暑い。

だがクーラーに慣らされた体に、この暑さはいっそ心地好くさえある。

俺の夏!この日の為に俺は生きてきた!



「………、ぅああっぢぃぃぃいい…」

簡素なテーブルに頬を押し付けてお義父さん…精市さんは呻いた。

「精市さん、どいてください。そこにも並べるんで」
「はいはい…ったく、何で俺まで来なきゃいけないのさ…」
「売り子がいなかったんだから仕方ないでしょう」

『新刊あります』と書いたスケッチブックを立て掛けて、テーブルに本を平積みにする。
合計8冊、うち、新刊2冊。
このサークルも随分本が増えたものだ。
精市さんと紆余曲折あった末作られた、蓮二への愛と涙とその他諸々の汁の結晶である本を眺めながら、俺は感慨深い気持ちになった。

「どうせなら冬に来たかったな〜…」
「冬は冬で極寒で釣り銭を数える指がかじかみますよ」

…そう、今日は俺達の祭典、夏コミだ。

今年も首尾良くスペースを取ることが出来た。
いつもはわざわざビッグサイトまで出向くことのない精市さんはうんざりしているが、俺はこの何もしなくても汗の滴るこの空間こそ夏を実感出来る。

「あ、ポスター立派だね」
「作画兼パトロンでもある精市さんのおかげでうちのサークルは常に豪華ですよ」
「このポスター終わったら頂戴」

自ら描いたイラストで作られた大きなポスターに、精市さんはご満悦だ。
良かった、少し機嫌が治ったらしい。

「お釣りはここですからね。電卓ありますから、計算間違えないでくださいよ」
「俺を誰だと思ってるわけ?」
「精市さんは優秀な方ですけど、この暑さでは脳も溶けるんですよ」

開場は近い。

それなりにファンがついてきたこのサークル、午前中が山とみた。

作画をやっているのがこの子持ちには到底見えない美丈夫と知ったら、どれだけ腐女子達は歓喜するだろう。
きっとこれまで以上にファンもつくに違いない。
このコミケが終わったらサイトを立ち上げて、俺の小説と精市さんのイラストで全てのBLランキングを総なめするんだ…!

「…ねぇ、貞治くん。野心を燃やしてるところ悪いけど、暑い」
「ええ、俺は熱いですよ」

開場前からテンションの低い精市さんをよそに、俺は上がりきったテンションを紛らわすために隣のサークルの売り子さんと語った。






開場してから、精市さんの綺麗な顔は更に歪んだ。
あまりの人の多さと異様な熱気に辟易しているんだろう。
でもお客さんに対しての営業スマイルはさすがなものだ。暑さなど微塵も感じられない。

「えっ、この表紙の絵描いてる方なんですか!?」
「きゃー!絵も上手い上に超美形!」
「ふふ、ありがとう」
「犬井さんと素敵な関係だったりしてー」
「ははは、俺の恋人は蓮二だけだから」
「ですよねー!私もレンジくん大好きです!レンジくんは俺の嫁!」

テンションの高い客の相手をする精市さんが黒魔術を発動しないかハラハラしながら、釣り銭を数える。
ちなみに犬井は俺のペンネームだ。
俺達の書く小説内の「レンジ」とは言え、大事な蓮二を嫁呼ばわりされて精市さんは大丈夫だろうか。
知らないというのは恐ろしいことだ、と無邪気に笑う彼女達を見て小さく溜め息をつく。



「…ふー…」

客足が少し落ち着くと、精市さんは差し入れで貰った凍らせたペットボトルを一気に煽った。
きっともうほとんど溶けてる。

「お疲れ様です」
「…テンション高すぎじゃない?みんな」
「そりゃあ、お祭りですから」

しかし今日は精市さんの黒魔術の犠牲者は出ていない。珍しいことだ。
慎みも遠慮もない女の子の質問攻めなんて、彼の最も嫌うところだろうに。

「…暑くて発動する気にもならないよ」
「成る程」

飲み物を飲んで少し暑気が払えたのか、精市さんはくすりと笑った。
襟足が少し汗に濡れている。色っぽい。

「何かさ…みんなが蓮二をフィクションだと思ってるの不思議な感じ」
「しかもみんなが蓮二を好きだし?」
「うん。やっぱ蓮二は女にもモテるんだよなぁ。貞治くん、別れたら?」
「…またそれですか…」

