―ある日曜日―
「ほあら」
日曜日。起きたら枕元でカルピンが鳴いた。
「…おはよ。カルピン。おなかすいたの?」
カルピンはもう一度ほあら、って鳴いて俺に擦り寄ってきた。
重くて抱っこできないからその長い毛を撫でてあげる。
カルピンは何でか家族の中で俺に一番懐いてる。
だからご飯をあげるのも遊んであげるのもいつも俺だ。
「おいで、カルピン」
ご飯をあげるためにベッドから起き上がって部屋の扉を開けると、カルピンは大人しくついてきた。
階段を降りていく途中でリビングからいつもの声が聞こえる。
「おい母ちゃん!何でマムシの方がウインナー一本多いんだよ!」
「うるせぇ…お前の方が年下だからに決まってんだろ…フシュー…」
「年なんて関係ねぇなぁ!関係ねぇよ!俺より弱い癖に!」
「何だとゴルァ!!!」
リビングの扉を開けると予想通り。
また桃兄と薫兄が喧嘩してる。
三男の薫兄は小学6年生で四男の桃兄は小学5年生だ。
この2人は毎日毎日同じようなことで喧嘩ばっかしてる。
本当は仲悪いわけじゃないみたいなのに何で喧嘩ばっかするんだろ?
高学年の癖に子供っぽいことで喧嘩して恥ずかしくないんだろうか。
「あ、リョーマ、おはよう」
桃兄と薫兄の喧嘩をうんざりした顔で見てた秀一郎母さんが俺に気付いて笑顔を向けた。
「…おはよう」
母さんの膝の上には次男の英二兄ちゃんが頭を乗せて甘えてる。
英二兄さんは今年中学に上がった。
でも相変わらずのマザコンぶりで弟の俺から見ていても恥ずかしい。
「ほら英二、リョーマの朝ご飯用意するから降りて」
「え〜ッ!やだやだまだ膝枕したいにゃ!」
…『にゃ』っていう語尾にも少し引く。
ご飯までまだまだかかりそうだったから俺はキッチンに向かった。先にカルピンのご飯の用意をするために。
「やあリョーマ。おはよう」
ヴィィイイイイイィイイイイイイン…
「………」
キッチンにはやけにデカい音を立ててミキサーを稼動してる貞治兄さんがいた。
ミキサーの中には何とも形容しがたい色のドロドロした液体が渦巻いている。
我が家の長男で高校3年生の貞治兄さんはこうやってよく変な汁を作っては家族を実験台にする変な男だ。
頭はいいらしいけど人間的に駄目だ。別に嫌いなわけじゃないんだけど…
「リョーマ、背を伸ばしたいなら毎朝きちんと牛乳を飲むこと」
「分かってる」
「更にこの改良型新・貞治汁を飲めばカルシウムの吸収を良くして更に背を伸ばせる確率84%だ」
「………」
…やっぱり嫌いだ。
執拗に汁を勧めてくる貞治兄さんは無視してカルピンのご飯を用意する。
背は伸ばしたいから牛乳はちゃんと飲んだ。
リビングに戻るとまだ桃兄と薫兄が喧嘩していた。
朝からうるさい。
いつもの席につくとやっと俺に気付いたらしい桃兄と薫兄。
「おっ、リョーマ起きてたのか。そろそろワ○ピ始まるぞ!」
「けっ!小5にもなってまだアニメかよ。ガキが!」
「んだと!?お前だってチョッパーの回ん時後で部屋で泣いてたの知ってんだぞ!」
「なっ…!泣いてねぇよ!ふざけんなこの馬鹿ガキが!!」
また始まった。
薫兄は動物に弱い。本人は隠してるみたいだけど。
カルピンを可愛がりたいんだけど皆の手前可愛がれなくて、誰もいない所でカルピンを構おうとして逃げられてた。
その時の悲しそうな背中は忘れられない。
対して桃兄は薫兄と全然逆で明るい。
俺と一番仲がいい兄弟は桃兄だと思う。
俺に一番年が近いってのもあるんだけど。
ちょっと強引過ぎるところがたまにキズだけど、基本的には優しいし面白い。
学校でも人気者みたいだ。
本当の名前は武っていうんだけど皆には何故か「桃ちゃん」って呼ばせてる。
理由はわかんないけど何となく俺はそんな桃兄が好きだ。
まだまだ喧嘩は続きそうで、いい加減うるさいと思い始めた頃だった。
「…お前達、いい加減にしないか」
ずっと黙って新聞を読んでた手塚家の家長である俺達の父さんが立ち上がった。
「我が家の規律を乱す者は許さん。お前達、町内10周!」
「「………!!!」」
俺達は父さんには逆らえない。我が家では父さんが絶対なのだ。
桃兄と薫兄は可哀想にも朝食を半ばにして2人仲良く町内ランニングに出掛けて行った。
…まぁ俺じゃないからいいけど。
やっと静かになった。
そしてやっと英二兄ちゃんの束縛から逃げられた母さんが俺と英二兄ちゃんの朝食を用意してくれた。
桃兄と薫兄の残したやつも貰ってしまおう。
「リョーマ、小学校はどうだ」
ご飯を食べ始めた俺を見て父さんが聞いた。
「別に、普通だよ。クラスに幸村って奴がいてそいつがやけに絡んでくるけど」
「む…問題は起こすなよ」
「俺は何もしてないよ。あいつが勝手に絡んできて勝手に自滅して泣いて帰ってくだけ」
「…そうか…」
俺は最近小学校に上がった。この家では末っ子だ。
同じクラスになったもじゃもじゃした奴を思い出す。
何故か最初から俺にだけ突っかかってくるんだ。
俺達の父さんはあまり喋らない。
会社では結構有能らしくて、でっかい会社の部長をやってるんだって。
だから俺は父さんのことを部長って呼んでる。
父さんは家でまで役職で呼ぶなって言うけど、何かカッコイイ気がするからこれでいいんだ。
貞治兄さんは割と部長に対してクールだけど、英二兄ちゃんでさえ部長には逆らえない。
でも英二兄ちゃんは母さんが大好きだから部長にヤキモチ妬いてるみたいだ。
母さんも部長のことは尊敬してて、いつだって部長の味方だからね。
その分母さんには、苦労も多い。
「おはよう、国光」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、お義母さん!」
その苦労の主な原因になってるのが、この不二おばあちゃんだ。
部長のお母さんであるおばあちゃんは、部長のことが大好きだ。
だから嫁である母さんに極端に冷たい。
無視されるのは日常茶飯事だしお茶が温いって何度も淹れさせたり味噌汁ぶっかけたり、色々、する。
いわゆる嫁いびりってやつだ。
部長は案外鈍いところがあってそんなことしてるおばあちゃんに気付かない。
気付いても何も言わないかもしれない。おばあちゃんは怖いんだ。
おばあちゃんは基本的に息子と孫とおじいちゃんにしか優しくない。
でも優しいと思って調子に乗ると一瞬で奈落の底に落とされるから気を抜くな、って桃兄が教えてくれた。
俺はおばあちゃんは悪い魔法使いだと思って常に気を抜かない。
「おはよう、リョーマ」
「おはよう、おばあちゃん」
「おばあちゃん、改良型新・貞治汁が出来たんだけど試飲してみないか」
キッチンから怪しげな液体入りのジョッキを持った貞治兄さんが現れた。
おばあちゃんはこの世で唯一貞治兄さんと味覚の合う人間だ(違う、魔法使いだった)
「ああ、いいね。貞治の作るものはいつも美味しいから…秀一郎さん、飲んでみたら?」
矛先が母さんに向かった。
「えッ!?」
我が家の人間なら一度は貞治兄さんの破壊的な汁を味わったことがある。
一度味わった人間なら二度と体験したくないものだ。
それを知った上で薦めるのだから本当におばあちゃんは恐ろしい。性格が悪い。
「それともリョーマが飲むかい?」
おばあちゃんは綺麗で優しくて僕は大好きだ。
「ふふ…ほら、秀一郎さん。自分の息子が頑張って作ったものが飲めないのかい?」
「え…いや…あの…」
どうやら俺は回避できたようだ。
母さんには悪いけどこれでいい…これでいいんだ…
母さんが大好きなはずの英二兄ちゃんですらこの光景は見て見ぬふりをする。
「やあ、貞治。また何か作ったのかい?」
(((天の助け…!)))
ジョッキを突きつけられて青くなってる母さんを救う騎士の声が部屋に響いた。
「お義父さん…!」
「(チッ…)タカさん…」
寿司屋をやってるおじいちゃんのタカさんは、唯一おばあちゃんが黒いところを見せない人だ。
優しくておおらかで、何でおばあちゃんなんか好きになったのかよく分からない。
「ふふ…リョーマ…」
おばあちゃんは綺麗で優しくて僕は大好きだ。
「おじいちゃん、改良型のドリンクを作ったんだ。おじいちゃんも良かったらどうだい?」
貞治兄さんだけが空気を読まずに呑気に汁を勧める。
(ていうかあのドロドロの粘液をドリンクって言ったか?あの人)
「う…そ、そうか…」
孫に甘い典型的な祖父であるおじいちゃんは、真っ向から嫌な顔こそしないものの笑顔が引きつっている。
「今回は桃のクラスメイトの沖縄出身の子がくれたナマコをふんだんに使ってみたんだ」
「そうか…それは、美味し?そう、だ…な…」
「なかなか身が固いもんだから細かく切ってミキサーにかけるのも苦労したよ」
さも嬉しそうに言ってるが全然凄くない。
貞治兄さんが作るものに関心を持った(フリをしてくれる)のはおじいちゃんだけだから、ここぞとばかりに語っている。
桃兄のクラスメイトという奴はおそらく俺のクラスの奴の兄貴だろう。
そうか…ナマコか…良かった、俺、回避できて…
貞治兄さんの目標はすっかりおじいちゃんに移ったらしく、母さんは複雑な表情をしてる。
自分のせいでおじいちゃんが被害に遭うのがいたたまれないんだろう。
また胃が痛いのかおなかを押さえてる。母さんはいつも胃薬を手放せない。
…そろそろ、逃げよう…
食べ終わった食器を流しに置いて、俺はリビングを出た。
背後からドタッと何かが倒れる音と「お義父さん!」って叫び声が聞こえた。
聞こえないふりをして廊下を歩いてると、ご飯を食べ終わったカルピンが足に擦り寄ってきた。
「…まだまだだね」
カルピンの頭を撫でながら俺は呟いた。
next