ハリネズミの男





白いシャツに細めの黒いネクタイ、紺色のカジュアルなジャケット、下は細身の黒いジーンズ。

…うん、派手すぎず地味過ぎない。
我ながら品良くお洒落やん。

鏡に全身映して、俺は満足して一人頷いた。



「…何でユウジくん今日あないにめかしとるんスか」
「何や友達んち行く言うとったけど」
「友達?友達と会うんにデート並に気合い入れとんの?ユウジくんが?」

小声のやり取りが耳に入って振り返れば、部屋を覗き込む二つの影。
謙也と光が細く開いた扉の向こうから顔を覗かせとった。

「オラッ、覗き見なんて趣味悪いことしてんなや」

そう言うと謙也はびくんと体を竦ませる。
光はいつも通り、平然と部屋に入り込んできた。
光は引き延ばした小春の写真やハートのクッションが飾られた俺の部屋を見回して嫌そうに顔を歪ませる。

「趣味悪いのはどっちッスか。キモい部屋やな」
「やかまし。喧嘩売りに来たんか」
「別に。ユウジくんのデート相手探りに来ただけや」

光の言葉に今度は俺が顔を歪ませた。

「デートとかキモいこと言うなや。俺がデートするんは小春だけや」
「ほな何でそない気合い入っとるん?小春もデートやと思っとるで」

光に続いて謙也も部屋に入ってきて、聞き捨てならんことを言いよる。
小春には後で二時間くらいかけて弁解せなあかんな!

「…ちゃうわ。同じクラスの知人。それ以上でも以下でもあらへん」

俺が小春以外に恋愛的な意味でウキウキワクワクしとるなんて思われるのは心外や。

「「ほな何で?」」

見事にハモった弟たちに苦笑を漏らしながら、真実を伝える。



「向こうのオトンが怖いからや」



「「…はあ?」」

これまた見事なハモり。

「光、何でオトンが怖いとユウジがお洒落になるん?」
「未来のお義父様に気に入られたいんとちゃいますか」
「アホッ!ちゃうわ!」

あの家の父親は怖い。それはあの家の子供とツルんどる奴らの中では有名な事実や。
以前ジャージで遊びに行った中等部の弟の友達は「人の家に遊びに来る格好じゃないな」と言われ「動きやすそうな格好してるから手伝って」と部屋で一番重いタンスの模様替えを手伝わされたらしい。 
とにかく粗相があったらアカンのや。
特に俺のクラスメイトは家中の寵愛を一身に受けている身。クセの強い兄弟にまで目を付けられたら最悪や。

「これは身を守るための武装なんや!」

そこまで一息に言った俺に、うちのアホな弟たちは黙り込んだ。

「そういうわけやから変な誤解はせんといてや!ほな行ってくるわ。行きに花屋で花束作ってもらわなアカンから。あ、冷凍庫に親父の土産あったよな。あれ貰ってくな!」

鞄を持ってまだ立ち尽くす弟たちに口早にそう言って、俺は部屋を出た。



「…どう聞いても相手の家族に気に入られたいと思っとるようにしか聞こえへんのやけど」
「あれ無自覚とか、タチ悪いッスね。兄貴離れの日も近いかな」

背後でそんな会話がなされてることも知らず、俺は愛されし長男、幸村蓮二の自宅へ足取り軽く向かった。






何度か近所まで来たことはあるけど、家に上がったことはない。
蓮二は俺んちによお宿題とかやりに来るけど。

行きに買うた花束は、蓮二のオトンへのお見舞いや。
こないだ倒れたって聞いたから。
花束を抱え直して、表札の「幸村」の文字を確認して、俺は心なしかドキドキしながらインターホンに指を伸ばす。

「おれかよ!」
「ぉわっ!?」

インターホンに触れた瞬間、門の向こうから犬に吠えられた。

「おれかよ!おれかよ!」
「…お前、ジャッカルやんな。蓮二に聞いとるで」

門に手をかけて後ろ足で立つジャッカルが顔を近付けてくる。
俺はその頭を撫でた。

「ホンマに変な鳴き声やなぁ」

俺は今まで動物を飼ったことがない。
その物珍しさからつい今日の目的も忘れてジャッカルと門越しにじゃれあってしまう。



「おれかよ!」
「おー、よしよし。何やお前、俺が好きなんかあ?アカンで、俺は小春のモンやからな。せやけど愛人にやったらしたってもええで!」
「…お断りだ」

唐突にジャッカルが喋った。

「…と、ジャッカルが思っている確率99%」
「…何や、蓮二か」
「遅いと思って様子を見に来てみれば、犬とお喋りか」

犬に話しかけながらじゃれあう姿を見られたことは確かに決まりが悪い。
俺はまだ遊んで欲しげに俺を見上げるジャッカルから目を逸らした。
ごめんな、また今度ゆっくり遊んだるさかい。

