「あー、おチビー今帰り?」
「英二兄さん…」

その日は午前中は晴れてたのに、帰る頃は大雨になっていた。



嫌だけど傘も持ってないししばらくは止みそうにない。
俺は仕方なくなるべく雨に濡れないようにゆっくり帰り道を歩いた。
走るよりも歩く方が濡れない気がする。

後ろから聞き慣れた声がすると思ったら、予想通り英二兄さんだった。
ここまでの道のりも走ってきたんだろう。びしょぬれだ。

「おチビ、何ちんたら歩いてんの。濡れるよ?」
「もうこれだけ濡れたら急いでも急がなくても一緒だと思って…」
「あーもう、相変わらず可愛げない理由だにゃ!」

でも俺の言うことに賛同したのか何なのか、英二兄さんは俺の歩調に合わせた。

遠くからゴロゴロと低い音が聞こえる。

「あ、雷…」
「近づいてきてるのかにゃ」

二人で雨が目に入りながらも空を見上げる。
空はまだ光ってない。

「おチビー、雷が光ってから音が鳴るまでの間が短ければ短い程雷は近いんだってよ。知ってた?」
「知ってるよ。部長に教えてもらったし」
「俺知らなかったんだよなー。母さんはこういうこと教えてくれなかったし」

英二兄さんは感慨深げにそんなことを言う。

母さんは俺から見ても部長ほどじゃないけど頭はいい方だと思うし、勉強とか教えるのもうまい。
だからそのくらいのこと、英二兄さんに教えるなんてわけないはずなのに。
じっと英二兄さんを見上げてたら、その視線に気付いた英二兄さんが眉をちょっと上げた。

「何?おチビ」
「いや…母さん、雷のこと知らなかったの?」
「知ってるんじゃない?」

じゃあ何でだ。
疑問を持った英二兄さんが聞いたりすれば、母さんは快く教えてくれるだろうに。

「おチビ…うちでは雷の話は禁句なんだよ。特に母さんのいるところではね」
「???」

英二兄さんは雨に濡れた前髪を手で鬱陶しそうに避けながら話し始めた。



Side EIJI



俺も最初は知らなかったんだ、雷のこと―――

俺がまだリョーマくらい小さかった頃。



「あ、あめふってる」
「本当だ。母さん傘持って行ったっけ?」

買い物に行ってしまった母さんを心配して貞兄は窓を眺めた。
俺は急いで玄関の傘立てを覗いたけど、そこには母さんの傘がちゃんと畳まれている。

「貞兄、母さんの傘あるよ」
「そうか…じゃあ俺、迎えに行ってくるよ」
「えいじも行く!」

本当は買い物にだってついて行きたかったんだ。
だけど荷物が多いし俺の面倒まで見切れないって貞兄に無理矢理押さえられて一緒に行けなかった。
だから俺はここぞとばかりに貞兄の提案に乗っかった。
貞兄は少し面倒臭そうな顔をしたけど、俺のレインコートと長靴を出してくれた。

「あんまり水溜りで遊ぶなよ。急ぐんだから」
「わかってるにゃ!」

母さんの傘を持って自分の傘をさして、更に俺の手を引いて、貞兄は歩き出す。
家を出る頃には雨は勢いを増していた。
俺は雨が降るとテンションが上がる典型的な子供だったから、大雨にかなり心はときめいていた。

