金を払うから素手で殴らせてくれないか?





目の前で楽しげに社内を見渡すその男は、確かに美男子なのだろう。
ただし、その服装や纏う雰囲気のせいで整った顔立ちはよくよく見なければ気付けない。

俺が出したお茶を一口飲んで彼は言った。

「女将を呼べっ!」

ここに女将は、いない。






彼がこの会社に現れたのは今から数十分前。

上への報告書を作成していた俺の前に、どうやってセキュリティを掻い潜ったのか、見知らぬ男が現れた。

「ねぇ、蓮二殿は?」
「…は?蓮、…柳は今は外出中ですが…」
「帰り遅いの?」
「いえ、昼には帰ると思います。アポイントメントはお取りですか?」
「ううん、近く通っただけだから」

彼は部署内をキョロキョロと見渡して、応接用のソファを指差した。

「座って待っていいかな?」
「は…あ、あの、失礼ですがどちらの…」
「ああ、俺は仕事絡みの付き合いじゃないよ。蓮二殿の個人的な友人」

俺は絶句した。

平日の昼間にただの友人の職場にふいに現れるなど、非常識甚だしい。
だが怒る気にもなれないのはあまりにも飄々としたこの態度のせいだろうか。

「何かこの部署の造り、東西新聞の文化部に似てるね。谷村部長マダー?」
「…は?この部署の部長は柳ですが」
「分かってるよ。非オタは絡みづらいなぁ」

異様に早口なので口を挟む余地がない。
彼が上着を脱ぐと、上下共デニム生地の「いかにも」な服装が目に入った。
Gジャンの下に着たシャツにピンク色の髪の、顔の半分が目で埋められた女の絵がプリントされている。

…額のヘアバンドと背中のポスターらしきものが突き出たリュックを見た時から、薄々嫌な予感はしていたが…



………“お仲間”、か………






彼は幸村精市と名乗った。

「女将を呼べ」発言の後のことだ。
固まる俺を「マジ柔軟性がない。ノリが悪い」と一頻り罵った後の自己紹介だった。

幸村精市。

蓮二と赤也の(聞きたくもない)会話の端々に登場する人物だということはすぐに気付いた。
話を聞いていた時から浮世離れしていると思ったが、実際見ても聞いていた以上に浮世離れしている。
なるほど、百聞は一見にしかずとはこのことか。

「あややもいないの?」
「切原は他社に出ています」
「つまんないの」

幸村は退屈そうに口を尖らせて、俺をじっと見た。
その目が次第にキラキラ輝く。
何かを期待するようなその視線に思わずたじろいだ。

「じゃあ、ねえ。蓮二殿達が帰って来るまで君が相手してよ、真田」
「えっ…何故俺が、」

……………ん?

「………今、名前…」
「あれ、違った?」
「いや、合ってるが」
「やっぱりね。あややが言ってた通りなんだもん」

幸村はからからと楽しそうに笑った。
…赤也…一体俺のいない所で俺をどう表現しているんだ。
この件は後で問い詰めよう、と思った。

「だが俺はまだ仕事中だ」
「そんなのどうにでもなるでしょ」

さっきまでやっていた仕事は確かに急ぎではない。
でも幸村は、だからと言っておしゃべりに興じたいと思う相手ではなかった。
あの蓮二や赤也でさえ一目置くほどのオタクだ。
到底俺に相手が務まるとは思えない。

それなのに幸村は笑顔で自分の正面のソファを指差す。
その笑顔には有無を言わせぬ迫力があった。

「……………」 
 
仕方なく、本当に仕方なく、幸村が指差すソファに腰掛けた。



「真田、歴史が好きなんでしょ」
「…そうだが。赤也に聞いたのか」
「うん。ねぇねぇ、誰萌え?」
「は?もえ?」

歴史上の人物で誰が好きか、ということだろうか。

「…俺は戦国武将が好きだが」
「バ○ラかぁ、系統違うよなぁ」
「バ○ラ…?」
「俺は爆乳三○志が好きだよ」

三国志か…なかなかいいところに目を付けるではないか。
頭に「爆乳」とついたのが気にかかるところだが…

「ねぇねぇ真田は爆乳派?貧乳派?」
「な、何故いきなりそのような話になるのだ!」
「俺的には繋がってるんだよ」

幸村はめんどくさいな、と小さく呟いた。
何故初対面の人間にそんなことを言われなければならないのだ…

だがしかし、この喋り方は蓮二や赤也に通じるところがある。
幸村の場合はあの二人と桁が違うようだが。
話題がポンポン飛び、質問をする割には答えを聞いているのかいないのか。
それでいて自分の意見を言うのは忘れないそして譲らない。

「俺はね、爆乳派。二次元限定ね。三次元なんて駄立体だよ。そう思わない?」
「いや、俺は…」
「大体さ、触れもしない存在に萌えるなんてどうこうとか言う輩もいるけどさ、フィギュアは三次元じゃん。ねえ?それに自分の脳内にいる二次元キャラは自分だけの存在として確実に触れられるし、最早それは存在してると言っても過言ではないと思うわけ」
「……………」

あまりのマシンガントークに口を挟む隙はない。
疑問形を取ってはいてもそれはきっと幸村にとって疑問ではないのだろう。
彼の中で二次元とやらに対する評価は確定して揺らぐことはないようだ。

「つまりさ、俺は誰かと好きなキャラを共有して『あのキャラいいよね〜』とか語り合うのが嫌なわけ。だってこの世に俺よりも憂を正しく愛してる人間はいないから。誰かと共有するまでもなく愛は完結してるんだよね。だから俺は自分の好きなキャラを好きな奴とは絶対友達にならないんだ。蓮二殿もあややも俺とはジャンルが違うだろ。それはつまりこういうことで…」



幸村の話を聞き流しながら、壁にかけられた時計を見る。
現在午前10時45分。
蓮二が戻る予定は正午。赤也は昼を食べてから戻るだろうからもっと遅いだろう。



「真田、いいかい?君の世界での知名度はどのくらいだ?大したことないだろ?それに対し憂は世界でも名前を知ってる人がいる。それだけの人間に認知されている存在というのはもう実在すると言っていいと思うんだ。人はよく二次元に行きたいなんて言うけれどそんなものは俺に言わせれば魂のステージが低いからで…」



…誰でもいい、助けてくれ。



予定より2時間遅れて蓮二が社に戻ってきた時、俺はほとんど死にかけていた。



 


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