だが断る 今日は秋葉原のとある会社に資料を持ち込んで直帰。 …の予定だったのだが、先方との話が次第に脱線して戦国武将についての話題になり、ついつい長居してしまった。 その会社を出た時は既に20時を回っていた。 会社にいるはずの上司である蓮二に電話をして仕事は上々だったと報告すると、蓮二は俺を労って「外食するなら経費で落としてやるから領収書を忘れずに」と言った。 その言葉に甘えて多少豪勢なものをと思ったが、何分土地勘がない。 仕方なく駅前のビルの最上階にあった焼肉屋に入った。 適当に入った店の割に味は上々で、俺は満足しながらビルを出る。 駅のホームで電車を待っていると、隣に男が並んだ。 特に意識せず彼の足元に視線を向ける。 黒いショートブーツにジーンズのラフな格好が目に入った。 若い男か、と思い何の気なしに顔を上げると、そこにいたのは見知った男。 「…ジャッカルじゃないか」 男はちらりと俺を見て一瞬驚いた顔をした後、すぐに破顔した。 「真田!久しぶりだな!」 「そういえばお前の職場は秋葉原だったな。今日はもう終わったのか」 「ああ。今日は早番だったんだ」 ジャッカルは俺が一人で暮らすマンションの隣の部屋に住んでいる。 今時の都会の若者にしては珍しく、一人暮らし用のマンションにも関わらず引っ越しの挨拶に来た礼儀正しさを気に入って、以降仲良くするようになった。 時々は二人で近所の居酒屋で飲んだりもする仲だ。 ただ最近はジャッカルが新しく始めたバイトのシフトで都合が合わずあまり飲めていないが… 「終わったのなら久々に一杯どうだ」 「いいな。いつもの店でいいか?」 「ああ、慣れた場所の方が気安くていい」 来た電車に二人で乗り込んで、最寄りの駅まで他愛ない会話を交わす。 ジャッカルと話すうち、近頃会社の人間以外とはロクに会話をしていなかったことに気付いた。 (休日はコンビニで店員に「温めなくて結構です」しか喋らずに一日終わることもある) 優しくて聞き上手なジャッカルとの会話は、素直に嬉しかった。 いつもジャッカルと行く駅から近い居酒屋で、俺は熱燗を、ジャッカルはピンクグレープフルーツサワーを頼んだ。 …相変わらず合コンの女子大生みたいなものを好む奴だ。 軽く乾杯して一息。 俺は気になっていたことを聞いた。 「ところでジャッカル、お前の新しい職場はどんなところなのだ?」 職場が新しくなってから、ジャッカルとはあまりゆっくり話せていない。 だから彼の仕事について聞いてなかったのだ。 ジャッカルは少し悩む素振りを見せてから口を開いた。 「真田は好きじゃないだろうけどさ。メイド喫茶って知ってるか?」 「………知識としては、聞いたことがある」 常日頃から優秀で尊敬すべき上司の唯一の欠点を思い出して、俺の声は知らず沈んだ。 涼やかな笑顔で「あそこの店はいい」などと笑う蓮二の嬉しそうなこと。 「俺はそこの厨房で料理作ってるんだよ」 「そうか…充実してるか?」 「…そう、だな…まぁまぁかな。女の子ばっかりだから賑やかで退屈はしねぇよ」 蓮二が言うには安いキャバクラのようなものだとか。 仕事の付き合いで何度かキャバクラに足を運んだことはあるが、確かに俺にはあまり合わなかった。 「俺はオタクじゃないから客ともキャストともあんまり話は合わないんだけどな」 苦笑いを浮かべるジャッカル。 職場での立場は俺に近いものがある気がする。 「…職場でマニアックな話をされるのは苦痛じゃないか?」 「そういう場所だしな、メイド喫茶は。慣れだろ」 ジャッカルは随分順応性が高いようだ。 俺はとてもそうはいかない。 「でも、するべき仕事の合間にネットアイドルがどうとか撮影会がどうとかジマングになりてぇとか、興味のない身としては辛いだろう」 「…何か意外にオタク市場に精通してるな、真田」 「好きで精通してるわけではない!」 半ば怒鳴るようにそう言って酒を煽る。 ジャッカルは合点がいったという顔をして頷いた。 「ああ、真田の職場にはオタク多そうだもんな」 「そうなのだ!毎日毎日興味もないネットアイドルの写真を見せられて常にBGMで『彼女こそ私のエリスなのだろうか…』と妙な語り口の曲を流されておかしくなりそうだ!」 「サンホラーがいることはよく分かった」 「おかげで家に帰っても『何故なのよおおおおお!』が頭から離れん」 隣の席で常にそれを口ずさむ部下を思い出して俺は項垂れた。 このままでは俺はオタク共に引き摺られてしまう。 最近では赤也のせいで「…この曲いいな」なんて思うことさえある始末。 別にアーティストに罪はないのだが、何やら釈然としない。 「蓮二と赤也は仲がいいから俺が少しでも批判しようものなら総攻撃だ。蓮二は弁が立つし赤也も好きなものに関しては一人前に理屈を捏ねるから俺は…」 「うんうん、非オタは大変だよなぁ」 酒が入ったこともあって勝手に口が回る。 いつの間にか蓮二と赤也、二人の名前を当然のように出して文句を言っていた。 そんな俺にジャッカルは苦笑しながらも相槌を打ってくれる。 「俺が仕事をしてる横で赤也は黒服にやたらついてるファスナーを開けたり閉めたりしてるし蓮二は蓮二でまだ仕事が残ってるというのに私用の電話で撮影会の予約だの執事喫茶の予約だの…聞いてるか、ジャッカル」 「聞いてる聞いてる」 本来俺は酔っ払っても絡み酒などという情けないことはしない。 だが今夜は久々に聞き上手なジャッカルに会ったということもあって妙に愚痴っぽくなっているようだ。 一通り愚痴を溢して、一息つく。 誰かと差し向かいで飲む酒はうまい。 いつの間にか増えた空のグラスを眺めていると、ジャッカルが言った。 「でもさ、真田楽しそうだな」 ………楽しくない、苦痛だ。 …と言ってしまうのは嘘になるのかもしれない。 蓮二も赤也も、困ることは多いがあれはあれでいいところもある奴らだ。 「………そうかもしれないな」 「充実してるか?」 飲み始めた時に俺がジャッカルに問いかけた言葉を投げ掛けられて、俺は笑った。 「………そうだな。充実はしてる、と思う」 言いたいことを全部言ってスッキリしたというのもあるが、今俺の心は晴れやかだった。 「文句は色々あるだろうけどさ。真田から歩み寄るのも大事なんじゃないか。せっかくオタ市場に詳しくなってるみたいだし」 「?」 「真田もオタクに足突っ込んでみたらいいんじゃね?同じ土俵に上がれば不満も減るだろ」 …なるほど、ジャッカルの言うことも一理ある。 発想の転換というやつだ。 「だが断る」 このセリフが既に、蓮二や赤也に影響を受けている証拠になってしまっていることに、言ってから気付いた。 だがジャッカルは気付いていないようだったので、俺は照れ隠しにもう一杯酒を頼んだ。 |