朝起きて庭を見ると、見知らぬ黒いハゲが居た。

二階の部屋の窓から見下ろした俺は一度目を擦り、そこに人がいることが幻覚じゃないことを知り焦った。



どうしようどうしようどうしよう。
あれガイジンだよな?何でウチの庭にいきなりガイジンが!?
っていうか母さんどうしたんだよぃ!
いつもなら朝っぱらから庭で木刀振り回してんだろ!?
っていうかジャッカルは!?あいつ吠えた声聞こえたっけ?

ジャッカルは知らない、しかもあんな怪しい奴が入ってきたのに吠えないような馬鹿犬じゃない。

とりあえず家族の誰かを呼ばないと。
父さん今日居たっけ?仕事だったっけ…
まぁでも母さん一人でも追い出すくらい余裕だよな。

そう思っているのに、自然と足は母さんの部屋じゃなくて庭に向かっていた。

…おいおい、どうするんだよぃ。
一人で行ったって俺あんなガイジン相手に戦える気ぃしねーぞ?
格ゲーなら赤也にも負けねぇ自信あるけど、実際はなぁ…
お菓子ばっか作ってる俺にガイジンに勝てるほどの腕力なんてあるはずもない。



そんなことを思ってるうちに庭に続くリビングの窓の前に来てしまった。

後姿しか見えてなかったそいつは、俺の気配に気付いたらしく振り返った。

「!!!」

そいつは俺を見た途端嬉しそうに窓の前まで駆け寄ってきた。
その表情はとても悪事を働きに来た奴とは思えない。
むしろ、俺にとってそいつのその顔は凄く親しみの持てる顔だった。

ばん、とそいつが勢いよく窓ガラスに手をついた。

あ…その窓毎日母さんが磨いてるのに。
手形なんかつけたら怒られるぞ。
毎日のように俺を見ると窓に駆け寄ってくるジャッカルが手形をつけては母さんに怒られてるんだから。



窓に近づくこともできずに固まっている俺の耳に、窓の向こうの男のくぐもった声が聞こえた。

『ブン太!』

…な、何でこいつ俺の名前知ってんだよぃ!?俺、知り合い!?
いやいやこんな黒人の知り合いなんていねーし!

『ブン太!開けてくれ!』

今度はちょっと困った声。
俺は悩んだ。
どうしようか悩んだ。

でもいくら見てもそいつが悪人には見えない。
もしかしたら何か困って家に迷い込んできたのかもしれないし―――
(何でこいつが俺の名前を知ってるのかなんて考えるのはもうヤメだ)



「…お前、誰?」

俺はまだ窓は開けないまま、近づいて向こうに声が聞こえるように尋ねてみた。

「ジャッカルだよ!ブン太、開けてくれ」
「……………」


はぁ?



―――――



とりあえず窓を開けて、俺はそいつを家に入れた。
あろうことかそいつは裸足だった。

「おいお前そのまま入んな!足の裏土だらけだろぃ!?」
「あ、そっか…このままじゃ弦一郎母さん怒っちゃうもんな」
「!?お前何で母さんの名前知ってんだよぃ…」
「何でって…だから俺はジャッカルだって言ってるだろ?」

ジャッカルと名乗るその男は、俺が渡したタオルで足を拭くと恐る恐るといった感じで部屋に上がってきた。

「家ん中入るの久しぶりだな。こないだの台風の時以来かぁ」
「……………」

確かにこの間台風があった時、あんまり雨と風が強いもんだからジャッカルを一晩部屋に入れた。
それを何でこの見知らぬ男が知ってるんだ?

「だから俺はジャッカルなんだって。信じてくれよ、ブン太」

情けない顔をしてそんなことを言うジャッカル(人)は、確かにジャッカルを連想させる姿をしてはいた。
茶色いし、ハゲだし、何かやけにかわいそうな雰囲気出てるし。

「でも、ジャッカルは犬だぞ?」
「朝起きたら何でだかわかんねーけど人間になってたんだよ」
「そんなことあるわけねーだろぃ!」
「実際そうなんだ、仕方ないだろ?」

何でそんな順応力あるんだよ…
俺はまだ全く思考がついていけてないっていうのに。

でもとりあえず俺はこの悪人ではないであろう男をジャッカルと仮定して接することにした。
そうしないことにはまともに会話が続きそうになかったから。

「…あ。もしかして、アレかな」
「心当たりあんのか!?」
「ブン太の誕生日にプレゼントあげたいって精市父さんに言ったから」
「………いくら父さんでも犬を人間に出来るわけ…」

…ない、と言い切りたかったが、何となく言葉を濁した。

あの人ならやりかねねーからな…そんくらい不可能じゃない気がしてきた。



「…ていうか俺の誕生日2日前なんだけど」
「うそ!?」

ジャッカル(人)はちくしょー今日じゃねーのかよと言いながら毛のない頭を掻いた。
何となく、前足で頭を掻いているジャッカルの姿を思い出す。
姿形は全く違うけど、どこか通じるものがある気がした。

「あー…でもとりあえず、遅れちゃったけど、誕生日おめでとうな!」

ジャッカル(人)は照れたように笑いながらそう言った。

「…おう…サンキュ…」

正直言って誰とも知れない奴に誕生日を祝われるのは気味が悪い気もしたが、祝われたのだから礼を言う。

「誕生日おめでとうっていくら吠えてもブン太には伝わらないからさ…直接言ってみたかったんだ」

そう言われて、もしこの言葉が本当にジャッカルの気持ちなんだったら嬉しいな、と思った。



そのままリビングにいるのも何だったので(誰か来て説明するのもダルかったから)俺の部屋に二人で上がった。
もうその頃には俺はこいつに危険はないと判断した。

「しかしお前、俺と同じくらいの年だったんだな」
「おいおい、ブン太は俺をいくつだと思ってたわけ?」
「貰ってきた時からデカかったからもう年寄りかと思ってた」

ジャッカル(人)はどう見ても俺と同い年か少し上くらいにしか見えない。
しかもハゲだがなかなかの美男子だ。畜生。

「ブン太と赤也がこの家に連れて来てくれた時、俺すげー嬉しかったんだぜ」

人懐こく笑うもんだから、俺も嬉しくなる。



「あ、そうだこれ…誕生日プレゼント」

ジャッカル(人)がポケットから何かを取り出して俺の前に置いた。
(一体どういう了見なんだかきちんと服は着ている。裸足だった癖に)

「おお、サンキュ…ってお前コレ…」

目の前に置かれたものはジャッカルのおやつの棒状のガムだった。

「ブン太ガムが好きなんだろ?俺ブン太にあげるために一週間おやつ我慢してガム溜めたんだ」
「……………」

ポケットから更に3つガムが出てきた。
ガム違いも甚だしかった。

「最近すぐガムなくなるなーと思ってたら…」
「嬉しいか?ブン太」

ニコニコしながら俺を見るジャッカル(人)の顔を見ていたら、怒る気力も失せてくる。
俺は仕方なしに笑ってガムを受け取った。

「サンキュ、ジャッカル。後で大事に食うぜ」
「おう。喜んでもらえて良かった」
「何で俺がガムが好きだって知ってんだ?」
「精市父さんにプレゼント何がいいか聞いたらブン太がガムが好きだって教えてくれたんだ」

父さん…明らかに分かっててやったな…

「いくら大食いだからって犬のおやつが好きだなんてブン太は本当にどうしようもないなー」

のんきに笑われて、少し悔しかった。
俺別に犬のおやつ食うほど飢えてねーっつの。

「…っていうかお前、父さんと話せんの?」
「ん?ああ…話せるっていうか、父さんがどくしんじゅつとかいうの使えるから」
「あれって動物にも使えるんだ…」
「俺は人間の言葉ちゃんとわかるんだぜ!」

誇らしげに言うジャッカル(人)の笑顔が何か可愛かったから、つい手を伸ばしてつるつるの頭を撫でた。

「……………」
「……………ブン太?どうした?」
「いや…」

頭を撫でた途端、ああこいつは間違いなくジャッカルだ、と思った。
言葉に出来ない感覚だけど、それが伝わってきたんだ。
これはいつも撫でているジャッカルの頭だ。
俺に懐いてて、いつも俺が帰って来るのを玄関で待っているジャッカルだ。



俺達はしばらく他愛ない話をした。

主に昼間の母さんの話だった。
昼間の母さんは俺達の知らない姿だから、その話は面白かった。

今まで言葉が通じなかった時間を埋めるようにジャッカルは話し続ける。

「…ところでさぁ…飯貰ってる分際でこんなこと言うのアレなんだけど…」
「何?何か食いたいモンでもあるのか?」
「いや…俺、骨が食いたい」
「骨?」
「ニセモノじゃないやつ」

ニセモノ?ほねっこのことだろうか。
昨日もジャッカルにほねっこをあげたら喜んで齧ってるように見えたけど。

「ニセモノってほねっこのことか?」
「何ていうのか知らないけど…昨日食べたやつ」
「ああ、じゃあほねっこだ。何で?あれ嫌いなのかよぃ?」
「いや嫌いっていうか何かガッカリする」
「喜んで食べてたじゃねーか」
「骨の形してっから目の前にあると噛み付かずにはいられねーんだよ。でも何かすげー虚しい」
「ふーん…分かった、じゃあ母さんに言っとく」
「わりぃな、食べさせてもらってる立場でよ」



ジャッカルは俺の本棚に並んでる食玩を興味深そうに眺めて、匂いを嗅いだりしている。
仕草は犬そのものだ。でもここにいるのは明らかに人間だ。

「…なぁジャッカル…お前ずっと人間のままなの?」

俺はずっと気になっていたことを尋ねた。
ジャッカルは深く考えていなかったのか、首を傾げる。

「わかんねぇ…俺もずっと人間っていうのは勘弁して欲しいな。やっぱ慣れねーし…」
「父さんに頼んだら戻してもらえるんじゃねーの?」
「そうかもな。じゃあ俺父さんに頼んでくるよ」

ジャッカルは立ち上がった。

え…もう行くのかよぃ?

俺は少し寂しく思った。

だって犬に戻ったらこうやって喋れることはもうなくなるってことだろ…?
やっぱり犬のジャッカルが好きだけど、こうして話せるのは俺嬉しかったんだぜ。
次はいつ人間になれるんだ?俺の次の誕生日?

聞きたいことは色々頭に浮かんできたのに、何故か俺は声が出なかった。

部屋の扉に手をかけたジャッカルが振り返る。

「…ブン太、今日話せて嬉しかったぜ。俺ずっとブン太とこうやって話してみたかったんだ」
「…ジャッカル、」
「もう人間になることはないと思うけど、今日のこと忘れないでくれよな」

そう言って笑う顔が寂しそうに見えて、俺は思わず立ち上がってジャッカルの腕を掴んだ。

「俺はブン太より絶対早く死ぬ。だけど悲しむなよ。俺はブン太に会えて幸せだったんだから」
「ジャッカル、そんなこと言うなよ!まだまだお前死なないだろ?」
「まぁな、まだ死ぬ気はないよ、若いし。でも何があるかなんて誰にもわかんないだろ?」
「やだ!ジャッカルが死ぬなんて俺絶対嫌だよ!」

あまりに不吉なことを言うジャッカルを殴ってやろうかと思った。
死ぬなんていうな。まるでこれからお前が死んじゃうみたいだろ?
こうやって人間になれたのがジャッカルの最期の願いみたいに聞こえるだろ?
そんなことないんだろ?あんまり不安にさせるなよ…

「大丈夫だよ。俺はお前が大人になるまでちゃんとお前を見守ってるから」
「絶対だぞ!俺より先に死ぬな!約束しろよ!」
「ああ。約束だ」

ジャッカルの腕を掴む俺の手を、ジャッカルがもう片方の手でそっと撫でた。
俺の手がジャッカルから離れる。
離すつもりなんてなかったのに、あっさりと。

「じゃな、ブン太。生まれてきて俺を貰ってくれて、ありがとう」

部屋のドアが開く。
何故か向こう側には強い光が満ちていた。



「―――――………」



ふと気付くと俺は自分の部屋のベッドの中に居た。

キョロキョロ見回しても誰もいない。
目覚める寸前まで何か夢を見ていたような気がしたんだけど…



「ジャッカル!」

頭が鮮明になるにつれて思い出した夢の内容に、俺は慌てて飛び起きた。
窓に近づいて庭を見ると、犬小屋の近くでジャッカルが寝ているのが見えた。

「…犬だ…」

その姿はさっき夢の中で見たガイジンじゃない。いつも通りの茶色い犬の姿。
庭ではいつものように母さんが木刀を振り回していた。

「何だ、夢かよぃ」

溜め息をついて、俺は窓に背を向けた。

それにしても変な夢だ。
ジャッカルが人間になって俺に誕生日プレゼントを渡してくるなんて。
誕生日は2日前なのに。
考えれば考えるほど笑えてきてしまう。

ジャッカル人間バージョン、割とかっこよかったよなぁ。面白かったし。
あれが同じクラスに居たりしたら絶対友達になるのにな。
後で皆にこの夢の話をしよう。きっと皆笑ってくれるはずだ。



『生まれてきて俺を貰ってくれて、ありがとう』



…そんな風に言ってもらえるような立派な飼い主じゃ、ねーよ。



夢とはいえ、何だか気分が良かった。

急いで顔洗って着替えて、ジャッカルに餌を持っていこう。
学校帰りに本物の骨買ってきてやろう。
今日は散歩もいつもより長くしてやろう。
夢の中とは言え誕生日祝ってもらったんだかな、そのお礼だぜ。



床にジャッカルのおやつのガムが4つ転がってることに俺が気付くのは、まだ少し先の話。



 

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