サークルを設立して随分経つのに、彼のそのスタンスだけは変わらない。






「…お、ここじゃ」

午後、精市さんがファンの子に頼まれたスケブを描くのを横から覗いていたら、男の声が聞こえた。
このサークルは10割が女の子のファンなのに、珍しい。

「新刊は完売かの」

顔を上げると、雅治君がいた。

「…なななななんで…」

今日スペースを取れたことは友人はおろか蓮二にさえ言っていない。
咄嗟に精市さんを見ると、彼も珍しく驚いた顔をしている。

「雅治…何でいるの?」
「俺だけじゃないぜよ〜」



……………



「……………」
「……………」

人混みの中から現れた長身の人物を見た途端、俺の意識は遠退きかけた。

「…随分夏を満喫してるようだな。父さん、貞治」

…蓮二。

俺は口を金魚のようにぱくぱくさせて、何とか肺に空気を取り込んだ。
しかし言葉は出てこない。

「親父さんが『夏を満喫してくる』とか言うて出掛けたから、怪しいと思ったんじゃ」
「暑いのが嫌いな父さんが夏を満喫、なんておかしいと思わない方がどうかしている」

テーブルを挟んで腕を組んで立つ蓮二と、ニヤニヤ笑いながら俺を見る雅治君。
絵になる。先程から道行く腐女子がちらちらと視線を投げ掛けてきているのを感じる。
雅治×蓮二…美しい。…だがそんなことを考えている場合じゃない。

す、と蓮二の目が開いた瞬間、俺はパイプ椅子を押し退けて土下座した。

「…っ、ごめんなさい蓮二!!!!!」
「…お前が父さんと良からぬことをしているのは知っていた。が…よもやこんなところで販売までしているとは、な…」
「誤解だよ、蓮二。俺は貞治くんに連れられて…こんなところに…っ、うっ…」
「なっ…!?」

恐ろしい変わり身の速さで精市さんは泣き落としにかかった。

「…父さん」

だが開眼蓮二には効かない。

「…はーい。ごめんなさい」

あんまり反省の色が見えない態度で精市さんは謝った。
俺は未だ床に這いつくばったままだ。床も場内の熱気を受けて、熱い。

「とりあえずスケブは描いていい?」
「スケブって何じゃ?」
「俺、イラスト担当だから。頼まれた分は描かなきゃさぁ」
「…頼んだ人に罪はない。早く描け」

雅治君はテーブルの上に残った既刊誌を手に取ってパラパラ捲っている。

「『雅治の指使いに蓮二はただただ翻弄されるばかりだ。「あっ…!まさ、ぁんっ…も、らめぇええ!」震えるその体を前に雅治は舌なめずりを、「雅治、やめろ」

雅治君の朗読を止めて、蓮二は眉根を寄せた。

「…以前読んだのは赤也が相手だったが」 
「あ、それもう完売。やっぱ年下攻めって売れるわ〜」
「…父さん、今日はもう帰って来ないでくれ…」

精市さんにこれいくら?と聞いて、300円をテーブルに置いた雅治君はバッグに今朗読していた本を仕舞った。
蓮二がそんな雅治君を一瞬睨む。
そんな睨みさえ受け流すように雅治君は肩を竦めた。

「………、貞治への処分は、追って報告する」

………ああ蓮二。そんな部下の失態を責める上司みたいな目で見ないでくれ。



冷たくこの場を去る蓮二の後ろを雅治君が追う。

この、小説の登場人物そっくりの二人の去り姿を見ていたらしい腐女子達の財布の紐が弛みまくり、この夏雅治×蓮二の小説「官能の扉」は完売。
実在する美形を題材に書かれた小説が話題になり、冬コミで俺達のサークルはシャッター前大手になるのだけど、それはまた別のお話。


prev next
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -