりはごめんなので逃げた。

今夜は夕飯は食えそうにない。



 

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