「雷、鳴らないといいな」
「にゃんで?えいじ雷すきだよ。ワクワクする!」
「俺は嫌いだよ。特に母さんと一緒の時は」

貞兄の言ってる意味が分からなくて首を傾げたけど、貞兄は溜め息をついただけで教えてくれなかった。
俺も俺でその後はさして気にもせずに道を急いだ。

途中で水溜りを見つけてわざわざ足を入れたり、雨に喜んだ小さな蛙が紫陽花の枝の下にいるのを見つけたり。

結局相当な時間を食ってしまっていたと思う。
俺ばっかりのせいじゃない。
貞兄だって途中で怪しげな野草を摘んでみたりしてたから。



ゴロゴロゴロ………

重く幾重にも重なって見える雲の向こうが、不穏な光を発し始めた。

「…やばい!英二!急ぐよ!」
「え!?」

耳聡くその音を聞きつけた貞兄はそれまで手に取っていた草を放り出して俺の手を掴んだ。
走るせいでレインコートのフードが外れて、顔や髪は雨に濡れる。



走って母さんが行ったスーパーの方向に向かう。
だけど雷はどんどん近づいてきてるのか、大きい音になってきた。

ぴかっと閃光が走る。

俺は咄嗟に目を瞑った。
だが待ち構えていた音は聞こえてこない。

「…貞兄、音鳴らないよ?」

貞兄は俺の言葉になんて耳を貸さずに足早にスーパーの方に向かった。
数秒遅れて響いた音に、俺は少し身を竦ませた。



「…ああ…!遅かった…!」
「?」

貞兄がとうとう足を止めて、愕然とした声を上げた。
俺は貞兄の後ろに隠れた状態だったけど、ひょいと体を傾けて貞兄の視線の先を追う。

そこには―――



……………



「買い物袋を引きずりつつ匍匐前進で進む旧日本兵のような母さんが………」



「……………」

英二兄さんの話を全部聞き終えた俺は呆れて声も出なかった。

「…英二兄さん、いくら俺でもそんな嘘は信じないよ」
「ほんとだって!何で信じないの!?」

あの良くも悪くも理性的で常識的な母さんがそんな人目につくことするわけないじゃないか。

「おチビは見たことないから信じられないかもしれないけど!俺だって最初見た時は目を疑ったしね」

俺は思いっきり疑いの目を英二兄さんに向けた。

「何だよ!その目!ほんとだって!」
「ハイハイ…嘘つくならもっと上手についてよ…まだまだだね」

真剣に話を聞いてみればこんなくだらない内容。俺は呆れていた。
雨も益々強くなってきたし、俺は足を速めた。

「大体それが本当だとして理由は?」
「母さん、雷が怖いんだって。だから落ちないように姿勢低くしてたらしいにゃ」
「ばかばかしい…」

人に雷が落ちないなんてことはそれこそ母さんが知らないはずはないじゃないか。

「おチビ知らないの?雷ってね…人に落ちること、あるんだよ…」
「……………」
「ちなみにその人は真っ黒コゲになって死んじゃったって…」
「……………ば、ばかばかしい…」

ピカッ

あまりにもタイミングよく空が光った。
時間差で鳴る音はさっきよりも大きくなったようだ。

「…信じる信じないはおチビ次第だけど〜、俺は雷落ちたら嫌だから先帰るね!」

英二兄さんはしてやったりといった顔でニヤリと笑って、身を翻して俺を置いて走って行ってしまった。



……………



『雷ってね…人に落ちること、あるんだよ…』

頭の中に英二兄さんの言葉が蘇る。

さっきよりも空が光る回数が増えてきている気がする。
まだ遠いみたいだけど、間違いなく近づいている。
英二兄さんの言うように落ちるかどうかは置いといて、早く帰ったことがいいってことだけは確実だろう。

全く、英二兄さんがあんなこと言うから信じてないのにちょっと変な気分じゃないか。
俺は帰ったらまず英二兄さんを殴ろうと決めた。



今までより少し早足で道を進む。
まるで俺の後を追うように、雷が近づいてきている気がする。

光と音の間隔が段々狭まってきた。

『雷ってね…人に』

嫌だ!思い出すな………とにかく急いで家に帰ればいいんだ。

俺の足はいつの間にか早足どころか全力疾走していた。
あそこの角を曲がって真っ直ぐ行けばすぐに家だ。
俺は勢いをつけてその角を曲がった。



ピシャーン!ガラガラガラガラ…



「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!!!」」



角を曲がった途端に薄暗かった周囲の景色がハッキリ見えるまでに明るくなって、そしてまた薄暗くなった。

音と光が同時だった。どこか近所に落ちたに違いない。
そして勘違いじゃなければさっき、同時に声が―――



「…あ、あれ?リョーマ?」
「あ…母さん…」

そこには道路に這いつくばって頭を抱えている母さんの姿。

「な…何してんの…」
「リョーマもちゃんと姿勢を低くするんだ!今雷一番近いんだから!」

いつもの穏やかな顔とは全く違う険しい顔で母さんは俺の頭を無理矢理下げた。

「か、母さん…雷って人に落ちること、ってある?」
「あるよ」
「!!!!!」

間髪入れずに帰ってきた言葉に、俺は母さんの隣に這いつくばった。

「よし、このまま帰ろう」
「うん…」

俺達は匍匐前進で家までの直線距離を進んだ。



家の全貌が見え始めた頃、少し顔を上げると二階の部屋の窓から英二兄さんがこっちを見て爆笑していた。



雷はいつしか遠のき、雨はもうすぐ上がりそうだ。



 

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