パニック・ハウス 「おれかよ!おれかよ!」 昼を過ぎてから庭でやけにジャッカルが鳴いている。 ジャッカルは無駄に鳴いたりはしない。ということはあの声は、何か理由があってのことということだ。 「…ブンちゃん、ジャッカルに餌あげたんか」 「今日はちゃんとやったぜ?」 念のためブン太に確認してみるが、どうやら空腹でもないらしい。 まぁ餌のあげ忘れだったらまず朝からお袋さんの雷が落ちとるはずだからそれが理由じゃないのは薄々気付いてた。 「おれかよ!おれかよ!おれかよ!」 リビングに集まる家族の顔が次第にしかめられていく。 「…ブン太。ジャッカルを黙らせろ」 「えー?何で俺が」 「お前が一番ジャッカルのことは分かるだろう。ほら、そろそろ近所迷惑だぞ」 蓮兄に言われてブン太は渋々ソファから立ち上がる。 食べていたポテトチップスの食べかすを払いながら。 …今はお袋さんがおらんからまだええけど、潔癖な気がある蓮兄と比呂がちょっと嫌な顔をした。 「おらっ、ジャッカルうるせーぞ!何鳴いて…、………あ?」 窓を開けてジャッカルに声をかけたブン太がそのままの姿勢で止まる。 「おれかよ!おれかよ!」 ジャッカルの鳴き声は止まらない。 ブン太の様子で気になったのか、赤也も窓に駆け寄った。 「ジャッカル、どうし……………え?」 そして赤也も止まった。 「……………」 「……………」 俺は蓮兄と比呂と顔を見合わせる。 誰からともなく立ち上がり、三人で窓際に近付いた。 ジャッカルは相変わらずうるさい。 窓際で硬直したままのブン太と赤也を避けて庭に目を向けて、俺達三人も動きを止めた。 「………え、」 「…あ?」 「あ、ぁ、」 庭には、俺達の親父さんがいた。 ただし、庭の芝生の上に倒れ込んでいる。 …寝てる?いや、あんな場所で? 親父さんの性格からして、地面に頭をつけるなんてプライドが許さないはずだ。 あまりに見慣れない光景。 一番最初に動いたのはやっぱり蓮兄だった。 「父さん!」 サンダルを突っ掛けて親父さんに駆け寄る。 つられたように赤也も裸足でその後を追った。 親父さんの傍らにしゃがみこんで額に手を当てた蓮兄が目に見えて顔色を変える。 振り返った蓮兄は、俺に向かって叫んだ。 「雅治!救急車を呼べ!」 突然の事態に頭はうまく働かない。 だが蓮兄の声に体が咄嗟に動いた。 「精市ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」 「かあさぁぁぁぁぁんッ!」 「やかましいぞ赤也ぁ!病院では静かにせんかぁッ!」 ばっしーん!と、赤也の頬が打たれた音が静かな病院の廊下に響く。 「やかましいのは母さんも同じだ。静かにしろ」 蓮兄の命令で救急車を呼んだのは正解だった。 医者の親父さん以外、うちにまともに人を介抱出来る人間なんておらん。 買い物に行って留守だったお袋さんの携帯に伝言を入れて全員で来た、親父さんの働く大学病院。 お袋さんは文字通り血相変えて飛んできた。 「れれれ蓮二ッ!精市はっ…大丈夫なのか…!?」 「蓮二兄さぁぁぁんっ!痛いッス…!」 「赤也!お前は黙っていろ!精市の苦しみに比べたら俺に打たれた痛みなど大したことじゃないだろう!」 この場で取り乱してるのはお袋さんと赤也だけじゃ。 蓮兄はちらりと俺を見て溜め息をついた。 「…雅治、母さんと赤也に何て説明したんだ」 なんじゃ、すぐ俺のせいか。信用ないのぅ。 まぁお袋さんの携帯に伝言残したのは俺じゃし、何が起きたか分からずに呆然としとる赤也を抱いて病院に来たんも俺じゃし、しゃあないか。 「別に、親父さんは死ぬかもしれんって言っただけじゃ」 「……………」 蓮兄は黙り込んで薄く目を開けた。 ごめんなさい許してください。 俺は直ぐ様その場に平伏して抵抗の意はないことを示した。 「…親が倒れたというのにお前というやつは…」 「だってほんまに顔色真っ白じゃったし死んでもおかしくないと思って、」 「母さんや赤也を怯えさせてどうする、この馬鹿」 腕を組んで平伏した俺の前で怒りのオーラを撒き散らす蓮兄に必死で言い訳する。 ごめんなさい何でもするから目を閉じてください。蓮兄に嫌われたら俺は死ねる。 「れ、蓮二…!精市は…!」 母さんが蓮兄の袖を引いて、蓮兄の怒りが少し緩んだ気配。 俺はちらりと顔を上げて、蓮兄の閉じられた目を確認した後、そのままの姿勢でそっと比呂の後ろに隠れた。 「…雅治くん、やっていいことと悪いことがありますよ」 「…結局命に別状はなかったんじゃから、ええじゃろ」 そう、親父さんは無事だった。 