最近大石が少し疲れているな、とは思っていた。

大石は基本的に大らかで、少し神経質で繊細なところはあるがそれ以上に周りの人間に心配かけまいとする。
だから周りから見て疲れが見えるということはそれは相当なことだ。

俺も少しは大石の家事の手伝いをするなどして、出来るだけ気遣おうと思っていた。

が、俺は元来傍目には何を考えているのか分からないように見えるらしいし、性格も積極的とは言い難い。



「手塚、リョーマが最近全く俺の言うことを聞いてくれないんだ」
「…そうか」
「俺が言っても駄目だから手塚が一言言ってくれないか」

休みの日の午後、大石にそんなことを言われた。

リョーマは元々生意気なところがあるし、第一まだ子供だ、放っておけば落ち着くだろう。と、俺は思っていた。

「…そんなに色々と俺が言わなくてもいいんじゃないか」
「だって…リョーマは手塚の言うことしか聞かないし」
「何で大石の言うことは聞かないんだ?」
「知らないよ、そんなの…手塚の方が好きなんだろ」

確かに英二が大石にべったりなように、俺にはリョーマがべったりだ。

「とにかく、リョーマが言うこと聞かないで桃や薫と喧嘩したりして困ってるんだよ」
「子供は喧嘩するものだ」

俺がそう言うと大石は困った顔をして溜め息をつく。

「手塚は昼間家にいないからいいだろうけど、毎日喧嘩されるこっちの身にもなってくれよ」
「……………」
「目は離せないし大声出すから近所迷惑だし、やることもやれなくて困ってるんだ」
「……………」

黙って大石の話を聞いていたらどんどん大石の眉間の皺が深くなってきた。

困った。これはよほど機嫌が悪い。
しかし俺はこういう場面が極端に苦手で、責められると言葉を返せなくなる。
つまり大石の機嫌が悪くなればなるほど俺は何も言えなくなるのだ。

大石は普段が温厚なだけに、機嫌が悪くなると結構引きずる。
大抵は俺がいつ謝ろうかと思っているうちに向こうから謝ってくれるのだが。

「…手塚、何か言ってくれよ」
「……………」

頭の中はフル回転なのだが、きっと大石の目に映る俺は平然として見えるんだろう。

「手塚?」
「…子供が言うことを聞かないのは、母親のせいなんじゃないのか?」
「……………」

しまった。

大石に答えを急かされて焦った頭は、ついそんな言葉を発させてしまった。
こんなことが言いたいわけじゃないんだが。

案の定大石は口を噤む。
眉を寄せてそのままキッチンに行ってしまった。



「……………」
「どーしたの、部長」
「…リョーマ」

リビングのソファで新聞紙ごと頭を抱えて丸まっていると、件のリョーマが顔を覗きこんできた。
原因はこいつなので、とりあえず一回びしっとデコピンしておいた。

「いたッ!…何すんの、部長」

リョーマは額をさすりながら俺の隣に座った。

「部長、遊ぼうよ」
「…あとでな」

袖を引いて強請るリョーマは可愛いのだが、今はそれより大石だ。
大石を怒らせたままでは俺はまともに生活できない自信がある。

「…リョーマ」
「なに?」
「最近…母さんの言うことを聞かないのか」
「そんなことないよ?」
「…そうか…」

そんなことないと言われてしまうと続く言葉が思いつかない。

「…あまり、母さんを困らせるなよ」
「うぃーっす」

遊んでもらえないと分かったのかリョーマはそのまま部屋を出て行った。



再びソファの上でどうしたものか考えていると、今度は貞治がやってきた。

「…父さん」
「何だ」
「…母さんを怒らせた確率100%」
「……………」
「母さんと喧嘩した時の父さんは眉間の皺がいつもより1.15mm深くなる」
「……………」

俺は無意識に自分の眉間に手を当てた。
確かにくっきりと深い皺が刻まれている(いつものことだが)
眉間を中指で揉んでいると、正面に貞治が座った。

「さっきキッチンで新改良汁を作ろうと思ったら母さんに追い出されたんだ」
「…そうか」
「早く仲直りしてくれ。キッチンに入れない」

あの汁を作られるのだったら仲直りしない方がいいのか?

とは言うものの、これが貞治なりの応援であることは俺もわかっている。

「母さんは滅多に怒らないから、あの人が怒ると家の雰囲気が格段に悪くなる」

それはその通りだ。

「何があったのか知らないけど、早いところ仲直りしてくれよ」
「…お前ならどうする」
「え?」
「…その…喧嘩した時…お前ならどうする」
「蓮二と喧嘩した時ってこと?そんなもの、即効謝るよ」

