「そういえば父さん、今年のホワイトデー母さんに何あげたの?」
夕食中、ふとジロー兄さんがそんなことを言った。
「アーン?何だ急に」
「去年のも凄かったC…今年は何あげたんだろうって気になっちゃって」
そうそう、確かに去年の父さんから母さんへのホワイトデーのプレゼントは外国の島ひとつだった。
父さんの金持ちぶりには慣れてるつもりでいた俺たちもちょっと驚いたっけ。
(跡部家の一員の癖に庶民的な)亮さんなんて驚きすぎて眩暈をおこしてたのを覚えてる。
「俺様からは今年はヨットをやったぞ。最近樺地が釣りにハマッてるからな」
「ちなみにいくら〜?」
「1000万相当だ。あんまり大きいのは嫌だって樺地が言うから小さいやつだが」
かしゃ、と音がして見てみると、何も言わずに夕飯を口に運んでいた亮さんがナイフとフォークを落とした音だった。
「…亮さん、大丈夫ですか?」
「ホワイトデーに1000万………」
呆れているのか感心しているのか、顔を片手で覆っている。
「…ジロー、お前の方こそ今年は結構貰ってただろう。何返したんだ?」
「A、どうせ全部義理チョコだC、本命だとしても付き合う気ないC、母さんが作ってくれたクッキーあげたよ」
「庶民のメス猫共が樺地のクッキーを食べられるだけでも充分すぎるな」
「そういえば今年は父さんも逆チョコとか言って母さんにチョコあげたんじゃなかったでしたっけ」
若が口を挟む。
「ウス…だから、跡部さんには…手作りのケーキを、あげました…」
…手作りのケーキか…1000万の船に対して、手作りケーキ…
明らかに割りに合わない気がするけど、父さんは至極嬉しそうだ。
「今年の樺地のケーキは去年までと一味違ってだな…」
母さんのケーキ自慢を訥々と語り出す父さんは無視して、おばあちゃんが喋り出した。
「俺も侑士からチョコもらったから、お手製の納豆プレゼントしたぜ!」
「ああ、うまかったでぇ!がっくんが俺の為に作ってくれたと思ったらうまさもひとしおや!」
「まぁ俺が食いたくて作った試作品だったんだけど、死ななかったし大丈夫だよな」
「………え…、そうなん…?何か腹痛くなってきたわ…」
おなかを押さえて蹲り始めるじいちゃんをよそに、ばあちゃんは平然としてる。
「ちなみに俺は今年は亮さんとジロー兄さんにあげました!」
そう、俺は今年の誕生日、この二人にものすごいいい思いをさせてもらったからね。
ジローさんには羊のぬいぐるみを、亮さんには欲しがってた帽子をプレゼントした。
二人とも凄く喜んでくれたから満足!それに…
「あー…俺も長太郎にチョコ貰ったから………クッキーあげた…」
「へぇ、亮ちゃんも母さんのクッキー?」
「…いや…あの、」
「手作りですよ!亮さんの手作りクッキー!!!」
亮さんの初めての手作りクッキーを貰えた時の俺の喜びはちょっと言葉では言い表せないくらいだ。
照れた顔して俯き加減に「これ…わざわざ俺が作ったんだから有難く食えよな」なんて言ってた表情も忘れられない。
あの瞬間をビデオカメラに収めなかったなんて俺は何て迂闊だったんだ…
「そういえば若もバレンタインにチョコケーキ作ってたよな?」
話題を逸らそうとするかのように亮さんが若に話を振る。
「そうですね、クラスの友達とお世話になってる先生にあげたんです」
「ホワイトデーのプレゼントはもらえた?」
俺がそう聞くと、若は珍しく頬を染めて嬉しそうに頷いた。
滅多に見れない表情なだけに、家族全員がそんな若に注目する。
「わかC、嬉しそうだね〜、何貰ったの?」
ジロー兄さんが聞くと、若は大事そうにポケットからいくつかの袋を取り出した。
もちろん気になる家族全員が若の手元を覗き込む。
「知念慧にあげたチョコのお礼は、俺の方から指定させてもらったんです」
「若…お前図々しいな…貰う上にリクエストまでするのかよ」
亮さんの言うことは最もだが、若ならそれもやりかねないだろう。
「…で、貰ったのがこれ。こっちが知念先生が吸ったタバコの吸殻、これが知念先生の髪の毛(白・黒両方)、これが知念先生が今年の正月に着物着た時の写真…」
「「「「「「「……………」」」」」」」
興味深く若を見つめていた全員の顔が凍る。
「…若、知念先生が好きだったの…?」
知念先生といえば若の担任の先生で、6年の教室にもたまに来るから知っている。
背が高くて無表情で、ちょっと怖い感じの先生っていうのが俺の先生に対するイメージだ。
まさかああいうタイプに若が熱を上げるとは…
「好きだなんて、そんな低俗なことを言って知念先生を貶めないでください」
若は文句を言うが、その表情を見れば知念先生が大好きであることは明らかだ。
あの若の頬を染めるような教師の存在に、家族はそれぞれ思いを巡らせる。
「知念先生って目立つ人だよね〜?背高いC…職員室行くとどこにいてもすぐ分かるC!」
「ああ、知念先生ってあのでかい人かぁ。何かちょっと怖くねぇ?長太郎、喋ったことあるか?」