「ちゃんと課題のプリントは持ってきただろうな」
「当たり前やろ!その為に来たんやから!」

蓮二が門を開けてくれた。
何にせよ、インターホンを押す緊張から逃れられたのはラッキーや。



蓮二に促されて玄関に入った途端、二階からバタバタと階段を降りる音がした。

「蓮二兄さんっ!お客さん来たんスか!?」

蓮二の腰に抱き着いたのはもじゃっとした毛玉。
…よく見ると小さな子供やった。
子供が苦手な俺はつい身構える。
確かうちの金太郎と同じクラスの子やったはず。このもじゃり具合には見覚えがあった。

「赤也、今日は遊びに来たわけじゃない。邪魔はするなよ。ユウジ、弟の赤也だ」

赤也(そういえばそんな名前やった)は、俺を睨むように見上げる。
…何やねん、そない生意気な顔される覚えはないで。

せやけどこの家族を敵に回すのは得策ではない。
俺はたぶん引きつっとったやろうけど、やっとのことで赤也に笑いかけた。

「…こっ、コンニチワ…」
「………角眼鏡よりは胡散臭くねーな。30点」
「なっ…!」 
 
いきなり品定めされたらしい。こんな子供に。
カチンとくるより先に、いつの間にか現れた銀髪の男が蓮二の肩に腕を回した。

「赤也、点数高すぎじゃろ。顔面偏差値5」
「ハァ!?」
「…雅治、いきなり喧嘩を売るのはやめないか。…ユウジ、弟の雅治だ」

仮にも白石蔵ノ介の血を引く俺の顔面偏差値が5やと!?
そりゃあ俺は親父よりはイケメンとちゃうけど初対面でここまで言われる筋合いはあらへんで!

額に青筋が浮かぶのを感じながらも無理矢理笑顔をキープする。

「ユウジ、すまないな。上がってくれ」
「おん…お邪魔します、」
「スリッパをどうぞ」
「ぅおっ!?」

靴を脱いで上がった先に、床に正座した眼鏡がスリッパを差し出してくれた。
いつの間にこんなとこに。
蓮二の家族、神出鬼没すぎや。

しかし差し出されたスリッパからは画ビョウが溢れていた。
おい、ここまでごまかす気のない嫌がらせは初めてやで。足を入れるスペースがありませんよ。

ニッコリ笑う眼鏡に何て返したものか困っていたら、蓮二がスリッパの画ビョウをザラザラと玄関に捨てた。

「ユウジ、これは弟の比呂士だ」
「以後お見知りおきを」
「…は、はぁ…よろしゅう…」

ただの画ビョウ入れだったスリッパに無事足を入れたら、愛想良く笑っていた比呂士が小さく舌打ちした。



…予想以上や。

予想以上に蓮二は愛されとる。
粗相があろうもんなら俺は確実に殺される!

ただのクラスメイトでこの仕打ち。
恋人である貞治はのんきに見えて実はえらい危険を掻い潜って生きてるんやな…
ヘラヘラ笑う情けない貞治の顔を思い出して、俺はひっそり奴を讃えた。



何とかリビングに案内される。
そこにおったんは噂には聞いとったけど生で見るんは初めてな、蓮二の父親。
ダイニングテーブルについて新聞を開いとった。

「ん。…やぁ、いらっしゃい」

何しろ、若い。
にっこり笑った顔には皺ひとつない。
うちの親父も人並み以上に若くて綺麗やけど、蓮二の親父かて尋常やない。
綺麗さにうっかり見とれかけたけど、人伝に数々の武勇伝を聞かされとった俺は慌てて気を引き締めた。
最初が肝心や!そのために花束まで買うてきたんやし!