謝る、か…やっぱりそれが一番手っ取り早い。
それは分かるのだが大石を前にするとうまく言葉にならない。
自分が口下手であることを、こういう時ほど呪うことはないな…

「どうせ父さんは母さんがいないと俺達の面倒も家事も何も出来ないんだから、さっさと謝った方がいいよ」

返す返すも貞治の言う通りだ。

俺は大石に酷いことを言ってしまったな…
子供が言うことを聞かないのは母親のせいだ、なんて…
家のことを何もしない俺が言えた台詞じゃない。

大石が疲れていることを分かっていたのにあんな酷いことを…
育児も家事も何もしないで、考える必要もなく俺が外で働けるのは大石が家を守ってくれているからなのに。



考え込んでいるうちに貞治はいなくなっていた。

行動を起こさないと、と思いキッチンに行けば、大石もいなかった。



「あれ、父さん。どうしたんスか?」
「桃。母さんを知らないか」
「母さんならさっき家出ていくとこ見ましたよ。買い物じゃないスか?」

桃はさっきまで外で遊んでいたのか、服がところどころ汚れている。

「…あまり母さんに面倒かけるなよ」
「え?あ、はい…」

俺はそのまま小走りに家を出た。



家を出たものの、大石が行きそうなところなんて見当もつかない。

出てしばらくは少し走ってみたものの、すぐに足は止まった。
近所をとりあえずブラブラと大石の姿を探しながら歩いてみる。

桃の言う通り買い物、という選択肢も考えてはみたが、家を出る前に覗いたキッチンにはしっかり夕飯の用意が出来ていた。
だからまた買い物に行ったということは考えづらいだろう。

色々考えながら歩いていたら、いつの間にか駅についていた。

まさか電車に乗ってどこか遠くに…なんてことはないだろう。
一瞬過ぎった不安な考えを振り払う。



でも、大石が家を出たのなんて結婚してから初めてなんじゃないか?



…俺が大石に言った台詞を考えればそうされるのも当然か…
これを機に「手塚とはやっていけない」なんて言われて離婚を切り出されたらどうしたらいいんだろう。
(俺の母親は喜ぶかもしれんが)そんなのはごめんだ。

駅を越えて、少し大きな公園に出た。

大きな池を囲んで出来ているその公園は、子供達が小さい頃よく家族で来たことがあった。
最近では仕事が忙しいということもあって滅多に来ていない。
休みの日だって仕事の関係で出ていたり、家にいても外に出なかったり…
長男が大きいとはいえ、リョーマはまだ小学生だ。父親と遊びたいこともあるだろう。
それなのに今日遊んでくれという誘いにも乗ってあげなかった。

…考えれば考えるほど自己嫌悪に陥る。

俺は夫としても父親としても何て駄目な男なんだろう…
出来ることが仕事だけ、なんて洒落にもならない。



「手塚?」



聞きなれた声に池の方に目を向けると、池沿いに置かれたベンチのひとつに大石が座っていた。



「大石………」



何か言わなければ。謝らなければ。
…だが言葉が見つからない。
ただ、とにかく大石が見つかって、俺に声をかけてくれたことにホッとした。

「て、手塚…!?」
「ん…」
「ど、どうしたんだ!?」
「…?」

大石が何故か慌てて駆け寄ってきて俺の頬に触れた。

(…涙…)

大石が触れた頬は濡れていた。
大石を見つけてよほどホッとしたのか、それとも不甲斐ない自分にか、とにかく俺は泣いていた。

「す、すまない…勝手に家を出てしまって…」
「いや…違う。大石が悪いわけじゃないだろう、謝るな…」

意識してしまっても涙は簡単には止まらなくて、俺は眼鏡を外して目を擦った。
大石が俺の背を撫でながらベンチに座らせてくれる。
その当たり前な手の温もりに、何だか俺はますます泣けた。



「その…大石、すまなかった…あれは、俺の本心じゃない…」
「…うん。分かってるよ、手塚」

大石は本当にもう怒ってないようだ。
穏やかないつもの笑みを湛えている。

「俺こそ本当にごめん。最近ちょっと疲れてイライラしてたんだ、と思う…」
「ああ…」
「手塚だって疲れてるのに八つ当たりみたいなこと言っちゃって、本当にすまなかった」

違う。あれは明らかに俺が悪い。
涙は止まっていたが、頭は久しぶりに泣いたことでまだ混乱しているのかもしれない。
うまく言葉が紡げない。
これじゃいつものようにまた俺の言いたいことは言わないまま、大石に罪悪感を持たせて我慢させてしまう。

「…っ、大石、聞いてくれ」
「…何だ?」

大石は俺の目をじっと見た。

「…俺は、うまく言葉を紡げる人間じゃ、ないから…大石を誤解させたりしているかもしれない」
「……………」
「でも今日、本当に色々考えて…大石がいなかったら、うちの家族は成り立ってないって気付いた」
「手塚…」
「あんな言い方してしまった俺を許して欲しい。もう、二度と言わない」

言いたいことを言ってしまえば、やっと気分が軽くなった。
大石は俺の話を聞き終えると、小さく溜め息をついて、笑った。



「…手塚、分かってるよ」
「?」
「誤解なんてしてない。分かってるよ。だからこうしてずっと一緒にいるんだから」



誰よりも家族のことを見て、家族を第一に考えてる大石。
俺のこともきちんと見ている、と笑う大石の頬に、小さくキスをした。



帰り道、次の休日は家族を連れてあの公園に行こう、と約束した。



「…ふふ」
「何だ」
「手を繋ぐのなんて久しぶりだ」
「……………」



固く繋いだ手。

これはもう離さない。



 

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