俺たちが通う学校の職員室は、初等部から高等部まで一続きになっている。
半端ない広さで、初等部、中等部、高等部で衝立で仕切られているだけだ。
だから中等部の亮さんとジロー兄さんも初等部の先生である知念先生のことは見たことくらいはあるはずだ。
「何度か喋ったことはありますけど…悪い人ではないと思いますよ。声小さいけど」
俺がそういうと、若がキッと目を吊り上げて俺を睨んだ。
「悪い人じゃないと思うとか、何様ですか、あんた」
「えぇ〜…若、怒らないでよ…」
「知念先生はいい人です!声は小さいけどそこも素敵な大人の男なんです」
「素敵な大人の男の髪の毛貰うなよ…」
「俺は知念先生のことならどんな些細なことでも知りたいんです」
「ていうか俺はむしろ吸殻と写真の使い道の方が気になるC…」
「ジロー、そんなこと聞いたらあかん。使用法は思春期男子のひ・み・つ☆ってやつやで!」
いつの間にかさっきまでおなかを抱えて蹲っていたおじいさんが復活してる。
若は自分のフォローに回ってくれたにも関わらず、心底嫌そうな顔をしておじいさんを横目で見ていた。
「あれ?じゃあお世話になってる先生って、知念先生?知念先生には何か貰わなかったの?」
「貰いましたよ。奥さんが用意してくれたっていう飴とゴーヤを」
「「「ごーや…」」」
そんな苦みばしったホワイトデーは嫌だなぁ…
「でも奥さんがいるってことは若の恋は前途多難やなぁ」
「別に…奥さんと別れて欲しいとかそういうこと思ってるわけじゃありませんから…」
「けど切ないやろ?」
「そりゃあ…でも今は一緒にいられるだけでも幸せだと思いますし…」
………若…完全に愛人みたいなこと言っちゃってるよ…
小学5年にしてこの愛人体質はどうなんだろう。先が思いやられる。
きっとみんなそう思っているんだろうことは若を見守る表情を見て容易に知れた。
「そんなことよりおじいさんはおばあさんに何かあげなかったんですか?」
「そうだよ〜、イベント好きなおじいちゃんのことだから何かあげたんでしょ?」
若が話題を変えたことでジロー兄さんも乗って、おじいさんは誇らしげに眼鏡を逆光で光らせた。
対しておばあさんはけっ、と鼻で笑う。
「俺がガックンにあげたんは「捨てたよ」
「えぇ!?」
「あんなにクソ要らないもんは人生で初めて貰った」
遠い目をするおばあさんに、俄かに興味が湧く。
それは俺だけじゃなかったようで、亮さんもお父さんも、若までもが気になるようだった。
いっつも前向きで明るいおばあさんがこんな冷静になるほどの要らないものって…
「おい、親父。お前何やったんだ」
「景ちゃん、親父やなくてパパって呼んでって言うとるやん」
「黙れ。死ぬか?」
父さんとおじいさんがそんなやり取りをしている様子を見ていると、いつの間に探してきたのかおばあさんの手にはひとつの包みがあった。
「部屋のゴミ箱にまだ入ってたから取ってきてやったぜ。見るか?」
「「「「「「見る!」」」」」」
包みを開けると一冊のノートだった。
やけに可愛らしいそのノートの表紙には「ガックンへ(はぁと)」とドン引きしたくなるような丸文字で書かれていた。
「…おじいさん、これ何ですか?」
「ん?これか?これはなぁ…俺がガックンのためにここ半年で書き留めたポエム集やで♪」
「「「「「「「……………いらねぇ〜……………」」」」」」」
「何でやねん!めっさええ出来やっちゅーねん!ポエム以外にも俺の写真とかも貼ってるし!」
ぱらぱらとノートを捲ってみる。
中は女子高生のノートのようにカラフルなペンで文字やイラストが描かれている。
はだけたバスローブ姿でワイングラスを傾けるおじいさんの写真もあった。
「…キモッ…夕飯逆流する…」
「亮さん!大丈夫ですか!?すみません俺が考えなくノートを捲ったばっかりに…!」
「何だ、親父。なかなかいい出来じゃねぇか。俺様も来年はこれにするか。なぁ樺地?」
「……………ゥッ…ウス………」
「ああ、確かに父さんの感性には合いそうですね。さすが親子ですね。遺伝子の脅威ですね」
「ナルシスト遺伝Cかぁ〜、俺たちは誰も受け継がないとEねー」
「こんなん渡された俺の身にもなってみろよお前ら…捨てるしか出来ないぞ」
「…で、肝心のポエムの出来はどうなんですか?」
俺が気持ち悪そうに口元を押さえる亮さんの背中を摩っていると、若が冷静に聞いてきた。
ぱらぱら捲っただけだったから詳しい内容は見ていない。
亮さんも怖いもの見たさなのか、興味はありそうだ。
ジロー兄さんが最初のページを恐る恐る捲る。
ピンクのペンで書かれた丸文字がノートを踊っている。
『岳人、君は翼を失くした堕天使 地上に舞い降りた最期の天使』
ジロー兄さんがノートを投げて、その日跡部家の食堂の窓が割れた。
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