「え、その花束俺に?嬉しいなぁ」
「…えっ?あ、ああはい、そうです、どうぞ」

何で分かったんや、と思いつつ、花束を贈呈する。
なんやこれ、皇族に謁見でもしとる気分やわ。

「いやだなぁ、そんなに畏まらないでよ。綺麗な花束だね」
「蓮二…くん、に花が好きや聞いてたんで!」
「気が利く子は好きだよ。50点」

受け取った花束に顔を近付けて、にっこり笑って採点。
…微妙な点数や。せやけど今までで一番高い。

「父さん、それは高すぎだろぃ」

入口からは死角になっていたが、ソファには赤い髪の毛の少年が座ってこちらを見ていた。
容姿の特徴からしてこれが大食いの弟ってやつやな。
蓮二に時折聞く家族の話を照らし合わせて当たりをつける。
もちろんこの弟の攻略ポイントも持参しとるで!

「お土産、まだあるで」

鞄の中から紙袋を取り出す。
親父がこないだ大阪ロケやった時の土産やけど、全部冷凍庫から失敬してきたやつや。

「お、なにそれ?」
「たこ昌のたこ焼きや。土産用やから俺は食うたことないけどな」
「食いモン!?いい奴だなお前!90点!」
「いやいやブンちゃん、大事なんは味じゃろ」
「そうですね…自分が食べたこともないものを人へのお土産にというのもちょっと…」

銀髪と眼鏡が難色を示すのを蓮二が頭を小突いてたしなめた。

「まぁ食べてみないことにはな」
「そうだね、弦一郎にあっためてもらって食べよっか。弦一郎ー!」

キッチンに続く(と思われる)扉から、やけに線の濃い男が顔を出す。
前に授業参観で会うた記憶がある。
あの頃は蓮二の家族のことなんか知らんかったから全力でからかったんやっけ。

「…む、お前は確か…」
「はは…どうも、お久しぶりです」

向こうはどうやら覚えていたらしい。
出来たら忘れとって欲しかったんやけど。

「今日蓮二が連れてくる友人というのはお前だったのか」
「弦一郎、知ってるの?」
「話しただろう、授業参観で俺や蓮二の物真似をして俺を困らせた奴がいたと」

願いも虚しく母親はあっさり俺の過去を教えた。
「困らせた」と言った辺りで父親のこめかみがぴくっと動いたのを俺は見逃さなかった。

「…あーあ、お前母さんのこと困らせたのかよぃ」
「親父さんに知れた時点で終わりじゃな」
「うちの父さんは母さんを困らせた人間を許す人じゃないッスよ!」
「残念ですが、これが運命というもの。アデュー」

弟達がニヤニヤと笑いながら俺の肩を叩く。

咄嗟に助けを求めるように蓮二を見たら、蓮二は眉を寄せて首を横に振った。



「…父さんの逆鱗に触れた人間は誰にも救えない」



「…!」

頼みの綱の蓮二にまでそんなことを言われてしまっては、俺は青ざめるしかなかった。



「あの時蓮二は随分お前を嫌っていたようだったが、いつの間に仲良くなったのだ?」



母親のその言葉がとどめだった。






「……………はっ…!」

気付くと俺は、幸村家のソファの上で横になっていた。
傍らでは蓮二が濡れタオルを絞っている。

「起きたか」
「…何やめっちゃ怖い夢見た…黒い何かがずっと追っかけてくんねん…」
「父さんが黒魔術を発動するとみんなそうなんだ」
「……………」

黒魔術て。そんな非現実的な。
そうは思っても身をもって体験してしまった後では笑い飛ばせない。
全身に嫌な汗が滲んでいた。 
「あ、もう起きたの?」
「精市の力を食らった割には早かったな」
「意外に打たれ強いんだね」

俺が倒れる原因を作った二人ののんきな声がダイニングテーブルの方から聞こえる。
上半身を起こしてそちらを見ると、弟達もテーブルについて俺の土産を食っとった。

「このたこ焼き美味しいね」
「タコがうめぇよ」
「冷凍にしてはまぁまぁじゃな」

結構大量に持ってきたはずのたこ焼きはもうほとんど無くなっている。

「蓮二に怒られちゃったし、今は仲良しみたいだし、花束くれたしたこ焼き美味しいし、総合78点かなぁ」

父親の採点に俺は脱力した。



……………良かった。
70点越えならとりあえず合格やろ。

これでまたこの家に遊びに来れる権利は得たはずや。
残りの点数はこれから稼げばええ。



何でこないになってまで蓮二の家族に認められようと思っとんのやろ。

その理由はまったく思い当たらないまま、俺は誰にも見えないように蓮二の手首を掴んだ。



 


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