「ちょっと酷い風邪だったようだ。熱はあるが今は薬で寝てる」 「夜勤明けに帰って来て倒れたようですね。恐らく最近気に掛けてらした植木の様子を見に庭に回ったのではないかと…」 蓮兄と比呂の説明を聞いて、お袋さんはその場にへたりこんだ。 いつも凛々しくつり上がった眉が頼りなく下がっちょる。 「………良かった…精市…」 片手で顔を覆うお袋さんの顔は見えんかったけど、声が震えとる。 …ちょっと大袈裟に伝言残したからの。やり過ぎたかもしれん。反省。 じゃが俺かて慣れない事態を前に多少パニクっとったことは理解して欲しい。 たぶん後で殴られるじゃろうけど。 「ブン兄、父さんだいじょうぶってことッスか?」 「らしいな。…あービックリした」 ブン太も珍しく緊張してたのか、溜め息をついてガムを膨らませた。 「病室には入れるようだぞ」 「そうか。では入ろう」 「お前達、騒ぐなよ。弱っていても父さんだ。逆鱗に触れるようなことはするな」 蓮兄に念を押されて皆で病室に入る。 静かな病室のベッドの上では、親父さんが眠っとった。 右手の肘の関節には点滴が繋がっとる。 目を閉じたその表情は安らかじゃったけど、やっぱり少し顔色は悪いかもしれない。 「…父さん、黙ってると美人だなぁ」 「黙ってなくてもお綺麗ですよ」 「でも目ぇつぶってると威圧感がなくていいよな」 赤也と比呂とブン太が小声で好き勝手なことを言って、蓮兄に頭を小突かれている。 「…怖くても威圧感があっても、こんな人形みたいな姿より元気な姿の方が俺は好きじゃ」 呟いた俺の言葉に、赤也が小さく「…うん、」と答えた。 「…こうしていると昔を思い出す」 ベッドサイドの椅子に座ったお袋さんが親父さんの髪を撫でながら言う。 「精市は昔は体が弱かったから。こうしてよく見舞ったものだ」 昔を思い出しているんだろう。お袋さんの表情は穏やかだ。 今俺達にとっては病弱な親父さんなんか想像もつかんけど。 「…でも、何度経験しても慣れないな。倒れたと聞いた時…心臓が止まるかと思った」 病室に沈黙が下りる。 こんな風に弱いことを言うお袋さんは珍しいから、皆言葉も見つからない。 「…昔の話だろう。今は健康過ぎるくらいだ」 「…そうだな。久しぶりに弱ってる精市を見たから…俺も気が弱くなってるのかもしれん」 蓮兄の言葉に苦笑を返し、お袋さんはまた親父さんの髪に触れる。 親父さんの瞼が、小さく震えた。 「…、げんいちろ…?」 「っ精市、」 目が覚めたらしい親父さんの掠れた声に、俺達もベッドを囲むように集まった。 親父さんは周囲を見回して、俺達の顔を見て小さく笑う。 「…なんだ、お前達…揃いも揃って、真っ青じゃないか」 ちらりと窺うと、お袋さんは元より赤也もブン太も比呂も、蓮兄まで顔色が悪い。 たぶん俺も同じようなもんじゃろう。 「精市、具合は…」 「あー、うん…大丈夫、かな。悪かったね、心配かけて」 「…!」 親父さんが謝った…じゃと…!? どれだけ自分が悪くても、例え人を殺しても素直に謝りそうにない親父さんが…! こんなに嫌味のない謝罪をするなんて…! 「………お前ら…みんなして同じこと考えるなよ」 親父さんの言葉に思わず皆で顔を見合わせる。 「俺を崇拝するという以外で一致団結しなくていいんだよ」 いつもより弱々しくはあるが、毒のある影の濃い笑顔を向けられて、赤也と比呂は竦み上がった。 蓮兄は小さく溜め息をつく。 「…それだけ毒づけるなら大丈夫そうだな」 「蓮兄、父さん入院すんのかよぃ?」 「念のため2、3日は入院した方がとお医者さんは仰っていましたね」 俺は病室を出ようとベッドに背を向けた。 「雅治、どこへ行く」 お袋さんの声に首だけ振り向く。 「入院するなら着替えがいるじゃろ。取ってくる」 「なら俺も行こう。赤也もおいで。風邪がうつっては大変だ」 「はーい!父さん、早く元気になってくださいね!」 俺に続いて兄弟は全員ベッドを離れる。 ブン太がちらりと親父さんとお袋さんを見て、ガムを膨らませた。 「…母さんは父さんに付き添ってやれよ」 病室の扉を閉める寸前、親父さんが「ありがとね」なんて言うもんじゃから、俺達は更に度肝を抜かれた。 「…父さんも倒れたりするんスね」 「一応人間じゃったんじゃのぅ」 「二人共、言葉が過ぎますよ。不謹慎です」 諌める比呂の声に蓮兄が笑う。 「…まぁ大事なかったんだ。いいだろう」 「…そうですね」 「うん…」 「…ッス」 「…プリッ」 帰り道、俺達に言葉は無かった。 でもたぶん皆思うところはひとつ。 …安心感を共有出来るっちゅーんは、 家族っちゅーんは、 …ええもんじゃ。 |